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7月04日 [物語]

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横須賀生まれの自分は、5歳くらいの頃、道ですれ違った米軍の将校のような軍服を着た兵隊からチョコレートを貰いそうになりました。その時何か屈辱的な気がして貰うのを拒否しました。周りにいた大人たちは貰っておきなよと言いましたが、大人たちの発言が悲しくなりました。
ものを貰うのに理由が、わからなかつたからです。

今日はアメリカの独立記念日です。横須賀の米軍基地は友好のためと、公開されていました。20歳の頃か基地を見学しました。野球場の芝生の上に、ステージが設置されホイットニーヒューストンという歌手が歌いました。あのボディガードで著名な歌手と同一人物だつたかは、わかりません。その後フランシス コッポラ監督の地獄の黙示録で、歌手の慰問のステージシーンを観てこの独立記念日の夜のステージを思い出しました。

その日、星条旗と日の丸の国旗掲揚があり、星条旗の掲揚で胸に手を当てる海兵隊のシルエットがとても凛々しく感動的でした。愛国心とは何か心にしみた日でした。

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コメント 2

lamer

お生まれは横須賀でしたか。
日本が第二次世界大戦で負けて米軍が上陸して来た時が5歳。
私は10歳でした。
近くの芸妓置屋にOFF LIMITと書かれたプレートが凄く印象的でした。
米兵の宿舎も町外れに出来たのでしょう。
米兵やMPが町に歩くようになって不気味でした。
放出物質のベーコンが凄く塩っぱかったです。
日本は戦後70年立ちましたが本当に独立してるのでしょうか?
アメリカの独立記念日だったのですね。
by lamer (2016-07-05 00:53) 

SILENT

lamerさま
横須賀のドブ板通りの夜の、1950年代は檻のような鉄格子の箱を乗せた大きくMPと描かれた車が基地が来て巡回していました。獣が中にいるのかと覗くと、喧嘩をしたり、暴れた水兵が中に腰掛けていて、連行されて行きました。闇の中に派手なネオンサインだけが輝く町でした。それから数十年して、ドブ板通りは、自衛隊の人が多くなりました。
国防軍の兵隊だらけの街には、絶対なって欲しくないです。

by SILENT (2016-07-06 08:32) 

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