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4月04日 [山]

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敷き詰められた石に雨が等しく降りかかっている。
その石の一つ一つの違いは、かたちの違いか、素性の違いか、ふと考える。

「数学する人生 岡潔」森田真生編を読む。
自分とは何か
自分とはなんでしょうか。 西洋人は「自分とはこのからだである」といっているのですが、それは「自我」が自分であるといっているのと同じことです。
ところが、自我に肉体を主宰する力などないことは、少し振り返ってみれば明らかでしょう。
自我は思うままに食べ物を取り入れるし、排泄したくなれば、それを排泄する。ところが何度もいいますが、自我にできるのは、その両端だけで、その途中は少しもわかりません。

このからだ、この心が自分だと思うのは間違いで、そんな考えは打ち消さないといけないということです。


以上岡潔さんの言葉の、その途中を分かるもの、とは何なのでしょうか。「心」が「体」との関係で、自分を支配しているということなのでしょうか。

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人というのは、大宇宙という一本の木の、一枚の葉の様なものです。
宇宙という一本の木の一枚の葉であるということをやめたなら、ただちに葉は枯れてしまいます。
宇宙という大きな木と、一枚の木の葉。
本当の自分を仏教では「真我」あるいは「大我」というそうです。
真我、大我は死にません。「不生不滅」世界の一番はじめからあるもの、生まれたものではなく、滅することもないもの。
木の葉は、秋になれば落ちますが冬になっても木はあります。
真の自分とは、木だから不死です。不生不滅です。
ところが、葉としての小さな自分は死ぬのです。仏教では「小我」というそうです。
大我は不生不滅で、小我は死ぬ。
命あるものは100%死ぬ。大我は不死。


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人の心とは、簡単にいえば、二つの要素からなっているそうです。
一つは懐かしさ。もう一つは喜び。この二つを同時に感じるのだそうです。
次回、「懐かしさ」と「喜び」を読み進みます。

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笠をきて案内の僧や花の雨 みの助


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隧道を抜けて激しき花の雨 無音





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