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9月07日 [人]

1974年発刊の、イメージの翼・細谷巌アートディレクションから
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何処か尊敬する写真家アービング・ペンの香りが
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学校の大先輩に、グラフィックデザイナーの細谷巌さんという方がいらっしゃいます。12年ほど前に「細谷巌のデザインロード69」という本を出しておられ最近読みました。

69歳。アートディレクター50年。ROUTE66にかけた素敵な表紙の本です。
1935年生まれの細谷さん、本名はイワオさんだったのが広告業界に出てからホソヤガンのがいいと言われ、ガンさんになったそうです。名前でイメージがやはり大きく違いますね。

19歳で当時花形だった日宣美展の「特選」を受賞されたそうです。その時の先品がジャズをテーマのポスター、当時のレコードのジャケットを暗記するようになめるように眺めていて生まれたポスターなんだそうです。4x5のカメラで撮ってB全用紙にプリントして手書きの文字を描きこんだのだそうです。印画紙の水張り、ポスターカラーが印画紙では弾いて大変だったそうです。
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会社ではケント紙の水張りをしょっちゅうやらされていたそうです。学校で自分も始めての水張りをしたとき緊張したものです。重たい木枠の上にケント紙を置き、平たい刷毛でケント紙の表面をさっと濡らし満遍なく濡らしたら縁部分を紙のテープで四方を抑える。水平にした状態で日陰で1日乾かすと紙は翌日見事なほどに張りつめられている。手を抜くと紙が裂けていたり紙の張力で四方のテープが山打っている。なかなか難しい下地造りの作業でした。同級生が二階の窓から木枠を差し出し太陽に紙をあてて、先輩から怒鳴られた記憶もあります。

学校では、柿渋を和紙に何回も塗って木枠に張り込んだ、襖ほどの大きさの日本画家が使っていたようなものもありました。軽くて便利そうなので横浜の金沢区にあった経師屋さんに別注で自宅用のも作って貰いました。
学生でもオーダーできる値段だったのでそれほど高くなかったのでしょう。

巌さんは、日宣美展へもう一度ポスターを応募します。草月流家元の「勅使河原蒼風」というレタリングを主体にした作品です。

その作品を作ったときの気持ちの文章が最高なので以下に引用させていただきます。

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小柄な男が田圃に囲まれた夜道を歩いている。木枠のついたB全のパネルを抱えて、東京都と神奈川県の県境にある男の家へと急いでいた。夏の夜なので、タニシや蛙たちの合唱が騒々しかった。夜空には流れ星がすうっと線を引き、澄んだ空気の中で見慣れている星座がキラキラと輝いていたという。(1956年の夏 作者21歳)

家は寝静まり、弱い光の裸電球が薄暗い部屋を照らしていた。
男は東京銀座にあるデザイン会社から終電車に乗って、終バスもなくなってしまった町田駅から一里(四キロ)の夜道をパネルを抱えて歩いてきたので、少し汗ばんでいた。

蚊帳の中で寝息をたてて眠っている家族に気づかれぬように、ちゃぶ台を部屋の隅に組み、パネルを静かに置いた。奥の部屋から「イワオ、遅かったじゃないの」と母の声がした。男は黙ったまま、乾いてしまっている瓶に入った大和糊に水を注いでいた。それから会社の引き伸ばし機で写してきた文字の書いてあるトレーシングペーパーと、六色のカラーペーパーをていねいに拡げた。蚊帳の外なので、蚊がひっきりなしによってきた。
男は不器用なので、すらすらとイラストとかパターンが描けなかった。どうしたら良いものかと、いろいろ悩み、考えた末、文字を使って作品をまとめようと決め、アイデアが浮かんだのが昨日だったので、締め切りが明日になってしまったのだ。中略〜
天地三十センチの文字を、なぞり慎重に裁ちばさみで切り抜いた。
六色の切り抜かれた文字は丸まって、平らに紙に貼るのに苦労した。
男は六輪の花がパット花器に活けてあるようにしたいと思っていた。

構成が決まると、切り取った文字を、ゆるく溶かしておいた糊を筆で塗り、糊が乾かぬうちにすばやく黒紙に押しつけ、手ぬぐいではがれぬように何度も強く擦った。擦ると糊がしみだしてきて、精液を連想させた。
男は二十歳だった。

相変わらず家族はすやすやと眠っていた。男の家はは半農半商で、祖父夫婦も健在の十一人の大家族だった。八人兄弟の三男坊である男が違った職業の仕事についたので、家族からはは全く仕事がわからなかった。
明け方父親が十枚ほどの雨戸を開け終わると、眠そうな顔をして家族が次々と起きてきて、男のやっていることを不思議そうに横目で見ながら、井戸端へと顔を洗いに出て行った。時計は五時をさしていた。

1956年の秋、日本宣伝美術協会の日宣美展特選のポスターを誕生のお話
何か、日本の宣伝の歴史を垣間見るようで感動的でした。
今ではコンピュータの画面操作で、文字フォントを自由に操り、レイヤーで動かして一滴の糊も使わず、操作ができる時代。

トレスコープ機の拡大と、カラーペーパーと、裁ちばさみと、大和糊の世界、凄い60年前の情熱を感じます。
因みに自分がデザインの勉強を始めた時代、コンピュータという言葉が聞かれ始めました。十代の自分にも何かとてつもない時代の予感がありました。でも手が人間の素敵なにない手だった時代の情熱を細谷巌さんという方は教えてくださった気がします。1965年の東京晴海でNTカッターという道具に出会いました。刃先が折れて使えるなどなんと最先端と感じた世界でした。

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潔い作品で、間が最高でスキがない構成で、空気が張り詰めていますね。

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その後の、細谷巌さんの作品世界、日本の古武士の精神を感じるのです。
繊細にして大胆、刀の切っ先の潔さとクールさを美しい厳しさと思えるのです。

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画家横尾忠則さんが描いた巌さんです。

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コメント 4

lamer

ベニヤ板を木枠に張った仮張りを使いました。
ケント紙の裏面に刷毛で水を敷いて紙を延ばします。
裏返して濡らすと粘着状になる仮張り用のテープで木枠の側面に止めます。
B全のパネルにケントを水張りするのは大変でした四隅にテントが張らない様にしなければなりませんから。
タイポグラヂーと言うジャンルがありましたね。
細谷巌さん覚えています。
自分的にはガンさんって呼んでいたと思います。
by lamer (2016-09-07 18:29) 

SILENT

lamerさま
全紙の水張りされましたか。学校の仮張りの台は無垢板の重いものでした。製図もこの上でT定規を使った記憶があります。仮張りと言う木枠の呼び方は、日本画や表具の世界で使われたようで、学校にあつたのは、日本画の出身の先生がいたからかもしれません。
細谷巌さんご存知でしたか。東京五輪マークの選考委員にも名を連ねておられるので、現役でディレクテイングもされておられるようです。会社でトレスコは、御自分だけしか使わないが、捨てられないと言われているのを何処かで知りました。今年御歳81歳でしょうか。
by SILENT (2016-09-07 18:58) 

いっぷく

コメントありがとうございました。
1956年といえばまだ私が生まれる前です。
そんな昔にこんな素晴らしいポスターがあったんですね。

by いっぷく (2016-09-07 22:09) 

SILENT

いっぷく様
コメントありがとうございました
60年前の日本のポスター、凄い作られ方してたんですね。
今は、すべてコンピュータで作ることが多いけど、美しいもののを作り出すことの基本は一緒ですね。
by SILENT (2016-09-08 07:43) 

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