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三月七日 [ネット]

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『家族進化論』山極寿一著を読んだ。正確にはあとがき周辺のみなのだが、、、、、
「私たちの世界は心や体の準備ができないうちに携帯電話や、インターネットの技術を使い始めている。もはや人間同士が直接会うことなしに、重要な決定が下される時代になりつつある。逆に他者と顔を合わせることによって得られる対象が、家族ではなくネット上の見知らぬ人物であったり、話をしたこともないタレントや政治家だったりするのだ。本来、共感を抱く対象であった家族につながる親族や、友人、共に生活をわかちあう隣人たちに関心を向けなくなり疎遠になる傾向が強まっている。この状況を放置していてよいのだろうか。

私たちは古いコミニュケーションも家族も捨てて、遠隔操作の可能なコミニュケーション技術によって新しい社会を創造すべきなのだろうか。だが人間の心と体は
そう急速には変われない。今の社会では満たされない心身のきしみが数々の事件を生んでいる。もう一度、私たちの自然と文化の歴史を振り返り、家族の意味を問い直すべきではないのだろうか。」家族進化論 2012.6.刊

著者の『暴力はどこから来たか----人間性の起源を探る』は、「戦争につながるような人間の攻撃性は、長い狩猟生活を経て鍛えられた攻撃本能を武器によって拡大した結果である、という説に異を唱えようと思って書かれたという。進化史の大部分を人類の祖先は狩る側でなく、狩られる側で過ごしてきた。人間の社会性は攻撃ではなく、大切な仲間を防衛することで発達してきたのだ。共感と同情に満ちた行為はその所産である。人間に特異的に見られる高い、執拗な攻撃性はその延長線上にあるのだ。家族は人間に古いタイプのコミニュケーション、すなわち対面や接触を通じて感得することを通して強い信頼感を与える装置である。
言葉はその範囲を拡大するが、相手の感情を大きく揺り動かしてしまう効果を持っている。信頼の代わりに権力やたくらみを付与してしまい、嫌悪や敵意、疑いや不安を増殖させてしまうこともあるのだ。それが国家の戦略として使われた時、大きな戦いに発展することを、私たちは嫌というほど思い知らされてきた。」

言葉はまだ生まれて間も無い、人間の道具だという言葉に非常に共感します。言葉以前の世界をおろそかにしてはならない。それは人間の五感であり、第六感でもあるのでしょうか。著者は言葉の誕生に、「人間が対面してお互いの顔を見つめること」を挙げておられてハッとしました。顔の認識はコミニュケーションでは重要な情報です。特にその人間の眼は、白目があって黒目の動きがより強調されています。『眼は口ほどにモノを言う』とう格言もあります。確かに他の動物では白目が多いものは浮かんで来ません。アーモンド型の眦の形は水平方向の距離や、動くものを捉える能力とともに、お互いのコミニュケーション能力を高めたのでしょう。この目の動きが言葉を生み出す段階への要素があるのではという指摘に何か懐かしいものを感じてしまった朝でした。


平成27年3月7日 今朝の気温、室温で10度。寒暖計の横にはビールという文字が、ビールの飲み頃の温度、体感では指先が冷たく、ホットビールやホットワインが欲しいと体は要求しています。

昭和3年、一尾50貫もある大鮪(おおまぐろ→160キロ越えか)250尾の大漁に湧く大磯港。
昭和6年、白岩神社祭典執行。(最近大磯駅の正面に見える崖の部分が白い岩であることを発見、木々の葉が落ち岩が見えるのだが、この地層が白岩神社まで連なり岩山の上に御神体があった当時を思い浮かべてしまった。山の別荘と呼ばれた伊藤博文が母のために造った別邸の庭からも白い岩の姿の良いのが見えたという。)昭和17年鰤大漁、5500尾
昭和28年 大磯八景音頭の作詞出来上がる。鴫立庵主の鈴木芳如さん作詞。

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