海道 [道]
東海道は東の海の道と書く。文字通り昔は海の上の道もあった。そして「海上の道」としての柳田國男が描いた遠い彼方の国からの道。大磯港から真鶴港迄のクルージングに先日参加してきた。海から見る陸地も普段とは違った光景を見せてくれた。
大磯港を出て直ぐに西側の大磯丘陵が見えている。波打ち際に土佐山内家の別荘だった場所に建つ大磯町役場が見えて来る。白い左手の建物。後方中央に大山が見えている。船にナビが備えていない頃の昔、漁師たちは山や大木の松等を目印に海上の自分の位置を知ったという。三角測量の原理であろう。「やまだて」と呼んだと聞いたことを思いだす。天候もあの山にガスがあがりだすと雨になる等、陸や雲や風を見ながら目安をつけたという。
中央町役場の建物の直ぐ右手の松林が鴫立庵、その右手の緑と白の縞の建物がマンションだが明治の頃は白洲正子の祖父樺山資紀の「二松庵」という別荘があった。
黒松は当時はもっと多かったであろう。
船は西へ二ノ宮辺りにさしかかると吾妻山が見えて来る。山頂は今頃は菜の花が植えられ見事な光景が見られる。
前方に突然富士が見えた。
海の道は江戸時代 伊勢詣での船も出たという。伊勢半島紀州からさざれ石の元となる石も海流に乗って来ると聞いたことがあるので潮は様々流れているのだろう。
真鶴半島三石が見えた。注連縄もくっきりと見える。その半島の向こうは静岡県だ。
真鶴の港に着いた。
かもめたちが餌をねだる
ヒッチコックの「鳥」の映画のようだ
沖合何処迄も追いかけて来る
帰りには小田原城にも接近して走る。相模灘は水深1000メートルの場所もある。
潮力観測塔が相模湾には浮かんでいるが今は役目を終えているそうだ。デジタル時代他の観測方法が幅を利かしているのだろう。
2010-12-21 13:38
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コメント(4)
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ご無沙汰しておりました
佐渡島に船で渡った時にも
カモメがずっとついてきてて
飛んでいる鳥のおなかを下から
観察できるのがおもしろかったです
遊んでいるのかと思っていましたが
餌をねだってたんですね(^^ゞ
by 雉虎堂 (2010-12-21 18:00)
もし自家用車のように手軽に船が買えたら、自家用船でのんびり日本の沿岸を巡ってみたいですね
by 駅員3 (2010-12-23 08:57)
富士山、すごく綺麗♪
海、素敵ですね
by sak (2010-12-23 18:30)
船の旅も面白いものですね
by COLE (2010-12-29 17:24)