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1月11日 [祭]

今日は正月飾りを積み上げ、一年の息災を願う左義長がこの町の下町地区であった。無形文化財に指定されている大規模な団子焼き行事だ。12月8日の八日節句から始まり、目一つ小僧が集落の一年間にあった人々の記録をつけた帳面を来年の1月15日まで預かってくれと、集落の道祖神に渡す。預かった帳面を、考えた挙句道祖神は自分の家ごと燃してしまうというのが、団子焼きの起源だそうだ。左義長はこの町に住んだ伊藤博文公の側近が、萩出身なので団子焼きを見て、これは左義長だと言ったことから、大磯のこの地でも左義長神事と呼ぶようになったという。左義長は平安時代から京都で行われてきた正月の神事だという。毎年1月14日の晩に行われてきたそうだが、最近は最寄りの休日か祭日になった。そのため11日の今朝からサイトという大竹を立てた周りにワラ縄で大きな黒松を芯に正月飾りを積み上げたものが、九箇所の集落分出来上がる。
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海辺に近く立てられるサイトはセイトとも呼ばれ、聖なる塔の意味か、そのセイトを祓うことでセイトバレエとも団子焼きは呼ばれる。セイトは今年の恵方に倒れるのが良いとされ、今年の恵方、南南東に曳き綱が張られている。集落の道祖神さんはこの日は海岸へ呼び出され、地方によっては火の中へ焚べられる。この町の左義長では、ソリが出てその上に道祖神さんのお札の入った社が載せられ、海に入る。昔は子供隊がソリに乗り海に入ったが、少子化の最近は大人達が入る。海側と陸側で此のソリの綱で綱引きをしたそうだが、最近はソリの上の縄で組んだ社を火に入れるだけで、綱引きは形だけになった。1月14日頃は満月の日が多く、隣の韓国でも満月の日に盛大な綱引きが行われていた時代があるという。海岸に並んだサイトは何か縄文時代の家のような懐かしい思いもしてくるのが不思議だ。

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火が入るのは七時だったが、今は三十分繰り上げて六時半に決められた家の方が点火をする。舞い上がる炎が今年一年の希望の火であり、戦場の火にも見えて来る。紅蓮の炎は人間の情念のような、神聖な神の火でもあるように天に向かう。この日は千枚近くの左義長を撮っていた。明日に続きます。


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