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1月22日 [俳句]

崖の道下りれば家よ今年竹 秋元悟楼


今年竹は、季語が夏。筍や、今年生え出した若竹や、新竹のこと。この短冊を手に入れたときから、崖の下という、上句が妙に気になっていた。今朝新聞を見て何か共感を覚えた。句の作者、秋元梧楼は、夏目漱石の俳友であり、大正元年に漱石揮毫の「明治百俳家短冊帳」を作っている。
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「崖」という存在が、漱石作品の「門」の中で重要なメタファーとして描かれたのではと、姜さんは指摘する。
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崖という文字が、そのまま切り立つ崖のように、力強い。門の主人公の家は、崖下にあった。
崖の上の人々の狂宴や、生活の気配が、崖下の竹薮に生え出した、筍で浄化されるような句だと想うのは考えすぎだろうか。姜さんは、漱石はデフレの文学という。福澤諭吉が好まれるインフレの時代は終わったともいう。
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「門」の中で静かに語られる、伊藤博文公暗殺の時代。満州に出かけた漱石が見た日本の姿。
今年竹は、崖の高さには達しないが、何か深い愛の象徴のようにも思えます。
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漱石の作品の中の崖と、句の中の崖が
同じかは、わからないのですが、深いつながりを感じました。俳句とは不思議な世界です。

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陽だまりに夏の短冊手にとれば むおん



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コメント 2

マリー

俳句に込められた真の意味は、SILENTさんや姜さん
の様に自分なりの解釈もできませんが^^;
「書」の美しさはストレートに認識しました。
by マリー (2016-01-22 19:48) 

SILENT

漱石は、何か胃が痛くなるような展開が感じますね。
福澤諭吉の高みは好きではありませんが。
マリーさま
by SILENT (2016-01-23 19:00) 

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