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二月二十六日 [雲]

今朝は、高さあるものについて考えた。高度成長という言葉があった。経済がある高みを目指し、実際に好景気としての持続性を保ち、経済発展を遂げた。物質としての高さを人間はどう感じていくのか?高層ビルを見るといつも考えてしまう。超高層ビルを高速度で垂直移動するエレベーター。数百階や数十階の高さへ垂直移動を階段での歩行は難しい。非常時には階段を使わなければならないが、これは日常ではない。
人は遠距離の移動を主に水平移動で行ってきた。大地を歩き、走り、馬に乗り、鉄道に乗り、船に乗り、飛行機であれ水平に移動して、ある地点に移動した。アルピニストが山に登る垂直移動は日常ではない。
高層ビルができ、地下の都市ができ、いつか人々は垂直移動しての空間を日常にしてきた。たかだか数十年の歴史なのだが。
超高層ビルに住む人々を思うと何か気が遠くなる世界に思える。

その高層から見下ろす世界は、何か鳥たちの眼をも超えてしまった。バードビュー鳥瞰する世界は、何か支配階級や上流階級というイメージまでも生み出す。現実に超高層のフロアーは高く取引され、成層圏旅行は今でも高額料金だ。超高層で暮らす人々とその人生何故か考えてしまった。

約100年以上前の昔に百科全書派と呼ばれた人々がいた。彼らの時代百貨店というものも同時に誕生したということに興味を持った。誰かが百貨店は人間の体の構造によく似ているという話を思い出す。客は地上からエレベーターで屋上もしくは最上階の催し物売り場に運ばれる、そして一階までのフロアーを噴水効果という仕組みで巡回させ地下へと降りる。
各フロアーが人間の欲望や内臓器官と対比させていたのだが忘れた。
言えることは、頭に当たる上層階に、脳や重要なセンサー器官や最優先の機能が集中しているということ。そして人間の足に当たる機能がそれを支えているということ。現代の縮図の科学万能主義、経済優先主義が超高層ビルの姿にも重なる構図が興味深い。

かって地下や、天空に天国という理想郷があり、水平な西の彼方に彼岸があると信じていた人間は、物理的な空という空間を占領し始めた。
昔、一本の蝋燭を手に蝋をしたたらせて祭壇に捧げる人の指先と、日本では見かけない細く長い蝋燭を見たパリの教会での光景が忘れられません。
その細く長い蝋燭は、教会のドームの高い空間に呼応していたのを後から知ってからです。教会の高い尖塔は神々の住む国を指しているのも後から知りました。寺院の尖塔や鐘楼はイスラムでも、キリスト教の国でも、仏教の寺院でも見かけました。
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人は高きになぜ昇りたがるのか、それは支配するためか、己が小さきことを知る為か、様々な情報や未来が高い位置からわかるからなのか。でも地上に降りた時の存在も知らなければならない。小田実さんの「鳥瞰と虫瞰」の世界観を思い出しています。
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