1月21日 [月]
久しぶりに地元の出来事を二、三。遠い昔の記事なのだが、今はどうなったのかと。
昭和29年(1954)大磯町と国府町が合併、新たな大磯町が誕生、昨年で60周年だった。昭和の大合併が日本全国でその頃誕生したようだが、平成にも大合併が行われ新しい市町村が誕生している。何か今時、郡とついたり、村とか字とつくような住所には限りなく親しみを感じてしまうのだが。ちなみに我が町、大磯町は神奈川県中郡大磯町、字は、北の端という。
明治23年の昨日20日、徳富蘇峰36歳は、大磯町で療養中の新島襄が危篤の方を聞き駆けつける。
新島襄はこの地で終焉を迎え、汽車で京都に遺骸が運ばれたという。
明治37年のこの日大磯駅前の岩崎別荘にて敷地内の長屋の住人募集。長屋の住人には使用人として働いてもらう計画だったのか、別荘東側に計画されたという。
昭和63年の1月20日澤田美喜記念館が完成、募金運動で国内外から1億5,000万円が集まり、開館。
世界でも名だたる隠れ切支丹の遺物846点の展示がされ、礼拝堂も設置された。この日はホーム40周年も兼ねて落成記念式典が行われたという。のちに昭和天皇も記念館に行幸された。
昭和3年100余尾の鰤、一尾五円五十銭で取引。
昭和11年大磯乗馬倶楽部、新春遠乗りで70余名参加。花水練馬場を出発。
昭和26年吉田首相、葉山で静養中の陛下をお見舞いに大磯から向かう。
昼の月冬の色にてまろくなる ムオン
冬雲に貌をなぜられ月笑う むおん
冬の暮重たき雲を押しのけし むおん
あたたかき冬の陽大地に溶け ムオン
昭和29年(1954)大磯町と国府町が合併、新たな大磯町が誕生、昨年で60周年だった。昭和の大合併が日本全国でその頃誕生したようだが、平成にも大合併が行われ新しい市町村が誕生している。何か今時、郡とついたり、村とか字とつくような住所には限りなく親しみを感じてしまうのだが。ちなみに我が町、大磯町は神奈川県中郡大磯町、字は、北の端という。
明治23年の昨日20日、徳富蘇峰36歳は、大磯町で療養中の新島襄が危篤の方を聞き駆けつける。
新島襄はこの地で終焉を迎え、汽車で京都に遺骸が運ばれたという。
明治37年のこの日大磯駅前の岩崎別荘にて敷地内の長屋の住人募集。長屋の住人には使用人として働いてもらう計画だったのか、別荘東側に計画されたという。
昭和63年の1月20日澤田美喜記念館が完成、募金運動で国内外から1億5,000万円が集まり、開館。
世界でも名だたる隠れ切支丹の遺物846点の展示がされ、礼拝堂も設置された。この日はホーム40周年も兼ねて落成記念式典が行われたという。のちに昭和天皇も記念館に行幸された。
昭和3年100余尾の鰤、一尾五円五十銭で取引。
昭和11年大磯乗馬倶楽部、新春遠乗りで70余名参加。花水練馬場を出発。
昭和26年吉田首相、葉山で静養中の陛下をお見舞いに大磯から向かう。
昼の月冬の色にてまろくなる ムオン
冬雲に貌をなぜられ月笑う むおん
冬の暮重たき雲を押しのけし むおん
あたたかき冬の陽大地に溶け ムオン
1月20日 [かたち]
1月19日 [人]
1月18日 [本]
満州建国大学卒業生たちの戦後「五色の虹」三浦英之著を読んでいます。
かって日本が、理想の王国として、コーリャンの粥を啜っていた農民たちを追い払い、五族協和のスローガンの元に、漢民族、満州族、朝鮮族、モンゴル族、ロシア民族の若者たちを集め国際大学を作り8年間の歴史を持ったという。その大学の精神は、言論の自由だったという。
五族協和を実現する為に、異なる生活習慣や、歴史認識の違いだけでなく、互いの内面下の感情さえも正しく理解する必要があるとして、建国大学は開学当初から中国人学生や、朝鮮人学生を含むすべての学生に言論の自由を、、、つまり日本政府を公然と批判する自由を認めていたという。
その卒業生たちがたどる戦後が凄まじくインタビュー記事で書かれている。
http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4087815978/ref=mp_s_a_1_1?qid=1453086551&sr=8-1&pi=SY200_QL40&keywords=五色の虹
数日前の空には、真昼の月が三日月で見え、高度数千メートルを旅客機が飛ぶ。
1月17日 [音]
1月16日 [海]
1月14日 [かたち]
1月13日 [光]
1月12日 [神]
松尾芭蕉が奥の細道へと旅立った紀行文、奥の細道の中に、『道祖神の招きにあいて』とある道祖神とは何者なのか。いかなる神様なのか。
白川静さんの『道』という文字の解釈に、人が人の首を下げて、未知の世界へと旅立つことが『道』という字の起こりだと書いておられた。凄まじい道案内のモノだ。人の頭には恐ろしいものへと対峙するだけの真価を、古代の人も認めていたのだろう。村の集落から一歩外に出ると様々な災いや危険が潜んでいた時代、村への侵入者は疫病や、魔物、一番恐ろしい人間という敵が境界を越えてやってきた。その災いを村はずれで守るのが道祖神さんだった。
今や世界は、インターネットの道で繋がれている。海上の道や、空の道、陸の道が、空間を飛ぶ電波の道でつながる世界。国境や県境や州境が歴然と存在する世界。災いは否応無しに世界を駆け巡る。祈ることや明日を真剣に考える日が、昨日のドント焼き、左義長の火で照らされて見えた気がする。
昨夜の火は全てを焼き尽くし、灰となった静かな広がりが細雪混じりの今朝の海岸にあった。
遠く海岸の砂浜の彼方に、自分の影が長く長く見えた。
左義長の余韻は浜から、自分の集落へ帰り自分たちの住む家々を廻る、ソリの一行の挨拶で終わる。
数年前の左義長は激しい雪と、雷鳴があった。そんな最中でも火は点火され祭りは行われた。
潔い左義長の12月8日に始まった長い神事は幕を閉じ、今朝から日常の暮らしが始まる。
左義長のガンジス河に靡く朝 ムオン
白川静さんの『道』という文字の解釈に、人が人の首を下げて、未知の世界へと旅立つことが『道』という字の起こりだと書いておられた。凄まじい道案内のモノだ。人の頭には恐ろしいものへと対峙するだけの真価を、古代の人も認めていたのだろう。村の集落から一歩外に出ると様々な災いや危険が潜んでいた時代、村への侵入者は疫病や、魔物、一番恐ろしい人間という敵が境界を越えてやってきた。その災いを村はずれで守るのが道祖神さんだった。
今や世界は、インターネットの道で繋がれている。海上の道や、空の道、陸の道が、空間を飛ぶ電波の道でつながる世界。国境や県境や州境が歴然と存在する世界。災いは否応無しに世界を駆け巡る。祈ることや明日を真剣に考える日が、昨日のドント焼き、左義長の火で照らされて見えた気がする。
昨夜の火は全てを焼き尽くし、灰となった静かな広がりが細雪混じりの今朝の海岸にあった。
遠く海岸の砂浜の彼方に、自分の影が長く長く見えた。
左義長の余韻は浜から、自分の集落へ帰り自分たちの住む家々を廻る、ソリの一行の挨拶で終わる。
数年前の左義長は激しい雪と、雷鳴があった。そんな最中でも火は点火され祭りは行われた。
潔い左義長の12月8日に始まった長い神事は幕を閉じ、今朝から日常の暮らしが始まる。
左義長のガンジス河に靡く朝 ムオン