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2月29日 [写真]

約50年前の横須賀市の坂のある光景のスライドを見て、場所が何処か考えた。
左手の道は奥にトンネルがあった筈だ。そのトンネルを抜け右手に曲がると平坂上という場所に確か出た。その広い平坂を降りると下町の大きな商店街に出た。横須賀の町は入り組んだ山が多くトンネルと、坂に石段と、山の上の住宅が特徴だった。昭和34年以降ブルドーザーという重機が登場して山や丘は谷を埋めて平らにされ、新興住宅地が増えた。
グーグルのストリートビュウで30年以上行っていない古里の周辺の光景を眺めた。シャッターは半分閉まっているが営業中の八百屋、知り合いの美容室、パン屋がある。シャッター通りと新興住宅地は増えたが、地形は大きく変えられるものではなく、懐かしい樹木や坂道が続く。いながらにして机上で半世紀前の道の現在を見られる。すごい世の中だ。この世界が海を渡れば戦場に続く世界でもある。未来も過去も今も平和であることのありがたさを痛切に感じる。以下は現在の横須賀のとある場所。
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山の樹々の形と、坂道のガードレールなどや家並みが50年前と変わらないことの驚き、地形が単調でないことが変わらない要因なのだろう。樹々の形や山の上の家並みまで同じようなのには驚く。それにしても何でこの光景を50年目に撮ったのか覚えてはいない。ハーフサイズのリバーサルカラーにて。
1966年頃撮影。
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2月28日 [写真]

約50年も前の写真スライドが出てきました。一枚は1970年開催の大阪万国博覧会のスナップ。オリンパスペンFTというハーフサイズの一眼レフカメラを当時は愛用していました。フィルムも高かったので35ミリ版の半分のサイズは倍の枚数が撮れ魅力でした。
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グーグルのストリートビューで現在の大阪万国博覧会の会場跡が公園で、太陽の塔は動いていないだろうからこの辺りで撮ったのかと位置を決めて切り取りました。半世紀の時間の流れ感慨がありますね。
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およそ半世紀前の1966年頃撮った東京神田須田町付近の光景、同和病院は映画で松田優作主演のものにロケとして使われたようで、ステンドグラスが重厚な病院でした。左手に夏目漱石が愛したというう松栄亭はかき揚コロッケが有名で、今も営業中です。右手奥には神田藪蕎麦が営業中。懐かしい光景です。
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同じくグーグルマップストリートビュウから現在の神田トライアングルゾーン。
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私が生まれた横須賀の郊外の山から見た防衛大学と、東京湾。赤外線カラーを使って緑の山を赤く撮っています。山口百恵さんが通った不入斗中学の南付近の山からの撮影です。手前の空き地は今運動公園になっています。撮影は約半世紀前。

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2月27日 [影]

ダブルイメージという写真の話しを聞いたのは、随分と昔だ。街のガラスに映る光景と、ガラスの向こうの存在感。同居するふたつの重なりが面白いとおもつた。その後二つは同等でなく、どちらかが強い事を知った。二つは世界に存在する。もつと多様なのだが、世界を一様に考えた方が楽なのか?
朝の障子の向こうの影を見ながら考えた。世界は沢山のレイヤーで出来ている。









冬日向行き来するのは猫の影 むおん



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2月26日 [文字]

今日は写経の三枚目。右に余白があるので、詠みのため仮名をふり、区切りを横線で書き込みました。筆が奔ると、経文の読経の音が何処からか聞こえてきます。一文字書くと次の文字が何か心がときめきます。精神統一には絶好の時間です。
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箱根阿弥陀寺よりの般若心経、御住職が、二時間以上の時をかけて版を押されたものとか。
各印の間が、その時を物語るようだ。

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相模湾の浜辺で演奏中を撮影の様子。
どんなイメージビデオが出来るのか?image.jpeg

2月25日 [人]

昭和16年2月25日の今日、島崎藤村69歳は、大磯町東小磯88番地の和菓子屋新杵所有の貸別荘を借りる。この年左義長に1月14日の晩訪れ、この町が気にっての事。戦争が激しくなり東京からの疎開を兼ねてこの町に住み晩年を過ごした。昭和17年8月にはこの別荘を買い取っている。
今も大磯町のこの住居は町で保存され一般公開されている。
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昭和10年のこの日、大磯町居住の90歳以上の高齢者に、真綿一包み下賜。大磯町3名、国府1名。
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上は西湘バイパスから見た江ノ島の遠望。

この町に住む村上春樹さんも通ったジャズホールの看板が今も残る。奇妙な果実はこの町でも採れるのだろうか。村上さんはこの町にたまにはやってきているのだろうか。シナモン・インクスタジオと表札にはあったが。久しぶりにビリーの声が聴きたい。

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2月24日 [言葉]

白川静の普及版「字通」で、『あした』を調べる。
「ゆうべ」に対する語。ゆうべの対極にあしたがある。
「ゆうべ」「よい」「よなか」「あかるとき」「あした」で夜の時間が指示される。
「あくるあした」で後に、明日を意味するようになったという。
昨日は、あしたは夜の始まりと思っていた。夜の時間の最後に、あしたが来るのか。
「あさ」は上代に「浅」「褪す」と関係のある語で、夜が褪すと、朝。夜明けからは浅の意味となる。
とある。

自然界の時間を表す言葉は、微妙だ。明日は、あすであり、みょうにちであり、あしたでもある。

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真冬のゆうべの月か 冴え冴えとあり

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   寒椿空に広げし命かな    無音



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   霧のような雲が寒月を包み月の刃が照り返す刹那も










2月23日 [言葉]

「あした」明日という言葉は、古くは夕方をさしたそうである。
元旦の旦と書いて、明日と読んでいたそうだ。
これは、古くは1日の区切りが夕方におかれていたからとか。
夕方以降は、天皇も貴族も、生活に移る。和の世界が夜にあり、朝は政りごとが行われ、王朝とか、朝廷もこの事からきた言葉とか。

朝の漢から、夕方の和へ切り替えられたのだそうです。婚礼も古くは夕方から始まりました。
松岡正剛著、神仏の秘密より

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2月22日 [かたち]

昔は空気という存在も、魂という存在も何故か身近ではなかった。「随分と長い間、魂について話していなかった」と近所の寺の掲示板に毛筆で書かれた紙を見た。何故か懐かしい気になった。何故なのだろうか。

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今朝ふと気になったたこ焼きの鉄板を磨いた。プロ用に使われたのであろう其の鉄板の丸い型の底は、斜めに串が削った軌跡が、総て同じ角度で並んでいた。その光る傷跡を見て無性に嬉しくなった。回転するタコ焼きと指先と腕の動き肩の動きが目に浮かぶ。

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何故か型の姿が気にかかる。芸事でも型がある。琳派でも型が続いてきている。
みえない形を、見えない型が産みだす。
目の前のタコ焼きの形を見て思う。型とは何だろう。
人を生み出す型もあるのか。

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インドの染色用の木型、縦に横に何度も繰り返されて布地に型から形を移す。
一つの単位が無限に増殖する。型の美しさ。
母なる型

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レモン石鹸の型
泡立ち消えていった石鹸は無くなっても、産み出した型は残る。
昔ゲシュタルト心理学という言葉が、好きだった。
空気とその空気が包むものの関係。
言葉と、その言葉で言い表せないモノの関係と存在。
写真とその写真の外側との関係。
額縁の中の名画と、その名画がある環境の外側や裏側との関係。

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型はいろんな事を教えてくれる。
世界は雌型と雄型でできている。


2月21日 [雨]

雨の雫と、菜の花の黄の美

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2月20日 [花]

小田原の曽我の梅林に行ってきました。枝垂れ梅が美しい。実梅は清楚。曽我の里.jpg


梅の里は富士が望めます

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写真コンテストも長閑に展示

DSCN0235.jpg曽我の里7.jpg曽我の里6.jpg曽我の里5.jpg曽我の里4.jpg曽我の里3.jpg

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