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1958 [家]

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1958年頃の我が家の暖房は何だったのか思いだす。玄関を入り板の間の先の四畳半には掘り炬燵があった。木の櫓の格子と厚い何枚もの布団をかけた。炬燵の燃料は炭だった。炭俵で買っていたような気もする。炬燵の火種部分は四角くコンクリートが囲み、丸い大きな金属の蓋がかぶっていた。この蓋に直接足先を触れると厚くて危険だった。だから靴下を履いて炬燵には入ったのだろうか。まるで弥次喜多の五右衛門風呂のようだ。
祖母は湯たんぽや豆炭のアンカを使っていた。豆炭は七輪で炭火をおこしその上に一個の豆炭を乗せ火をつけ、その豆炭一個が一晩持った。朝の灰になった豆炭には、子供ながらに儚さを感じた。何故なのだろう。
大きな火鉢も使われ、いつも薬缶や鍋がかけられていた。蒸気は部屋の湿度を保ってもいた。石油ストーブが使われるようになったのはかなり後からだろう。小さな猫ごたつというのもありこれも豆炭が使われて一人用だった気がする。掘り炬燵からは猫が熱くなりすぎると身体を冷ましに畳の上に出て伸びていた。部屋中が寒くて部分しか温かくなかった昔を思うと、今の環境を総て暖めてしまうやり方はどうかと思う。
土間に達磨ストーブを入れたいと思った時期もあったが、これは実現しなかった。
ヒートショックはわかるがその境界線がどこにあったらいいのかとふと思う。十年前から使っていたデロンギのヒーターは電気代の安い国には向いているのだろうが、何故か猛烈に電気代がかかる要な気がして、今は床暖に頼っている。夜は湯たんぽが復活した此処数年である。気密性の高くなった断熱材たっぷりの家には有難いと思う事大である。1958年ころの風呂は小判型の木製の風呂で、燃料は薪だった。それが石炭になり、プロパンガスになった。

デロンギの冬に棘さす夕陽哉 SILENT
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コメント 5

cafelamama

子供の頃、我が家も掘りごたつでした。
燃料は練炭で、祖母が毎日こたつを上げ下げしていましたね。
マンション暮らしの頃は、デロンギを4台使っていましたが、
さすがに電気代がバカにならず、処分しました。
寝るときは、プラスティック製の湯たんぽを使っています。
毎夜、大きなやかんでお湯を沸かし、
熱闘を入れた湯たんぽを古くなったフリースの袋のの中に入れています。
足先に置くのもよし、腰のあたりに置くのもよし、胸に抱くのも良しです。


by cafelamama (2013-01-23 11:25) 

SILENT

cafelamamaさま
練炭は火力が強く、七輪や火鉢の中で使っていたのを思いだしました。新婚時代はアラジンのブルーフレームを使っていました。我が家の今は、猫の縫い包みの中に入った湯たんぽ、ドイツ製のゴム製のものにアニメのキャラクター・ショーンの縫い包み、私はプラスティックのシンプルなものと多彩な湯たんぽの顔ぶれです。翌日の夕方迄温くなってもある存在凄いと思います。
ドイツ製のは、夏は水枕にも使えるそうです。

水枕がばりと深い海がある 三鬼

真鍮の湯婆の口に黄泉光る SILENT
by SILENT (2013-01-23 13:27) 

tree2

デロンギザウルスのギザギザの歯!
by tree2 (2013-01-23 14:10) 

engrid

火鉢が欲しいなと思います
コトコト、おまめさんでも炊いたらおいしくできるだろうなて

by engrid (2013-01-23 17:52) 

SILENT

tree2さま
デロンギザウルスは、背骨と牙が発光します。
初期熱は大寒さなか留守に出路 SILENT
engridさま
去年の暮れは黒豆旨く炊けました。おせちは手作りです。
by SILENT (2013-01-23 19:55) 

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