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7月28日 [いのち]

散歩の途中で足元に、小さな蝉の亡骸を見つけました。その側にはバラの花びらが沢山散っています。
その先の足元には名も知らぬ雑草が白い花をつけ、小さな蜂が飛び交っています。
そのまた先にはプラスティックの破片と菓子の袋がふきよせられています。

どこにでもある光景、だけどここにしかない命の光景を思い浮かべてしまいました。
路上に落ちている石ころにも二つとして同じものは無い。同じ命も無いのです。
石ころたちに優劣をつけるのは人間です。傷だらけの石は、海で磨かれた丸い石に言います。
あんたはどんな歴史を持つ石なんだい。おいらの一生はと、石は語りますがみんな違うのが当たり前。
最近の人間界は、みんなが同じで、一緒がいい、違うものは排除しろと叫びだしました。

自然の中にプラスティックや、ビニール片が落ちていると猛烈に違和感を感じます。
彼らは自然に帰らないからです。プラスティックやビニールは皆同じに見えます。均質すぎる世界です。プラスティック人間やビニール人間がたくさん製造されていく社会を連想します。

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立川談春さんの「赤めだか」という本を読み始めました。談志師匠が談春さんにいった落語はなぜ生まれたのかの話に、涙が溢れました。江戸の四十七士の話は有名だが、あんた赤穂城にはもっと侍がいたんだよ。有名な義士たちよりも、後の赤穂の侍たちや、その家族、町人たちがどう生きてどうしたか。
つまり、ニュースになるようなことでなく、今日は選挙には行きたくないなとか、隣のガキはまた煩いなとか、人はなんで生きているのか、という世界のが大事なんだよ。頭でなくそこにある総てを人間として考えろ。

そんな趣旨のような話が続き、幸せになった気分になれる本です。人を誰も傷つけないで勇気を与えてくれる本です。
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自分が中学生の頃、家の片隅に「我が闘争」という父親が読んでいた本の記憶があります。
当時かなりのベストセラーになっていたようで、父が太平洋戦争前にどんな気持ちで読んでいたのかが気になりました。戦後生まれの私には、触れてはいけない禁書のイメージでした。
その本を読んだ人々の影響や、世界の空気はわかりませんが、非常に当時は当たり前の空気の中の本だったような気がします。落語の世界と正反対の。

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 良書悪書と区別する世界も危険ですが、情報の偏りは今の世の中もっと危険です

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