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1月12日 [神]

松尾芭蕉が奥の細道へと旅立った紀行文、奥の細道の中に、『道祖神の招きにあいて』とある道祖神とは何者なのか。いかなる神様なのか。
白川静さんの『道』という文字の解釈に、人が人の首を下げて、未知の世界へと旅立つことが『道』という字の起こりだと書いておられた。凄まじい道案内のモノだ。人の頭には恐ろしいものへと対峙するだけの真価を、古代の人も認めていたのだろう。村の集落から一歩外に出ると様々な災いや危険が潜んでいた時代、村への侵入者は疫病や、魔物、一番恐ろしい人間という敵が境界を越えてやってきた。その災いを村はずれで守るのが道祖神さんだった。
今や世界は、インターネットの道で繋がれている。海上の道や、空の道、陸の道が、空間を飛ぶ電波の道でつながる世界。国境や県境や州境が歴然と存在する世界。災いは否応無しに世界を駆け巡る。祈ることや明日を真剣に考える日が、昨日のドント焼き、左義長の火で照らされて見えた気がする。
昨夜の火は全てを焼き尽くし、灰となった静かな広がりが細雪混じりの今朝の海岸にあった。
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遠く海岸の砂浜の彼方に、自分の影が長く長く見えた。
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左義長の余韻は浜から、自分の集落へ帰り自分たちの住む家々を廻る、ソリの一行の挨拶で終わる。
数年前の左義長は激しい雪と、雷鳴があった。そんな最中でも火は点火され祭りは行われた。
潔い左義長の12月8日に始まった長い神事は幕を閉じ、今朝から日常の暮らしが始まる。
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     左義長のガンジス河に靡く朝   ムオン









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