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4月28日 [人]

憲法記念日という日が今年も近づいている。日本という国は法治国家なのか。1mSvという国民を守る基準を簡単に20mSvという単位まで引き上げた国。それは法治国家ではないと言っても存在する国。
法とは、なになのだろう。
最近京都大学総長の山極寿一さんの話が気になる。ゴリラ研究で世界的にも著名で、「人間とは何か。何処へ行くのか」がゴリラの全てを知る事で見えてくるという。そのゴリラの集団は、10頭前後だそうだ。人間の家族もかっては十人前後が標準だった。その十人前後という数は、両親や子供祖父祖母達から成り立っていた。お互いに会話はするが、顔を見て何も言わなくてもコミニュケーションが成り立っていく人数だという。それは今ある世界中のスポーツのチームの数に匹敵するという。サッカー、野球、バスケットボール、ラグビー、バレーボール、フットボール、全て十数人前後の言葉を必要としなくて成り立つ人数だという。山極さんは、人間の脳の発達がこの人数での行動を出来る能力まで押し上げたという。
現代人の脳の処理能力で最大、全ての顔や人柄、対話など社会的な把握が可能な人数は約150人から200人だという。自分でも両親や家族学校社会を含め出会いお付き合いしてきた人の人数を頭の中で数えてみた。一期一会の人を含めれば数千になるが、今も一年でコミニュケーションを取る人は数十人がいいところだ。

憲法の話からそれているが、家族という集団の上に、人間は村や集落、国家まで作らざるをえないほど発展した。そのためには、言語や文字という道具が必要となった。文字通り憲法は、文字ということ記号で書かれている。

音楽というものの真価は翻訳不要で、世界中の人にコミニュケーションが取れるものだという。
世界の国々の憲法は、書かれた内容が共通したもであっても、文字であるがゆえに翻訳が必要となる。
自国の憲法でも解釈の相違が、立場や状況で変わる。

憲法が音楽で表されたような国はないのか突拍子もない事を考える。世界の国家は行進曲のように勇ましい。心鎮めるような荘重な国家も肩が重くなる。

家族が核家族になり、国家が鎖国を始めるような時代、人間の脳の極限を越え人工知能が世界を動かす時代。何か不確定要素が多い世界には、わくわくさせられる。今朝です。

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