SSブログ

3月2日 [神]

2014年2月28日の週刊金曜日981号の、風速計というコラムに、本多勝一氏が『安倍首相と鎮霊社』という記事を書いておられる。安倍首相が九段北の靖国神社を参拝した時の模様に、靖国神社内の鎮霊社をお参りし、「靖国神社本殿のほか、鎮霊社で靖国神社に祀られていない、すべての戦場に倒れた、国外も含むすべての戦没者と、諸外国の人々の慰霊のために手を合わせご冥福を祈った」と強調したとの記事があるそうだ」

本多勝一氏は「鎮霊社」を知らなかったという。その記事の新聞社にその存在を確かめると、新聞社は2006年8月に2回にわたり「鎮霊社」の歴史と周辺を記事にしているという。
『靖国とは何か』という本質論の中で41年前に設けられたという「鎮霊社」の歴史が、この国の重要な「日本人とは何か」「日本国とは何か」を考えるヒントになりそうだ。と記事にあったようだ。
このテーマをコラム内には納まりきれないとして、次回で触れたいと本多氏は書く。

次回は靖国の「鎮霊社」に関して一切出ていなくて、2016年の今も本多氏は書かれていない。
「鎮霊社の存在が何故か重要なこの国の在り方」のような気がしてきて丸2年の歳月。
ネットで調べる限り、戦後の歴史と重要な関わりを、鎮霊社は持っている。
何か記事が書かれない理由が気になってしょうがない。

鎮霊社の歴史に関わるページは以下が参考になりました。
http://blog.goo.ne.jp/keroppy_2011/e/dbd1b7428c46ec695060cf2c7f16eabb
http://www.asyura2.com/0601/senkyo25/msg/292.html

DSCN9620.jpg

神田の職場が長かった私は、靖国神社へは参拝の歴史がありません。身内に戦争で亡くなった者がいないことからかもしれません。戦争に関わることは戦後生まれの私は避けてきました。
今戦前のような気配が濃厚で、戦後がまもなく終わるかもしれないという状況に思える自分は、此の国が来て行こうとしている道を猛烈に知りたい欲望があります。
息子が数年前に靖国を参拝してきたと聞いた時、妙に変な気分になりました。

東北大震災の際、原発事故の影響を、海外にいた息子から「日本は経済を取るか、人間を取るかの選択しかないね」とメールがあり、この国は経済を選択し今に至っています。
経済という魔物は阿片より強烈なのでしょうか。

鎮霊社には様々な思惑や、生み出された歴史が興味をそそります。
この国の大きなキーでもあるように感じます。
DSCN0280.jpg


ずいぶん昔富士山頂に立ちました。成人した息子も一合目から山頂まで歩いて登り「父は五合目から登ったんでしょう」と揶揄されました。
息子の言う通り最初から歩いて見る時代に来たようです。戦後生まれということで戦前を何も知らないことに恥を感じる世代になったのかもしれません。
DSCN9723.jpg


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。