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五月十三日 [線]

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『糸と縄の交換』という言葉を聞いた。1971年(昭和46年)沖縄返還協定が結ばれた。翌年日米繊維協定が結ばれ、日本の織物業者は、『糸と縄を取り替えた』と表現したという。かって日本の絹産業は、世界に輸出され外価獲得で国を潤した。その絹の産業が栄えた要因に欧州の養蚕地帯が幕末の頃、微粒子病の発生で壊滅的な状況になり、この病に汚染されていない日本の蚕の種は急騰し、生糸とともに輸出されたという。明治という時代に一大産業を築き上げた絹製品は今の日本では少ししか見かけない。絹はナイロンにかわり、ポリエステルやレーヨンなどの化学繊維が幅をきかしている。絹の靴下の時代も終わり、今ではナイロンのストッキングの時代も終わろうとしている。
そんな絹を生み出した桐生という町で、1980年から急成長したのがパチンコメーカーだという。織機の製造技術を生かし全国の7割近くもパチンコ台やシステムを生み出しているという。
『糸から玉へ』時代は、大きくバトンタッチされたのだろうか。パチンコの玉といえば名古屋を思い出す、ともに繊維の産業が栄えたトヨタ織機や浜松の自動車産業への転換を連想する。
時代は、何かと交換で動いている。石炭から石油へ石油から電気へ、何かと交換して何かを得るが失うものも大きい。世界遺産となった足利の製糸工場にも負の遺産と、正の遺産の両面があるはずだ。天秤秤は傾かないなんておかしいのだと思う朝です。

絹のような若葉が、初夏の風にそよぐ、台風一過、夏が来ました。

明治29年伊藤博文公54歳、この日小田原から大磯へ移転計画中の大磯の別荘が竣工、披露を兼ねて名士を招き文墨の会を催す。漢詩二首を詠む。招かれた文人を翌朝の新聞は「文人が宰相の幇間になった」と批判、文人たちは大いに反発とある。いつの世も。

日本の今の指導者たちで、漢詩を詠めるものはいるのだろうかと、思う。
中国の指導者たちにも漢詩をつくれるものはどれだけおられるのかと。
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