魑魅魍魎 [時]
友人から一枚の葉書が届いた。あの懐かしいカウンターの店。あの店の一画にこの絵は掛かっていた。
あのカウンターに、村上春樹夫妻も通った時代があったという。数年前開店まもなくの店には、店主が一人だけしか居られず、ひたすら珈琲豆を炒っておられた。回転する手回しの機械の中で香り立つ豆の香りと、擂れる様な低い音が朝の時の流れを漂わせ、心地よかった。店主の方の左手は、文庫本を持たれ器用に片手で頁をめくられていた。一枚の絵のタイトルには「大坊珈琲店の午后」1982 牧野邦夫画 1925-1986とあった。61歳で亡くなった画家牧野さんも、このカウンターを眺め珈琲を飲まれたのだろう。朝のひとときコーヒー豆を炒る大坊さんの修行僧の様な姿が眼に浮かぶ。
友人からの葉書には、『12月に 閉店だって』とひとこと書かれていた。
老朽ビルの立て替えだそうだ。あの世界が消えてしまう。遠い日のカップから立上る至福の時間を思いだしている。
どれでも5枚で百円とある、薬の袋を買ってきて額に並べた。何故か目出度い空気が部屋に広がった。
昔は貴重品だった、砂糖という文字の豪華なラベルのせいだろうか。このラベルの時代、詐欺まがいの表示はなかった様な気がする。うさん臭いラベルは巷に多かっただろうが、モノが大切にされ、生かされていた豊かな時代であった気がする。貧しくとも豊であれるとは、何なのだろうか。
風邪薬も今より効きそうな気配もないか
山茶花も咲き出した
渋柿をウイスキーと焼酎で蔕につけ、渋抜きを始めた。
晩秋には様々な実が並ぶ。ゆず、檸檬、柿、林檎、蜜柑。
玄関さきに黄色は、風水でも吉兆とか。
あのカウンターに、村上春樹夫妻も通った時代があったという。数年前開店まもなくの店には、店主が一人だけしか居られず、ひたすら珈琲豆を炒っておられた。回転する手回しの機械の中で香り立つ豆の香りと、擂れる様な低い音が朝の時の流れを漂わせ、心地よかった。店主の方の左手は、文庫本を持たれ器用に片手で頁をめくられていた。一枚の絵のタイトルには「大坊珈琲店の午后」1982 牧野邦夫画 1925-1986とあった。61歳で亡くなった画家牧野さんも、このカウンターを眺め珈琲を飲まれたのだろう。朝のひとときコーヒー豆を炒る大坊さんの修行僧の様な姿が眼に浮かぶ。
友人からの葉書には、『12月に 閉店だって』とひとこと書かれていた。
老朽ビルの立て替えだそうだ。あの世界が消えてしまう。遠い日のカップから立上る至福の時間を思いだしている。
どれでも5枚で百円とある、薬の袋を買ってきて額に並べた。何故か目出度い空気が部屋に広がった。
昔は貴重品だった、砂糖という文字の豪華なラベルのせいだろうか。このラベルの時代、詐欺まがいの表示はなかった様な気がする。うさん臭いラベルは巷に多かっただろうが、モノが大切にされ、生かされていた豊かな時代であった気がする。貧しくとも豊であれるとは、何なのだろうか。
風邪薬も今より効きそうな気配もないか
山茶花も咲き出した
渋柿をウイスキーと焼酎で蔕につけ、渋抜きを始めた。
晩秋には様々な実が並ぶ。ゆず、檸檬、柿、林檎、蜜柑。
玄関さきに黄色は、風水でも吉兆とか。
2013-11-27 19:36
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コメント(4)
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大坊珈琲店が、閉店ですか。
あの佇まいが無くなってしまうのは、残念ですね。
12月の中旬に東京へ行く用事があるので
あの珈琲を、飲んでみたいです。
秋から冬の夕暮、あの店から見える夕陽が好きでした。
昔の薬袋は独特のデザインですね。
こんな薬袋を模したレコードジャケットがありました。
by cafelamama (2013-11-28 10:35)
私も大坊珈琲店には二度行った事があります。
濃く、深みのある本格的な珈琲は私の好みでありました。
自家焙煎の珈琲店、
最近は足が遠のいていますが地元にも一軒ありまして、
丁寧にネルでドリップされる珈琲は珠玉であります。
近々訪れたいと思います。
by 寂光 (2013-11-28 16:39)
驚くと同時に、青山のあの地でよくも続いたもの、とも思います。
初めて大坊を訪れたのは1980年ころ、
当時から、“古ぼけたビル”でした。
この記事を拝見して、
あの店内の忘れかけていたイメージが蘇ってきました。
はや十二月、やはり最後の一杯はいただきたいものです。
by e-g-g (2013-12-08 12:27)
SILENTさんのこの記事で、大坊珈琲店を軸にしたcaferamamaさん、寂光さん、e-g-gさんとの4人のつながりがソネブロによって分かる・・・いかにも今日的でいいお話ですね。
by sig (2013-12-20 16:09)