SSブログ

十二月四日 [世界]

IMGP5955.jpgIMGP5899.jpg
図書館で「帝国日本の生活空間」を借りた。岩波書店刊 
中に234ページ、「観光」という言葉の20世紀における用法は、植民地支配下の台湾人を感化するために計画された、内地への最初の視察旅行の時期に生まれたものと考えられる。とある。
日本の植民地当局がこの単語を使い始めた時、それは単なる見物以上のものを含んでいた。その語源は文明化と君主への忠誠を示唆した、一八九九年に台湾植民地官僚である木村何某が、台湾漢民族の集団を大阪で開かれる第五回内国勧業博覧会に連れてくることを提言した意見書でも、この言葉が使われている。このように植民地支配下の民族を内地に連れてきて感化させる事業は、アメリカもインディアンを東欧諸国に連れて行き、仲間に見たものの脅威を伝えさせたということが先例であり、日本も模したという。

1898年から台湾総督府は、台湾原住民の団体を日本に連れてきている。1912年には、第一師団、砲兵工廠、帝国大学、士官学校、赤羽工兵隊、板橋倉庫、横須賀鎮守府などを回った。1911年からは毎年のように1940年までほぼ毎年おきに行われていた。

観光とは「感化」という目的もあったのか。

昨年台湾へ行き、モーナ・ルダオという少数民族の首領の名を知った。彼も上のいずれかの年に日本の観光をしたと知り何か興味深い本となった。「帝国日本の生活空間」は1960年生まれのジョルダン・サンド(コロンビア大建築学科修士) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。