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祷龍館への道 [道]

R0030521.jpg明治18年夏、大磯に海水浴場が開かれている。当時東京から漁師でもあるまいし こんな漁村迄物好きがくる訳が無いとつぶやかれたと言う。確かに鰤漁や鎌倉時代、江戸時代を経て街道の宿場であ栄えた里で会ったが、海につかる物好きな人間の出現等、露にも思ってなかっただろう。今朝は遠くでアオバズクが鳴いている声で目が覚めてしまった。おまけに夢を見た。海水浴場の滞在客の為に松本順は祷龍館と言う客室50程の旅館を用意している。今はアオバトが来る照が崎海水浴場に近い照が崎の海辺に建物は出来た。町の中でも最大の寺、海前寺があった場所だ。寺は何度かの高潮や野分けにより被害を受け墓も流されたりして廃寺となっていた。祷龍山海前寺、この山号から旅館の名はとられたのではないか。祷龍崎という名も古地図で見たが固定はしていたのか。近くの宿場の宿はかなり機能していたので、茶屋町と呼ばれる地域はこの時代繁盛したようだ。
明治20年東海道線が開通し 駅から照が崎海岸の祷龍館への道も整備される。明治23年に出来たと言う愛宕神社脇の切り通しの道も、その為のものだ。切り通しの土はどこへ運ばれたのか?明治の道を想像して目が覚めてしまった。ちいさな歴史の断片が集まって物語を紡ぎだそうとしている。ひと滴が少し大きな水滴になるように。
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我が家の蓮は 瓶を日陰に移動したので背が高く葉が出てしまった。葉が風に踊ると 雫も葉の上を勢いよく動く様が面白い。
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コメント 6

ナカムラ

アオバズクの声で目覚めるなど贅沢で・・・良いですねえ、うらやましいです。
by ナカムラ (2009-07-17 12:27) 

駅員3

思わず海水浴の歴史を考えてしまいました。
明治以前も海水浴をするという習慣はあったのでしょうか?
by 駅員3 (2009-07-17 15:33) 

SILENT

ナカムラさん
茅ヶ崎に住んでる時もアオバズクが夜中鳴いてました。
この近辺にもテリトリーがあり松の木の天辺で鳴いてると
近所の方から話がありました。深山幽谷の想いで大好きな声です。夕方はヒグラシが山道で、谺していました。
by SILENT (2009-07-17 19:23) 

SILENT

駅員3さん
海水浴は昔は汐湯治と呼ばれ 海水を汲んで湧かして入る風呂があったようです。海へは潮浴びという事で禊の一種だったようですね。川でも浄めはありますしね。伊勢地方は多そうですね。
by SILENT (2009-07-17 19:26) 

sig

こんにちは。
湘南の海水浴場は明治のはじめからだったんですね。
2枚目の写真、夏のお菓子みたいで、おいしそうですね。
by sig (2009-07-18 10:50) 

SILENT

sigさん
先日蓮の葉にお酒を注いで下の茎から飲む
祭事を見ました。蓮の精が加わり甘露でしょうね。
by SILENT (2009-07-18 21:06) 

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