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10月31日 [世界]

何とかなる!
とお不動様。動かず!いつでも動けるそのお姿がいい。不動明王の原点となったモデルは、昔の南インドの狩猟の民の若者とか聞いたことがある。
身軽な服装と逞しいお身体が行動力に溢れ身近でありがたく感じる。

    秋空に滝の音落ち不動たつ  無音


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10月30日 [世界]

まだ完読していない、「インターネットの次に来るもの」ケビン・ケリー著では、著者が30年前から体験したインターネットの体験から、未来の30年後に必ず来るものを解説する。そのこれからの30年は、今始めれば素晴らしい30年後が、待っている世界があるという。やるなら今ですという言葉も解る。
未来に対して、楽観主義者だと彼は言う。何故かふと彼の著作の世界に、ヒッピージェネレーションや、ウッドストックコンサートの時代の反映を感じた。

以下アマゾンの批評より
https://www.amazon.co.jp/%E3%80%88インターネット〉の次に来るもの―未来を決める12の法則-ケヴィン・ケリー/dp/4140817046?ie=UTF8&*Version*=1&*entries*=0

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一年前の今頃に撮った画像。30年後には、生まれてからの自分が見た光景や、聞いたこと、考えたこと、行動したことなどの全てが記憶されることが当たり前になるという。プライバシーとはその頃どんな概念になるのか。巨大なデータの蓄積はどう使われるのだろうか。

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一年前の画像は、一年寝かされて何か違うものになっている。データは同じでも見る自分が違うからなのか。

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今朝の菊は遠い昔撮った画像に見える

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10月29日 [花]

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路上一面の白い小さな絨毯が今朝あった。
霜には早い、まして雪でもあるまい。
暗がりに一面ひろがる白きものの正体は、花だった。星の様な数々の花は、柊の様な濃い緑の葉蔭からこぼれ落ちた、銀木犀の花だった。

金木犀の花は今年も終わり、あの強烈な香りに引き換え、銀木犀の花の香りは控えめで上品だ。
花も例年12月近くに咲いていた。秋が毎年短くなり夏からいきなり冬の気配の花なのか。

路面に散った花の姿を見て、落下の地図を頭の中に描いて見た。金木犀の落花、椿の落花、薔薇の花弁の落花、様々な季節の落花達。その落花達だけの花の地図、面白そうだ。

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銀色の雫したたり冬がくる むおん


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10月28日 [色]

路地裏で鮮やかな柿の葉を、拾いました。
奈良へ出張で出かける際は、柿の葉寿司を京都駅の近鉄乗り換えホームの売店で買ったことを思い出した。深い緑の柿の葉は、少し分厚くて手で摘むとしっとりとした感触が伝わった。塩漬けにされていた葉のためか意外と柔らかである。葉を取り去ると、鯖と酢飯が程よく表れる。柿の葉に乗せたまま寿司を口元に運ぶ。車窓から薬師寺の塔が間近に見えて遠ざかる。
何個か寿司をつまみ、ふと柿の葉ごと口に入れたい衝動が起きた。葉は分厚いがしなやか、よく噛めば消化もするだろう。蚕のような気持ちになって少しかじった。お茶の葉の様な、桑の葉のような、然しか正真正銘柿の葉で、硬い葉だ。
葉を叩いてなめしたような葉なら、又食べたくなるかもと思いながら口に運んだ。
その後何度も好物の柿の葉寿司を食べたが、葉ごとたべたあの一個の味が忘れられない味だ。


柿の実同様に紅葉する、柿の葉は美しい。
桜の葉も紅葉が綺麗だが。



もがり笛柿の葉舞し法隆寺 無音


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10月27日 [人]

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GHQと戦った女 沢田美喜 新潮社刊を数ヶ月前に読んだ。
エリザベスサンダースホームを1948年2月に設立した沢田美喜子
さんには、三人の男子のお子さんがいた。
その実子の方が、「実子は孤児に、孤児は実子になった」と話されたという。
500数名の混血児と総勢2000名を超える孤児たちを育て、今もサンダースホームは様々な理由で通学し、ホームにいる子供達の教育が行われている。
1980年スペインマヨルカ島で、美喜さんが亡くなっ時、葬儀の際、実子のひとりが「お前たちがママを殺した!」と美喜さんが一番可愛がった孤児のひとりを指差して言ったという。
私は以前その孤児にあったことが何回かある。孤児は今では70歳に近い老人である。

その彼が「世界が混血児だけの世の中になれば、平和は続く」と言った。
しかしホームの子供達は、アメリカの養子縁組希望の際、白人の子は白人の里親に、黒人の子は黒人の里親にもらわれて行ったという。肌の色の違いは大きな壁なのか。

最近ショックを受けたのは、沖縄の現在に700名を超える米軍兵士と日本人の混血児がいて、沖縄では学校にも入れず差別されているという。本当の実態はわからない。

ベトナム戦争でも兵士たちと現地の人の混血児が多く生まれた。湾岸戦争でも、イラク他でも多くの混血児が生まれ、その国で二重の差別を受けているのだろう。

澤田美喜さんが、母親として次男の出征の時に言った言葉が強烈だ。
「出来うる限り 人を殺さないで帰って来るように」と

そしてGHQには、戦争はもうまっぴらです。戦争の後始末も出来ないような人々は二度と戦争を行う資格はない」

冒頭の孤児と実子のお二人は、澤田美喜さんの元へと旅立っています。
美喜さんの実子たちは、彼女が外交官夫人の時代英国の婦人が成人まで母親がわりに育てられたということです。

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10月26日 [かたち]

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土地の産物館や、畑の近くの無人販売所を覗くのが好きです。
たまに二股の大根や人参、曲がった胡瓜、虫喰いのあるナスなどが売られていると、喜んで手にとります。スケッチや写真を撮るには最高のカタチだからです。
どんな環境で、育った野菜でしょうか。遺伝子や何かの作用で、不思議な形になったのでしょうか。


スーパーの店先や、デパートの地下食品売り場では絶対お目にかかれないカタチです。
何故なら、カワツタカタチノ野菜は出荷する前に選抜され廃棄されてしまうからですね。
作物の見た目の悪さで、出荷されない果実や野菜は、アメリカでは250億トンを毎年超すという。
繊細な感覚と、神経質なほど品質管理の厳しい日本では、想像以上の数字だろう。まっすぐ長さも太さも見場も揃った胡瓜、真っ白でそっくりなサイズの卵、プラスティックで出来たようなトマトや、ピーマンの山、まるで工場で作られたような食品達。

食の安全は大事だが、味が同じなら、カタチで物事を見る世の中、少し反省すべきと感じました、

アメリカ西海岸で「インパーフェクト」不完全というなの、見た目の悪い農作物を買い付けて、低価格で販売する会社があります。と、ナショナルジオグラフィック誌の、捨てないで食べちゃおう特集にありました。画像も同誌から

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10月25日 [色]

柿の実がふたつ、テーブルの上にあります。
その触れ合うような距離の隙間から、射し込む秋の日差しと柿の色が美しいのでスマホでパチリと撮りました。丁度一年前の今頃です。SNSでは、自動的に一年前の写真ですと表示してくれます。
すごい世の中ですね。

ライフログLIFElogという言葉も凄いですねー。生まれてから死ぬまで自分の見た記憶や、聞いたこと、行動したこと、考えたこと、食べたこと、悩んだこと、喜んだこと、体験したことのすべてが記録できる時代。超管理社会なのか、人間解放の社会なのか、そのどちらも何でしょうね。

未来は柿と柿との間ほど狭いような気もして来ました。

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近ずく二つの柿なのか、遠ざかりつつある柿なのか、光は問いかけます。

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滲みと、甘さが好きですね。曖昧さを大事にしないと、ロボットたちに負ける時代が来ています。

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10月24日 [花]

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今朝の気温は室温19度、日差しも柔らかになってきた。
風も秋のふき方なのか、儚げの強さ。
1603年イエズス会が日葡辞書として、日本語とポルトガル語を刊行した際、犬の関連用語が、以下の通りあったという。

犬・戌、山犬、唐犬、むく犬、鷹犬、小鷹犬、鳥犬、以上三語は猟犬、雌犬、斑犬、里犬、犬追物、犬箱、犬縄、犬走、犬招き、犬飼星、亥の刻、犬鷲、犬蓼、犬桐、犬山椒、犬死、の23のことばだつたという。この中に「飼い犬」という言葉はなく、当時は町犬、里犬として、飼い主のいない世界だつたと、犬たちの明治維新 仁科邦男著 草思社にはある。
大名や、武士が飼う犬は「手飼いの犬」と呼ばれたという。
本では明治維新以後、舶来の犬達が幅広く飼われ、番犬や猟犬から現在に至るペットの時代になつたという。

最近来年の正月用の短冊とした以下の短冊を求めてきた。

うららかや手飼いの虎の寝正月 米田正夫

手飼いの虎は、俳句では猫なんだそうで、我が家の愛犬は始終昼寝をしています。

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冬仕度手飼いの徳利いだす朝 無音


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10月23日 [アート]

今日の日曜日迄の三日間、湘南大磯の町で、うつわの日と題したイベントが行われ覗いてきました。大磯駅前の迎賓館という、日本最初の2×4別荘は、築100年の建物。普段はイタリアンレストランのある個室の洋間には、クラシックな壁紙やステンドグラスと調度に合わせた金彩、銀彩の器たち。
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スペイン風の瓦屋根の向こうは、伊豆大島と相模灘。

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こないだ迄の空き家も新たなお店に、露地も賑やか。
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西行法師ゆかりの鴫立庵では、米粒で舟をかたちどつた浮遊するあーと。
作家は越後妻有のトリエンナーレアートで、古民家に米粒を滝の様に天井から天蚕糸で吊るした女性作家。米粒のうつわの舟は、魂を運ぶ器だろうか。
この辺り江戸か以前の昔には、石船町と呼ばれ伊勢参りの船も出た港だったという。

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他にも様々な器たちに出会い、秋の日を堪能した。



10月22日 [人]

GAPのショップの広告写真を見ながら考えた。
街は刺激に溢れている、人々は大概一台のスマホを持って歩いている。
そのスマホで何か刺激と思う光景を撮れば、必ず人の顔が写るだろう。
五千画素を超えるカメラも出ていて、拡大すれば遠くの人物も、はっきり識別できるだろう。
先日の五輪選手の銀座のパレードでも、大勢の観客がスマホを構えていた。

肖像権は今後どんな展開と解釈になっていくのだろう。顔の一部の唇だけのアップでも、誰かと特定できたら肖像権の侵害になるのだろうか。
印刷物のコピーでも、肖像権は発生するのか。
自撮りの向こうに偶然入った顔も対象になるのか気になった。

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似た顔に唇さむし秋の街 むおん

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おちおちとシャッター切れぬ国の秋 無音

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