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6月05日 [あこがれ]

サラリーマン時代、やってみたい憧れがあった。たった一度だけでもと、勇気を出して実行した。東京駅か大阪駅での実行だった。改札口を抜け外に出る前の駅構内に小部屋のような薄暗い空間があって、高さ1メートルはある高い床の上の椅子に、私は座らせられた。左右の椅子にもサラリーマン紳士らしき客が座らせられている。高い壇上の椅子からは、駅の改札口へ行き交う雑踏がよく見え聞こえても来る。新聞をどうぞと、憧れの時間が過ぎ去る間渡してくれたのは、おばさんだったような気がする。
そのおばさんは床の小さな椅子に座り靴を磨いてくれた。

古風で優雅な、何か優越感と恥ずかしい時間でもあった。高い壇上の眺めは最高、壇上から降り、いくら払ったのかも覚えてはいない。今から30年以上昔の話だ。会議があるので足元に気合を入れて参加するためだったか。朝革靴にソコソコの手入れと、靴の中で相応しいものを選んだ気がする。
革靴を履いてするような仕事を余り好きではなかった。

出世をして時々靴磨きを楽しみとする、時代はこなかった。

昨日東京駅北口に靴磨きのおじさんが営業中なのを見た。
ネットで検索すると、路上の靴磨きをされる方は12名だという。権利を持つ方が亡くなると数は減るばかりなのだろう。外人さんの客も場所柄いそうだ。

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家に帰り、アサヒグラフ戦後50年という20年前に発行の写真集を開く。
1949年の神田の靴磨き あった。
下駄を履いた靴磨き、革靴は貴重な時代だったのだろう。全国に靴磨きの人たちは多かっただろう。今革靴自体が少ない時代だ。消えゆく職業をみて、50年後の世界には今あるかなりの職業が廃止されたり機械やITに置きかわっているだろうと感じた。

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1946年新憲法交付式典の写真、皇居前だろうか
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1948年の三等車と題した、頭陀袋の大きな荷物は何だろうか。

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1949年総選挙の開票速報を見る人々。有楽町にて。

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最近はメディアで、群集を写さない。
何故だろうか。群集はマラソンや、サッカースタジアムの群集などはよく写る。
負のイメージの、デモ隊や、原発からの避難民などは写さない。
マスコミの自己規制がより強まっているのだろうか。

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