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四月二十八日 [うつわ]

明治42年4月26日、嫁入り祝いの石投げ(湘南大磯地方では、婚礼の祝いに婚家の屋上に石を投げる習慣)で、石が顔に当たり重症。重傷者は誰だったのだろうか。石投げという習慣はいつ頃から始まったのだろうか。それは全国でも見られたのか。なんのために始まったのか興味が尽きない。由来にも深い意味がありそうなのですが。中沢新一さんの本に礫考といったものがあった。「飛礫という習俗は今はほとんど神事やお祭り程度でしか残っていないのだと思うけど、飛礫がおそらく千年以上続いてきた、その背景となる意識や日本的な申し合わせみたいなのはまだ残っていて、何らかの行事でアジール的状況が生まれたときに、ハメを外して暴れてもかまわない、という心理が働くのではないかなぁと思った。」つぶて、礫、石つぶて、深そうな考察だ。

先日の日曜日、1976年の記録映画で、奥会津地方の木地師の記録を追ったものを見た。山の八合目以上の木は木地師達の采配で利用する事が出来たといい、木地小屋を村の人たちと共同で再現するシーンが面白く、感動した。数人の男たちが山の木を切りだし、草原を整地し、穴を掘り、柱を立てる。柱にナガと呼ばれる丸太を渡し、サスと呼ぶ屋根の斜めの柱を乗せる。その上に屋根のてっぺんのグシと呼ぶ丸太を乗せ、女たちが刈った熊笹2100束ほどを屋根や壁として葺いていく。ジョイント部は柔らかな木を使い釘は使わない。10畳ほどの内部に床を張り床材は貴重なので移動の際には運んだという。道具はヨキという斧状のもので作り、鋸は使わないのでいたが大事だったという。木地師は免状を持って全国の山を渡り歩いたという。百メートル上流の水筋から水を引く。途中の崖筋には丸太をV字に削った樋を渡す。全てが山の自然からいただく材料に驚いた。四日ほどで10畳の家が完成したのには驚いた。仮小屋とはいえこれで数年は生活したのだろう。石を積み上げ土で固めて囲炉裏も作られた。
四月二十八日.jpg
家を作るとは何か、潔すぎて心が洗われる思いがした。
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