8月23日 [祭]
ブラジルのオリンピック大会が終わった。祭りのあとの、静けさと、一部熱狂した世界の人々の余韻が残っている。都市同士が争い、その束の間の休戦協定から五輪大会は生まれたという。自分も熱狂した一人だが、世界では熱狂の別世界にいる人達の数のが多いのではないか。空席も目立ったという競技の会場、スマホやテレビ、ラジオの観戦者は、結構多かったのではないか。中継のカメラの映像技術は素晴らしい。超現実的な夢の世界のようだった。その夢もマリオに扮し地球の裏側から現れた某国の首相の顔で興ざめした。都市の代表でなく、その国家が次は仕切る大会なのか。スポーツマンと政治家何か別世界の人の気がする。
メダルの数を競って、自分が取ったかのように発信するマスコミのしつこさ。見なければいいのに、これらを見続けた自分が悪いのだろうか。
祭りにも心洗われる祭りと、経済第一主義の祭りの二つの側面がある。
原点に帰り、祭りが果たすべき役割を、何に求めるのがいいか深く考えたい。
岡本太郎は言った。駆けっこで一番になるよりも、ビリでも一生懸命走ったその力こそが本当の一番だと。
世界には、様々な暮らしがあり、その中で一番を目指す人がいる。
一つの競技で順位付けもいいが、そうなったら私は、100メートル競争で、7805967位くらいです。
次のオリンピック、世界中の人が同じ時間に100メートル競争のタイムを競う。画面に、貴方は世界第何位ですと表示される。そんな世界があるかもしれない。でも大丈夫です。多様性の世界では、貴方の順位が高いものが見つかるはずです。
早食い選手権、居眠り最長選手権、駄洒落選手権、などなど多様。
スポーツの語源は、暇という言葉から、身体を使うスポーツと、頭を使うスクールという二つの流れに別れたそうです。
頭脳のオリンピックは、何なのでしようね。
2016-08-23 09:50
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