9月29日 [山]
9月28日 [山]
9月27日 [花]
9月26日 [アート]
9月25日 [花]
およそ80年前のカメラのレンズで、東海道松並木の彼岸花を撮った。
彼岸花の名は、全国で千以上と言われる別名や、方言名を持つという。
それだけ日本全土に見かけられる花となっているのだろう。
大陸から渡ってきた人々とともにこの国にやって来たという話も聞いたことがある。
原産地は世界の中でどこなのだろう。椿同様、何か不吉な花のイメージが強いが、簪のような繊細な赤の花の色と、真っ直ぐの茎の色の鮮やかな対比が好きだ。
椿も日本の古代では、めでたい樹木であった。彼岸花も目出度く祝いの花といった時期もあったのだろうか。西洋では観賞用の花としても好まれているようだ。
別名、曼珠沙華の意味は、梵語で赤いという意味のようだ。いつか花を撮っていたら、この彼岸花の全国の分布する花のDNAを採取して、海外のどのようなルートで日本に来たかを調査中の大学の研究室があると聞いた。この花の辿ってきた数千年の歴史の道がわかったら、それに伴う人間の移動の痕跡もわかるのだろう。興味ある話だった。
原産地は東南アジアのようなのだが、どこだろうか。
彼岸花の名は、全国で千以上と言われる別名や、方言名を持つという。
それだけ日本全土に見かけられる花となっているのだろう。
大陸から渡ってきた人々とともにこの国にやって来たという話も聞いたことがある。
原産地は世界の中でどこなのだろう。椿同様、何か不吉な花のイメージが強いが、簪のような繊細な赤の花の色と、真っ直ぐの茎の色の鮮やかな対比が好きだ。
椿も日本の古代では、めでたい樹木であった。彼岸花も目出度く祝いの花といった時期もあったのだろうか。西洋では観賞用の花としても好まれているようだ。
別名、曼珠沙華の意味は、梵語で赤いという意味のようだ。いつか花を撮っていたら、この彼岸花の全国の分布する花のDNAを採取して、海外のどのようなルートで日本に来たかを調査中の大学の研究室があると聞いた。この花の辿ってきた数千年の歴史の道がわかったら、それに伴う人間の移動の痕跡もわかるのだろう。興味ある話だった。
原産地は東南アジアのようなのだが、どこだろうか。
9月24日 [花]
9月23日 [花]
9月22日 [世界]
16日に発売された「iPhone7」の本体に「総務省指定」という文字が入っていることが話題になっている。ネット上などでは「ダサい」「むしろかっこいい」と賛否両論。高市早苗総務相は20日の閣議後記者会見で「かっこわるいと言われると大変がっかりだ」と話した。
* 特集:iPhone
「総務省指定」の文字は、本体裏側にある「iPhone」の文字の下に小さく書かれている。総務省電波環境課によると、iPhone7には利用者の電子マネーやクレジットカードを読み取って記憶する機能が付き、レジなどに置かれている読み取り機と同じ扱いになった。読み取り機は総務省から型式指定を受け、指定番号などを本体に表示することが電波法や省令で定められている。
省令の定めは、どんな表記方法と指定があるのだろうか。それは日本語、他という意味で。裏面の表記を見ると、英字書体の中にいきなり漢字で、総務省指定とある。総務省とは何処の国の総務省なのだろう。中華人民共和国総務省指定とあっても違和感がないが、日本国総務省とはしなかったのは何故か。製造はChinaとあるから、やはり英文の中の漢字が違和感があるのだろうか。
かっこいいというのは、意味よりも漢字に対する感性の問題なのか。英字は抽象的でクールでカッコいいのか。アイフォーン、スマホ、ケイタイ、総て外来語。大臣が「カッコ悪いんですか」と白々しく答える姿はカッコ悪い。
総て英字だったら、カッコ悪いなんて話は、絶対出なかったろう。
何か日本の深層心理を露呈したような話だ。
アメリカ文明の中の、日本の存在感の実態。
いっそアイフォーンの裏面表示は総て日本語表示でと指定したほうがカッコよかったのではと、思うのです。
日本国総務省指定を英字にしたらと、調べてもみよう。
国際時代の日本語の行方も心配になりました。
9月21日 [世界]
尊厳の芸術 THE ART OB GAMAN
と題して2012年11月から東京を皮切りに展示がスタートし、福島、仙台、沖縄、広島の各NHK放送局で行われたという。東京会場のみは東京藝大美術館だったという。
その展示内容は、アメリカの2000年の事。日系三世の女性が両親の物置部屋で見つけた、木製の小さなブローチから始まったものだそうです。
彼女は両親が、強制収容所時代に作られたブローチだろうと、その金属の粗末な安全ピンから推測し、その時代の事を考え、収容所の人たちの暮らしを想像するには、他の人々が作ったものがあるだろうと思ったそうです。
収容所のことは両親はあまり話さなかったと言います。屈辱感や、不当な仕打ちに対する悲しみや怒り、反日感情が再燃する事を怖れて、日系人は現在迄、その収容所時代の話を避けてきたのです。
日本の歴史の中で、海を渡って多くの日本人が海外の国へ様々な事情でわたりました。その中でその国に帰化したり住み着いた人々の歴史の証言のような展示会。
何もない砂漠の収容所で、土の中から見つけ出した貝殻たちで作ったブローチ、玉ねぎ袋で編んだ煙草入れ、足元が悪かったので作られたたくさんの杖、丹念に作られた石の硯、足元が悪かったので作られた下駄、丈夫な木の椅子や家具。それらは日系人の強制収容所で、何もないところから工夫をして、豊かな気持ちになるように頑張った日本人の生活の証だったのです。
2010年ワシントンのスミソニアン博物館で開催されることになった展覧会には25万人以上の人々が見学に訪れたという。
並んだ品物たちは、ガラクタや手近にあった素材から、忍耐強く、創意工夫、強い精神性で作ったものたちで、
作品が生み出された背景を知らなければ、どこか日本の香りがする、アメリカのものとなってしまいます。鉄条網のフェンスに囲まれ、監視塔からの銃口の元で、さくひんたちはつくられました。日本人の我慢と忍耐が産み出した作品群。
今もアメリカの日系人たちの家のガレージの片隅に残されているようです。
アメリカのガレージの隅で誕生して中国で生産されたアイホンと言う機種でこの文章を綴っています。