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7月30日 [時]

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大正3年(1914)の今日、今から102年ほど前の湘南大磯で、玉乗り興行一座が、北本町の空き地で興行を始めた。海水浴客や避暑のための別荘族で賑わう光景が目に浮かぶ。100年前の芸人はどのように見られていたのだろうか。「伊豆の踊子」を思い出す。1926年発表の川端康成作品だが、その時代背景や、当時の人々の階級社会や差別に対する考えは、今も変わっていないのではないか。

私が高校生の授業を受けた1960年代中ば、国語の教師が真剣な顔つきで、伊豆の踊子の教科書に載っていない点を指摘できた生徒には、最高点を出すと教壇で言った。伏字となっていた原作の部分を今も知らないが、職業での貴賤貧富を封印してきた社会が、教師には耐えられなかったのではないかと今にして思う。

昭和4年(1928)の今日水不足深刻、共同井戸では妻君達が喧嘩。旅館では隣町の平塚からトラックで水。
昭和8年(1935)名士の避暑。徳川公爵、原田熊雄、三井八郎右衛門、稲葉子爵、中村時蔵、木谷実氏ほか7000人に達す。

海水浴場に隣接した下町や近隣の町内では二階屋を早くから建築し、夏休みの期間中、家族は物置で寝起きをして、家は間貸や借家にして一年の生計費のほとんどを夏の三ヶ月で稼いだという。
明治18年から始まった海水茶屋(現在の海の家)の稼ぎも相当なものであったろう。

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       玉乗りが舞わす時代や海の家  無音








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