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六月十六日 [水]

ファミリーマートで買える本という、広告か書評かわからない雑誌のページに
『ブレない人はうまくいく。』仕事でも恋愛でも迷わない、”ブレない”人になるために
という頁があった。
ブレる人は、「誰が」言っているかを優先する。
ブレない人は、「何を」言っているかを優先する。
とある。ブレるとは何だろうか。迷って自分の考えを持たないことだろうか。
自分が、ブレないと仕事も恋愛も、うまくいくということなのか。気になるばかり。

かって仕事中に、同じことを言っても、言う人が変わると、相手が態度や聞く耳を持つことに悩んだ自分がいた。何故同じことを言っているのに、違って受け取られるのか。相手は誰が言っているかに重点を置いていたからだ。何をいているかより、その言葉以外に態度や人柄や、様々な情報を、「誰か」という情報に重きを置いていたからだ。今にして思えば当たり前なのだが、「何を」言っているかを聴かないその相手や、社会が理不尽に思えた。若いときに周りがブレない大人達だらけだったらどんなに良いかと悩んだ。そのお陰で数少ないブレない大人に出会うと嬉しかった。当時も今もブレない大人は、只の頑固者にすぎないのかも知れないが。

迷うことは最近は、大事なことだと思う。ブレることは人間として必要なことと思う。
ブレないことが、相手から嫌われても、必要だという世界はわかるが。
『智に働けば角が立つ、情に棹させば流される』バランスから言えばブレない人間が望ましいが、ブレがあるからバランスも取れるという解釈も成り立つ。程度問題かとおもう。今の世は智が先行しすぎている気配も多く、情の曖昧さが必要なのだと感じてしまう。

例えは悪いが、道を覚えるのに、地図を読むのに、「動いてしまう変わってしまうものを目印にするタイプ」と「変わりにくいもの、山や川やビルを目印にするタイプ」の違いも同様なのかと考えてしまった。

今朝は天から見た梅雨の大地をペンで描いて見た。指先のリハビリと脳の活性化を期待して
『梅雨の大地』と題しました。『つゆのわ』のがいいかもです。
梅雨の軌跡.jpg

昭和28年(1953)の今日、街も村も自転車ラッシュ。本県神奈川は銀輪王国。都市8.6人に1台。郡部では7.2人に1台。バイクも増加中。

イタリアの名作映画「自転車泥棒」を思い出す。不景気の時代のイタリアと、昭和28年頃は重なるのだろうか、自転車の列と人々と街の喧騒、破れかけた石壁のポスター。あの頃は何か重い気分の毎日だった。今は原色にあふれ豊かになったのは本物の世界なのだろうか。
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