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4月06日 [映画]

昨日見た映画は、1978年カンヌ国際映画祭最高賞のパルム・ドールをとったイタリア映画「木靴の樹」という作品。同じ映画館で37年ぶりに再び見た。

木靴の樹1.jpg

冒頭、トウモロコシ畑の収穫のシーンから始まる。19世紀の北イタリアの貧しい4軒の農家の家族の物語。すべて自然光で、役者を使わず本当の農民達で撮ったという3時間を超える映画だ。
中世の名画が動き出すように、画面の空、画面の中の大地、自然の音が素晴らしい。
地主の豊かな生活と、管理人の非情さ、農民達の眼差しと数々の寓話に満ちた出来事が淡々と綴られていく。イタリア映画のリアリズム作品、鉄道員や、自転車泥棒の世界に共通する温もりを感じられる映画だ。一本のロウソクとランプの下で数十人の4軒の家族が集まり、大人たちが交代で毎夜子供や家族たちに話をするシーンは圧倒される。共同体としての家族と子供たち。

日本の遠野物語のような世界を感じた。鶏のフンでトマトを育てる老人と少女のエピソードは記憶に残り37年間覚えていた。当時は暗い画面の連続と思っていた映画が昨日には何故か思ったより明るく感じた。現代の世の中が暗くなってしまった反映なのだろうか。

ミラノに新婚の夫婦が出かけるエピソードは何か新しく見て胸が詰まった。修道院の12人の晩餐のシーンが、最後の晩餐の構図とそっくりで、自分がミラノの出張で見た最後の晩餐と、ドーモの聖堂のシーンが映りハッとした。映画の中の晩餐は、新婚夫婦の最初の晩餐だったのか。翌朝夫婦の赤ん坊が差し出されるシーンは、キリストの誕生かと深読みしたりして。ミラノのデモ隊の鎮圧の騎馬警官たちも現代に通じる大きな流れを感じ、決して古い映画ではないことを確信した。
木靴の樹3.jpg

6時間をかけて学校に歩いていく少年の木靴。割れた片足をぶら下げて帰り、靴下も脱いで寒い道を歩いてきた。その日少年の弟が、生まれていた。母親からお祝いにと白パンを貰う少年。
何か懐かしい思いが甦る。

木靴の樹4.jpg
荷車を引く馬車、解体される豚のシーン。積み上げられた薪、農家のベランダに干されたトウモロコシ。新婚の二人が早朝教会に向かう草原の花と絵画の中の太陽のような日の出。

ふと、現代のアメリカのアーミッシュの人々を思った。100年前のイタリアと、現代のアメリカのアーミッシュの人々。イタリアから移民で新大陸に渡った家族もいるだろう。現代のアーミッシュの人たちも文明の利器は極力長い時間をかけて吟味してから生活に取り入れるという。
100年前の人々の豊かさと、現代の豊かさの大きな違いと、その中でしっかりと繋がっている何かを映画の中に見た気がした。


木靴の樹2.jpg



    未来は何故か懐かしい 過去は何故か新しい


木靴の樹.jpg

1978年は世界でテレビが活躍を始め、映画の時代が終焉を迎え始めた時代だそうです。今はテレビが終焉を迎え、スマホやインターネットの時代になってしまいました。家族とは何か世界とな何か、
「木靴の樹」は未来を教えてくれたような名作でした。


木靴の樹  関連情報http://www.zaziefilms.com/kigutsu/
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コメント 1

粋田化石

「木靴の樹」私も見てみたいです
アマゾンで調べたらDVDソフトは高めでしたので、レンタルビデオを借りようと思います

世の中は今以上に便利にならない方が良いかもしれませんね
便利になると失われるものもあるでしょうから
by 粋田化石 (2016-04-07 08:32) 

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