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10月07日 [本]

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以前「犬のお伊勢参り」という本を読んだ。
実際にあった江戸時代の話のようで、何々村よりお伊勢様へと、書かれた木札と餞別の銭を入れた袋を首に下げ、街道を行く旅人が、交代で伊勢まで連れて行き、無事村まで帰ったという。
当時の犬たちは、村や町の番犬として名もなく、特定の飼い主などもいなかったという。里犬、町犬として、暮らしていたという。同じ著者の、「伊勢屋、稲荷に、犬の糞」という江戸の犬たちの人間との暮らしぶりの記録を読んだ。有名な将軍綱吉の生類憐みの令により、江戸の町の町犬が十万頭もお助け小屋に収容され、牡牝別々に管理されたという。白米を餌に与えられ、散歩もなくなったため、半分以下の頭数に減ったという。脚気は犬でもかかるようだ。

江戸の町の犬達は、普段は人間の残飯を拾い、魚の残飯も食べ、江戸の町のゴミ処理の役割を果たしたという。

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明治に入り、外人に吠える町犬が続出し、政府は国際的な問題を鑑みだした。犬には所有者の名を記した木札を首につけ、犬の名も決めること、おふれを出したという。
海外から持ち込まれる洋犬が増え、純粋な和犬は見る間に減ったという。人々は洋犬の名に習い、ポチという名を多くつけたという。

殿様達の鷹狩のための猟犬や、鷹の餌となる犬、犬追物という犬を追う狩。
江戸の初期には赤犬達を食用にしていたともいう。
中国や韓国で食用に犬が使われている事や、英国の狐狩りの歴史が、動物愛護協会を生んだという事実。人間は人同士でも殺戮をするが、犬達との長い歴史にも様々な局面があることを知った本です。


犬と名のつく植物名の話もありました。犬蓼、犬枇杷、犬槙、犬トクサ。

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コメント 3

粋田化石

興味深い本です
読んでみたいです
おかげ犬ですね

六代目三遊亭圓生師匠は江戸の名物を
武士、鰹、大名小路、広小路、茶店、紫、火消し、錦絵
火事に喧嘩にちゅうっぱら。伊勢屋、稲荷に犬の糞
と語っておられました。

当時の江戸には、徳川家康所縁の三重県出身のの商人が多くいたので伊勢屋が多いとも語っておられました。

by 粋田化石 (2016-10-07 21:19) 

SILENT

粋田化石さま

秋の空手飼いの虎の背伸びして

ハチを追う尾短き犬や秋日和

浮かばぬ句 鰯雲なき夜仰ぐ


by SILENT (2016-10-10 18:57) 

粋田化石

句まで詠んでいただき恐縮です。
有難うございます。
by 粋田化石 (2016-10-11 07:52) 

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