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5月03日 [写真]

50年程前の高校時代の集合写真が出て来た。約百五十名程の生徒が写っている。自分は冴えない顔でその中にいる。1964年頃のモノクロ写真だ。クラスは専門学校のコースで25名だった。島から通う同級生が夏休みにモーターボートのアルバイトで、笑いが止まらない程の大金を手に入れ彼の人生は変わってしまった。半ばオリンピックと云う嵐が彼を発狂させる様な時代だった。無医村の僻地の医者になりたいと学生運動にも没頭した男もいた。演劇部で芝居の熱につかれ、卒業後も劇団の関わりから抜け出せない男がいた。様々な人生を歩んでいる彼らと、自分を一枚の写真を見ながらひたすら眺めた。image.jpeg

その一枚の写真を持って、この間の日曜日鎌倉に向かった。
集合写真のなかに写っているだろう人物に会うために。

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その人物は、当時一学年先輩で、今は有名なプロの写真家で、鎌倉にギャラリーを構えておられる。
24歳の時、NYで「首無し写真」で鮮烈なデビューをされたという。
鎌倉のギャラリーでその非売品と書かれたオリジナル写真を拝見した。
ローライフレックスの真四角な画面に山手線だろうか金網越しに疾る背景の線路側に斜に構えて足元が地下足袋の人物が、バカボンのパパのような出で立ちで腰に手を当てて立っている。何故かフレームの中に顔が写されていなくて、顎の下から足元までの構図だ。

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同じ写真が、非売品の隣に「24歳の自画像」と書かれもう一枚掛かる。
つまり写真家自身がモデルになって撮影された写真という証なのだろうか。
強烈に顔無し写真は何かを訴えてくる。
不安定なもの、不確実な世界の不気味な存在証明のようなもの。

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一枚の集合写真を見てもらうと、僕はここに居ますと、正面最前列に座るご本人を指差してくださった。そこに映る若き日の写真家の顔には、顔無し写真の不気味さは微塵もなかった。

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美しい庭先が眺められる喫茶コーナーで至福の香の珈琲を頂き、鎌倉をあとにした。


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