3月7日 [時]
大磯駅周辺の昔と今
明治20年開業当時の国鉄大磯駅初代の建物
彩色は横浜写真の手法か
下り列車は客車と貨物の連結編成。駅前で発車時刻の前には鐘を鳴らして知らせたそうです。
招仙閣という旅館が駅の山側にあり、駅から歩いて1分。伊藤博文公もこの旅館で大磯滄浪閣建設の指揮をとったという。その伊藤博文が使っていたという寝台で、横浜富貴楼のおかみ、お倉は亡くなったのも招仙閣だという。
大正時代の大磯駅、駅前の人々は演出か。
大磯駅を東京方面へ向かう蒸気機関車
春雨か霧が包みし陸蒸気 無音
明治20年開業当時の国鉄大磯駅初代の建物
彩色は横浜写真の手法か
下り列車は客車と貨物の連結編成。駅前で発車時刻の前には鐘を鳴らして知らせたそうです。
招仙閣という旅館が駅の山側にあり、駅から歩いて1分。伊藤博文公もこの旅館で大磯滄浪閣建設の指揮をとったという。その伊藤博文が使っていたという寝台で、横浜富貴楼のおかみ、お倉は亡くなったのも招仙閣だという。
大正時代の大磯駅、駅前の人々は演出か。
大磯駅を東京方面へ向かう蒸気機関車
春雨か霧が包みし陸蒸気 無音
2016-03-07 14:45
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