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7月31日 [花]

昨夜は夏空に巨大な火の花を見た。

華火は蕾 音の遅れて秋近し 無音

我が家の犬は、気の毒なほど大地の振動に脅えて
この世の終わりのような響きに耳を閉ざしたり










驚きは一瞬なれど永遠の夏 無音






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夏の夜に命満開のちの夢 無音






7月30日 [時]

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大正3年(1914)の今日、今から102年ほど前の湘南大磯で、玉乗り興行一座が、北本町の空き地で興行を始めた。海水浴客や避暑のための別荘族で賑わう光景が目に浮かぶ。100年前の芸人はどのように見られていたのだろうか。「伊豆の踊子」を思い出す。1926年発表の川端康成作品だが、その時代背景や、当時の人々の階級社会や差別に対する考えは、今も変わっていないのではないか。

私が高校生の授業を受けた1960年代中ば、国語の教師が真剣な顔つきで、伊豆の踊子の教科書に載っていない点を指摘できた生徒には、最高点を出すと教壇で言った。伏字となっていた原作の部分を今も知らないが、職業での貴賤貧富を封印してきた社会が、教師には耐えられなかったのではないかと今にして思う。

昭和4年(1928)の今日水不足深刻、共同井戸では妻君達が喧嘩。旅館では隣町の平塚からトラックで水。
昭和8年(1935)名士の避暑。徳川公爵、原田熊雄、三井八郎右衛門、稲葉子爵、中村時蔵、木谷実氏ほか7000人に達す。

海水浴場に隣接した下町や近隣の町内では二階屋を早くから建築し、夏休みの期間中、家族は物置で寝起きをして、家は間貸や借家にして一年の生計費のほとんどを夏の三ヶ月で稼いだという。
明治18年から始まった海水茶屋(現在の海の家)の稼ぎも相当なものであったろう。

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       玉乗りが舞わす時代や海の家  無音








7月29日 [人]

image.jpegよく覚えとけ。
現実は正解なんだ。

時代が悪いの、
世の中がおかしい
と云ったところで仕方ない。
現実は事実だ。
そして現状を理解、
分析してみろ。

そこにはきっと、
何故そうなったかという
原因があるんだ。
現状を認識して把握したら
処理すりゃいいんだ。

その行動を起こせない奴を
俺の基準で馬鹿と云う。
立川談志師匠の言葉です。
現実は今もあります。現状を把握して処理、シンプルだけどなかなか把握できません。グズグズ考えていたら明日になっちゃう。時代が悪かろうと、此処に生きてる自分の考え、分析、世界中のみんながやつていることなんだけど、なかなかお利口さんにはなれません。夏風邪もひかないし、自分も馬鹿の体質なのかなー。

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現実を見るには足元からでしよう


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写真はサルトリアリスト[×]? からです

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現実は正解

この言葉、深いですね。正解に至るには様々な人々の、問いかけがありました。人間の業も、宿命も、運命も、その上での正解何でしょう。私たちは、自分は、過去へも未来へも、今ある現実に問いかけを続けなければならない。

現実は正解! 現実は事実だ!

7月28日 [いのち]

散歩の途中で足元に、小さな蝉の亡骸を見つけました。その側にはバラの花びらが沢山散っています。
その先の足元には名も知らぬ雑草が白い花をつけ、小さな蜂が飛び交っています。
そのまた先にはプラスティックの破片と菓子の袋がふきよせられています。

どこにでもある光景、だけどここにしかない命の光景を思い浮かべてしまいました。
路上に落ちている石ころにも二つとして同じものは無い。同じ命も無いのです。
石ころたちに優劣をつけるのは人間です。傷だらけの石は、海で磨かれた丸い石に言います。
あんたはどんな歴史を持つ石なんだい。おいらの一生はと、石は語りますがみんな違うのが当たり前。
最近の人間界は、みんなが同じで、一緒がいい、違うものは排除しろと叫びだしました。

自然の中にプラスティックや、ビニール片が落ちていると猛烈に違和感を感じます。
彼らは自然に帰らないからです。プラスティックやビニールは皆同じに見えます。均質すぎる世界です。プラスティック人間やビニール人間がたくさん製造されていく社会を連想します。

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立川談春さんの「赤めだか」という本を読み始めました。談志師匠が談春さんにいった落語はなぜ生まれたのかの話に、涙が溢れました。江戸の四十七士の話は有名だが、あんた赤穂城にはもっと侍がいたんだよ。有名な義士たちよりも、後の赤穂の侍たちや、その家族、町人たちがどう生きてどうしたか。
つまり、ニュースになるようなことでなく、今日は選挙には行きたくないなとか、隣のガキはまた煩いなとか、人はなんで生きているのか、という世界のが大事なんだよ。頭でなくそこにある総てを人間として考えろ。

そんな趣旨のような話が続き、幸せになった気分になれる本です。人を誰も傷つけないで勇気を与えてくれる本です。
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自分が中学生の頃、家の片隅に「我が闘争」という父親が読んでいた本の記憶があります。
当時かなりのベストセラーになっていたようで、父が太平洋戦争前にどんな気持ちで読んでいたのかが気になりました。戦後生まれの私には、触れてはいけない禁書のイメージでした。
その本を読んだ人々の影響や、世界の空気はわかりませんが、非常に当時は当たり前の空気の中の本だったような気がします。落語の世界と正反対の。

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 良書悪書と区別する世界も危険ですが、情報の偏りは今の世の中もっと危険です

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7月27日 [世界]

痛ましい悲惨な事件が起きた。施設の障害者の人々が襲われた。
抵抗出来ないものを、殺戮するなど狂気そのもので悍ましい。
犯人を産み出した世界が、今目の前の現実としてある。豊かな自然に囲まれた施設の光景がより痛ましい。障害者が居なくなる世界を国家が指示すれば、私は実行する。彼は何と身勝手で自己顕示欲の塊なんだろう。

日常あんな明るい若者が、こんな事件を起こすとは、今やざらにある世界だ。闇は光だらけを求める世界には、より深い闇が出現するのだろうか。弱者や対立者を暴力で、抹殺する様な思想は狂気以外の何物でもない。彼を産み出し育てた世界が憎い。

事件が起きた時、数ヶ月前に老人介護の介護士になった友人の言葉が、蘇りました。「介護の仕事をする時は、自分の眼鏡を外してするのが鉄則」何が起こるかわからない世界。でも相手から自分が救われることも多々あるしと。

知的障害の方とは、環境が違うかもしれませんが痴呆症の方が、排泄物をなげつけ、介護士が其の日は食事も喉が通らない何てことも聞きます。だからって老人や障害者が世界から消えれば平和になるという発想は怖い。そんな発想と、それを本音にする人々が潜在している気がします。
狂気としかいえないのですか。

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今ここにある世界の確認の遊びをしました。先日のフリーペーパーに、子供向けの「太陽系を街に作ってみようという宿題がありました。1メートルの直径の太陽を部屋に作ると、ネットで調べた地球の直径は平均9.1ミリの指先に乗る大きさになります。これが太陽からどれだけ離れているのかとなると、約107.5メートルとなります。14億分の一の世界です。

太陽を10メートルの直径にして東京タワーに吊るしたと仮定しました。ここから1070メートルの距離に91ミリの地球の姿があります。地図では浜松町駅付近とでました。
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自分の身長の14億分の一の人間が浜松町駅前から東京タワーを見上げると10メートル直径の太陽が見えるはずです。ストリートビューで確認します
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浜松町駅前から、本物の夕陽と太陽系モデルの東京タワーの太陽が確かに見えました
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ネットの仮想空間から現実の東京タワーを見に、ポケモンGOのように出かけたくなりました。

7月26日 [遊び]

資本主義型監視社会の始まりといった記事を、ポケモンGO解禁のニュースの側面として読んだ。

ネット先進国アメリカで、ドキュメンタリー作品「WE LIVE IN PUBLICー公開生活24時」オンディーティモナー監督は、米国の若手実業家を主人公として、NYの地下に新進気鋭のアーティスト100人を集めて、住まいも食事もタダの提供をする内容の映画だという。

代わりに24時間、彼らの生活をトイレからセックスまで記録し、すべてがビデオカメラで監視、記録、ネット中継されるという内容だったという。「ここでは全部無料だが、全員の個人情報は全部僕のもの」と不敵に語るという。主人公は1980年代からのIT勃興期に大成功を収めた人物が主人公の作品だという。

世界中に張り巡らされた監視カメラと監視型社会。効率的な生産のためのロボットは誤って人を傷つけることもあるので工場内で、人間が近づけないように監視されるものもあるという。

アメリカの若者たちはFBや、Twitter等にプライバシーを守るよりも、SNSの中で近づきたいという欲求が高いという。

100年ほど前にアメリカのコダック社が生んだカメラを追従したドイツのカメラを見つめていると、記録とは何か、見るとは何かが感じられてくる。日本がパーレットという名で後追いしたカメラでこカメラの表面を撮った。
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レンズのコレクションで安いものは監視カメラに使われているレンズが多いことに最近気づいた。
レンズが一番多く使われているのは今や、スマホや、監視カメラのレンズかもしれない。
監視社会の世界を生きるには、co-veillanceという相互に監視する社会が必須だということを学んだ。
そのための知恵を考え、多くの善良なる人々と選択していきたいと学ぶことが大事な時代なのだろう。


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80年前のカメラのパーレットのレンズを磨き、蛇腹のカメラの本体のフィルム側にデジタルカメラをセットしシャッターを切った。目の前の机の上のスタンプ台が、シャープに捉えられていた。
余りにもシャープで、たじろぐ程の世界だった。


7月24日 [世界]

ホールアースカタログという懐かしい響きを聞いた。昨日の「インターネットのあとになにが来るのか」というセミナーで。シリコンバレーという言葉が聞かれる前の時代だったろう。ヒッピージェネレーションと呼ばれる人達の中から、全地球カタログは生まれた。

ホールアースカタログは1968年に、スチュアート・ブランドによって創刊された。ヒッピー・コミューンを支えるための情報や商品が掲載されていた。創刊号の表紙を飾ったのは、1966年にブランドが起こした運動が功を奏してNASAから発表された、宇宙に浮かぶ地球の写真である。日本の雑誌、『宝島』や『POPEYE』にも大きな影響を与えたとされる。

シアーズロバックのアメリカに始まり、ライフ誌のアメリカ、カタログ文化の流れは、アマゾンやグーグルに引き継がれた。

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そんなホールアースカタログを、連想させるフリーペーパーが東京にあった。ポケモンGOの生みの親となった一人の方も語る。新しい世界を築くには、夏休み子供達はバーチャルの世界から飛び出してリアルワールドの不思議を体験する。そんな呼びかけがこのフリーペーパーには語られていた。バーチャルとリアルを繋げてしまう世界。1968年の今から半世紀前には誰も予測できなかった世界。しかし半世紀前の子供達も、何故生きなければならないのかとか、何故学校はあり、戦争も何処かでおこなわれ多くの人が死んでいくのか、何故差別があるのか、様々な何故を持っていた。

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ポケモンGOというゲームは、書を捨て街に出ようという世界とどう違うのか、ゲームの中に埋没する子供や大人。ゲームはリアルワールド迄をバーチャルなものにしてしまうのか。地球上に新たな革命と新たな思考が確実に広まるのか。AIと人間は共同作業が出来るのか興味津々である。

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ゲームの功罪と、次の未来、宗教に与えるインパクトも大きい気がする。

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7月23日 [アート]

今日は久しぶり二、東京都内に出ました。山手線のホームはホームドアが各駅に設置され、無い駅は何故か解放感がある。ホームの天井は、昔に比べ妙にダクト系や、様々なケーブルが人間の血管の様に垂れ下がる程配置されている。昔は隠されていた配線や配管が露出して、人間の臓器の中を旅している感覚になる。都市が巨大な皮膚に包まれ、機能が剥き出しになって、メンテナンスがしやすい世界か。
あの迷路の様な線の群れは何処まで未来へ続くのかと思う。
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私たちは、ほんのすこし先の未来しか見渡せない。
しかし私たちが試みなければならないことが、たくさんあることは、明らかである。
アラン・チューリング「計算機械と知性」

都内某所で、「インターネットの次に何が来るのか」日本出版記念のケビン・ケリー氏のセミナーが開かれた。
30年後の近未来。その2046年の世界の人々が、今の地球での出来事を想像すると、2016年代とは素晴らしい時代と考えるだろうという。「なぜぼくらにはAIが必要なのか」とテクノロジー学の泰斗の氏は語ってくれた。人と人工知能が共同して、未来を築く世界。
楽観主義だという持論の氏が、ホールアース・カタログや、WIREDで展開してくれた世界が、今日目の前で希望を持たせてくれた。閉じたアメリカを求める声や、戦争や、国境、の存在。
インターネットが、立ち向かう世界観は、氏にとってウィキペディアとスエーデンの様な国家社会といい話が印象的だった。
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日本では、ポケモンGOが、虚の空間と、リアルを繋ぎ公開された。
電車の中にスマホ片手に四人の中学生男子が乗り込んで来て話題をしながら降りて行った。
彼等の30年後の未来、どんな世界なんだろう。
其れは明日という未来とも繋がっている。

7月22日 [色]

雨があがって蝉達が一斉に鳴き出した。
夜中に耳に入ってくる事もある。
既に頭の中に入った蝉の鳴き声を幻聴として思い出しているのかと迷う時もある。

昨夜観た夢は、駅の乗り換え改札が出てきた。駅員が紙の切符を受け取り、電車はあふれるような乗客だったから、時代として相当昔の夢なのだろう。
夢が覚めて、時代や場所が何処かなど推量してもなかなかわからない。
夢は現実の世界を相当ミックスしてみているのだろう。


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夏に斑を入れ涼し気神出現 むおん

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大量の夏を仕入れて秋に売る むおん

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さくらんぼの嘆き朝顔の如く むおん


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