SSブログ

10月02日 [人]

国会の首相の所信演説に、自民党議員が一斉に起立して、まるで何処かの共産圏の国の独裁国家の様な光景だという記事があった。

なぜ議員たちは起立したのか。予め示し合わせて起立したのだろう。なぜ起立しなければならなかったのか。

倉本聡さんが、昭和19年国民学校の4年生だった時の光景を書いている。
その頃始まった学校配属将校制度にのっとって一人の将校が突然僕らの前に現れた。彼は僕らを横列に並ばせ、開口一番いきなりぶちかました。
「特攻を志願する者、一歩前へ!」
僕らは全員凍りついた。特攻を志願するとは、国のために死ぬということである。命を絶つということである。
それが仮想の世界ではなく目の前の軍人の口から発せられたのだから、それは現実として受け止め、死ねるかという設問に必死に思いを巡らしたのである。
勇ましいのがいきなり一人の前へ歩を踏み出し、つられた様に2、3人が出た。一寸間があって、はじかれたように大きな集団がどっと前に出た。僕はその時まだ出られなかった。隣をちらとみると親しい旧友が蒼白になって半分震えていた。そいつと目があった。同時に二人ともバット前に出た。最後まで出なかった者が2、3名いた。
配属将校が、「戻れ」といい、一同の緊張がふっと解けた時に、誰かが「卑怯者」と最後まで出なかった旧友に向かい小さく囁いた。
その言葉が倉本さんの耳に今でも残っているという。

最後の二人は、本当の卑怯者だったのか。出なかったら後で周りに何か言われることが怖かった卑怯者は自分なのではないか。
周囲におもねって迎合してしてしまう卑怯者、真実を語るより会社の利益、自分の立場を守ってしまう現代の卑怯者。
組織にしがみついて、事実の隠蔽、虚偽の発表、などなど企業や巨大な組織、党派の中にあって、周囲を裏切りはみ出すことは、真実を貫くより強いことなのか。人の本質は全くあの時からも進歩していない。

image.jpeg

みんなでいれば怖くない、自分を出せばお終いだ。そんな国会のの光景とも重なって見えてくる世界。片寄ってはいけない。そんな思いと怒りが湧いてきました。

image.jpeg

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。