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十月三十一日 [かたち]

今日で十月もおしまい。明日から十一月、今年のカレンダーの残り枚数も僅かになってきました。
町のユニークな光景に、ネオンサインをたくさん飾る家がありました。文字を見ていてネオン管には文字が複雑だと表すのが難しいと知りました。漢字にはネオンは向きませんね。アルファベットは記号でネオンには向いていることがわかります。数字も向いています。液晶の点や、ネオン管の線が表せる記号の世界がこれからの時代は向いているのでしょうか。デジタルになって記号がますます溢れる世界。機械言語という言葉の出現したのも随分の昔です。

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             懐かしのネオンも沢山灯る秋   むおん




 



十月三十日 [山]

この町から眺められる富士の姿は、その場所の地名から何か想いがより深まる。台町の坂から、坂を登りながら大きな富士の山容が見られる光景は圧巻だ。その先2キロほど切り通し坂を下り始め、切り通しの狭い幅の暗がりから、いきなり広がる坂の下の彼方に大きな富士が裾野を広げる光景も圧倒される。切り通しの左手の住人が、かって吉田茂首相の本邸だったことを知る人も今は少ない。その切り通しの左手の門を入ると吉田邸の二階の窓から松の林の彼方に富士が一望できた。切り通しの右手は三井高棟別荘があり三階の楼閣からは富士の山容が見られたという。この切り通しからの富士を「下がり富士」。台町の坂の富士を「上り富士」と昔の人は言っていたという。切り通しを超え、右手に旧東海道があり、その古道を行くと左手に富士が見えてくるという。東海道でも道の左側に富士が展望できる場所は少なく、旅人は「左富士」とそこから見える富士を呼んだという。数日前の初冠雪も少し溶け、富士の頭も白さが消えた上り富士の前に、何か電線がうるさい。「電線富士」と呼ぼうか。
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          電線に背伸びする富士秋ふふふ     むおん









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いずれも台町の坂より

十月二十九日 [写真]

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横浜元町に出た。チャリがモノクロームの写真の前を横切った。
写真の中の白い花が一瞬だけ揺れた。様な気がした。





汐汲みの坂にて秋の息がきれ 無音







十月二十八日 [時]

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   新たなる文字見て秋の空を見る  無音



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時が過ぎ、看板の文字に風格の割れ、罅、破れ、古色、が滲み出てきていた。
街中で鏡の中の自分を見る。思わずこんなに年をとったのかと唖然とする。風格はないが古色はかなりついた面構え。店の人も、駅員も、皆々なんと若く見えることか。

十月二十七日 [雲]

白く輝く月に、流れる雲を撮った。雲も月光で輝く光の雲に見えた
。この画像の方が鏡のような雲のイメージが強い。クレーターだらけの月は本当にあるのかといった
不思議になる。いつかあの月にも、火星にも人が住む時代が来るのだろう。3Dプリンターを運び込んで月の土で、立体的に今日住空間を作り出すのだという。夢のような時代。

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              堂塔に雲潜みたる霜夜哉      杏月





古都の五重塔の覆輪にひっそりと小さな雲が潜みいる気配 冴え冴えとした夜の闇に美しくもあり
恐ろしくもある もののけの雲だろうか 物言わぬ雲 それがいい




十月二十六日 [月]

昨日は十三夜だったそうだ。先月の九月二十七日が十五夜。昨夜も大きな十三夜の月が秋の高い夜空に浮かんでいた。太陽の光と異なる鏡のような月の姿に何か嬉しくなる思いがあった。太陽は凝視できないほどの輝度があるが、月は優しい。そのクレーターの影の向こうの闇が底知れず深いことを感じる。十五夜のあの真ん丸から、少し憂いを帯びた影が十三夜をより切なく儚く見せる。樋口一葉の名作「十三夜」の舞台で石段の上一杯に大きな月がのぼる、朝倉摂さんの舞台演出を思い出した。二階屋の軒先や、路傍の雑草のかたちが、黒い影で十三夜の前に浮かび上がる光景はとても印象的だった。新内の調べが夕べの月の下の町から聞こえてくるような見事な夜だった。
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              新内の見上げる畔り十三夜  無音









下は、今年の十五夜の時撮った月の貌
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十月二十五日 [樹]

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夏の名残りの様な、棕櫚の葉が茂るのを見て感じた。重なる葉の形から、何故か「爆買」という余り語感の善くない言葉を思った。1970年代後半日本のバブル期、欧米で団体客の日本人がブランド品や、化粧品、洋酒等を買い漁った。あの時代の出来事を、何故マスコミは今とりあげないのだろう。かつてアメリカ人も、ヨーロッパでは成金族と馬鹿にされた時代があつた。今の日本の40年前、今のアメリカの80年前といつたところで、何になるのだろう。爆買という優越感と、見下ろす様な態度に、何か情けなさを感じてしまいます。隣り貶すな来た道じゃないか。隣り豊かと褒める道。
豊かさとは平等を嫌い、独占欲を高める様ですね。

十月二十四日 [アート]

今年も町中で、「大磯うつわの日」と題した、作家さんたちの器と暮らしの提案を兼ねた催しが開かれている。2015年期日は明日まで。金、土、日の三日間開催。詳しくは以下のリンクで。
このうちの数か所を散歩がてら楽しんできた。

http://oiso-utsuwa.jimdo.com/

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              秋の器買う 己の器忘れつつ   無音

   

              うつわ見る己が姿の秋を背に   むおん



              自分買う器の中に秋深し     ムオン







十月二十三日 [花]

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サイクリングに出掛け、セイタカアワダチソウ、朝鮮朝顔、コスモス、箒草の紅葉など楽しめました。




画像は画家佐伯祐三も、昭和初期通ったであろう湘南大磯別荘地の路地。山王町松並木付近の路地にて。七色に変化する七変化の花。ランタナ








自転車のまわる車輪に秋も行く 無音








十月二十二日 [川]

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昨日東京は江戸川橋あたりを散策した。松尾芭蕉ゆかりの治水工事がこの辺り上流にかけて行われたという。川は神田川だろうか水面の波紋が美しい。川沿いから神楽坂にかけては今も印刷屋さんの制作現場だ。川沿い椿山荘あたりの着物姿の二人連れ。永青文庫の企画展に出かけられた後ろ姿だろうか。
この辺りの地名も美しい江戸の旧名を町の名に辿ると江戸にタイムスリップしたかのような世界だった。

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             水に浮く桜の葉影や秋深し     無音  






 

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