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三月六日 [遊び]

『人間にとって家族とは何か』山極寿一さんのアフリカで再開したゴリラの話を読んで何か嬉しくなりました。26年前のゴリラのタイタスとの出会いも感動でしたが、以下再会の話は素敵です。
『遊び』とは、人間も動物も、相手に合わせて行動し、弱い相手ならその相手に合わせて戯れる行動だそうです。相手と共感を得て楽しむ行為。
上から目線では遊びにならないということに惹かれます。真に対等であることなかなかできないことです。遊びは、何か人生でも大事なんですね。


26年ぶりの再会は、しかしながら、期待とは裏腹な結果となりました。人間でいえば60歳を優に超えて、よぼよぼしているタイタスは、山極さんの呼びかけにも反応が鈍く、忘れてしまっているのかと思えました。それでもあきらめきれずに、3日後改めて山の斜面を登り、会いに行きます。すると、正面に坐っていたタイタスは、5メートルほどの距離まで近づいてくると、まっすぐ山極さんの顔を見つめ始めました。山極さんは驚き、タイタスの顔をじっと見つめ返します。目が合いました。すると、驚いたことに、タイタスの顔が急に若返り始めます。山極さんが「グッ、グフーム」と挨拶すると、彼も「グッ、グフーム」と応えます。

〈わたしはまじまじと、タイタスの顔をのぞきこんだ。
 すると、ますますタイタスの顔が若返り始めたのである。もう、若者どころではない。目が光をまして、好奇心に燃えているときのように金色を帯びてきた。顔つきが少年のようになり、目がくりくりとして、まるでいたずら小僧のような表情になった〉(『野生のゴリラと再会する』くもん出版)

 タイタスは両手を挙げて仰向けに寝転がりました。子どもの頃のタイタスの寝相そのものです。大人のゴリラは絶対にしないポーズだといいます。さらに近くにいた子どもゴリラをつかまえて「グフグフグフグフ」と笑いながら、レスリングごっこのように遊び始めました。これもありえない出来事です。タイタスが子どもに戻ったのだ、昔一緒に遊んでいた頃に戻ったのだ、と山極さんは気づきます。何か映画の名シーンを見るような場面ですね。山極さんは、人間は古代から『共感』という他者と同じようになるという心を獲得してきたと言います。この共感という能力は、人間同士でなくても、タイタスというゴリラも共感能力を持っているのでしょうね。自然の木や岩や草とも共感できるといいます。凄い力ですね。
老ゴリラ60歳超えのタイタスは、今はアフリカの空の下で、どんな生活をしているのでしょうね。

〈それを見て、私も彼と遊んだ昔を思い出して、体がざわざわと動くのを感じた。まさに記憶が体の中でよみがえった瞬間だった〉(「老ゴリラとの再会」、毎日新聞2013年10月27日「時代の風」より)
三月六日.jpg
昭和6年の今日、大磯別邸へ梨本宮殿下御成り。平成27年の梨本宮別邸は戸建て住宅が建ちならび、一戸十戸の光景が展開している。その隣の敷地にはジョサイア・コンドルの別荘があったが、現在では低層マンションとなり居住者を募集している。
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