十二月二十二日 [色]
裏山に一昨日登り、陽だまりにふきの小さな葉が見えた。近付くと枯葉の間から赤子の掌のような蕗の株がそこいらじゅうにある。来年の春先には一面の蕗畑になる光景を想像した。株の群れから少し離れたところの人がよく歩く、踏み固められた大地の上に幾分大きな蕗の葉が放射状のかたちに重なっていた。もしやと、葉の集まる中心を指先でそっと開いた。生まれたての仔犬の、チンポの先にそっくりな蕗の薹が隠れていた。指先に蕗の薹の、濃い春の香りが掠めた。明日の朝の味噌汁に、その春のカプセルを戴きますと、空を見上げ、ポケットの隅に頂戴して来た。山の一面の落ち葉たちも鮮やかな色素から、大地の色へと、変換されていく。色も形も、冬の大地の色に。
蕗の薹は、この時期に取ってしまうのは早すぎるのだが、大地を見つめ、森羅万象の移ろいの逞しさと、儚さを、指先で感じたことに感謝する朝です。
ふきの香や庫裡いっぱいの幸の家 ムオン
今年の秋の色を、銀の月の皿に時たま重ねて、眺めています。
秋色から冬色まで、春色の予感も含め多彩な表情の饗宴です。
蕗の薹は、この時期に取ってしまうのは早すぎるのだが、大地を見つめ、森羅万象の移ろいの逞しさと、儚さを、指先で感じたことに感謝する朝です。
ふきの香や庫裡いっぱいの幸の家 ムオン
今年の秋の色を、銀の月の皿に時たま重ねて、眺めています。
秋色から冬色まで、春色の予感も含め多彩な表情の饗宴です。
十二月十九日 [雲]
雲のありかを尋ねると、何もない時から一面の空をおおおう時と、一片の雲が漂う時と様々。
刻々と変化する雲の下で様々な生き物たちが蠢く。その中間の大気圏の世界にも漂う生命がある不思議。
生命はどこから来たのか。今日もいい天気に感謝。ひたすら感謝の朝。
昭和2年12月19日のこの日、湘南大磯で夜番の太鼓。大磯町各町内で12月から3月か4月にかけて、太鼓を打ち火番をする習慣があった。火番とは火の用心の警戒を知らせる太鼓だったのだろうか。風の強く吹く季節と、この町では何度も大火に見舞われ、用心を重ねる習慣が根付いたことからなのだろうか。今か時折、夕刻に高麗寺の鐘の音が聞こえるのみ。
高麗寺山は銀世界に昭和2年の今日覆われたという。平成27年の今朝も暖冬、12月とは思えない暖かさ。
昭和11年の今日、濃霧のため立川航空研究所の偵察機が、大磯北浜海岸へ不時着。搭乗者に藤田大尉。
雲走る師走の浜や町灯り むおん
十二月十七日 [写真]
人は何気なく撮った写真でも、その撮った時の記憶を覚えているものだろうか。よく決定的瞬間という言葉が写真ではあったが、それは何を意味するのだろうか。決定的瞬間という瞬間の前後に流れる瞬間のが世界には圧倒的に多い。ならばこの決定的瞬間に出会うためにはカメラを四六時中持ち歩けばいいことになる。携帯のカメラも進化して、車に搭載のカメラも増え、監視カメラも増えた現代。チャンスは増えたことになる。決定的瞬間とは、果たしてどんな瞬間なのだろうか。何を基準に人はそれをそう呼ぶのか。
普段出会わぬ光景なのか。ならば普段出会う見慣れた光景とは貴重でないのか。人はなぜ写真を撮るのか。その答えは以外と深いものがありあそうだと今朝は思う。
シャッターを小春日和や木曜日 ムオン
十二月十六日 [雨]
十二月十五日 [かたち]
十二月十四日 [人]
昨日は図書館で、ラオスの山奥で図書館を立てた方の話を聞きました。
標高1300メートルの高地の村で70世帯ほどの村なのだそうです。
ラオスが海には面していない国というのも初めて知りました。モン族という少数民族、文字を持たない民族ということで、台湾の少数民族の人たちも高地に集まった状況を思い出しました。
福建省や四川から移動した民族でもあるようです。携帯電話の普及で秘境という地域も消えつつあるのでしょうが、とにかく話は面白かった。石は川向こうから切り出して、材木は山から伐ってきての一年がかりの作業だったそうです。そこに登場する人たちの話がとても親近感が湧いて楽しかったです。
図書館といえば、日本国内でアフリカやアジアの母国語の本を置いている図書館がないと言われ、なるほどと思いました。需要がないし予算もないから都内の図書館だとあるところもあるのかなと思いましたが。
我が家から見える標高30メートルほどの山もやっとの紅葉です。