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10月27日 [人]

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GHQと戦った女 沢田美喜 新潮社刊を数ヶ月前に読んだ。
エリザベスサンダースホームを1948年2月に設立した沢田美喜子
さんには、三人の男子のお子さんがいた。
その実子の方が、「実子は孤児に、孤児は実子になった」と話されたという。
500数名の混血児と総勢2000名を超える孤児たちを育て、今もサンダースホームは様々な理由で通学し、ホームにいる子供達の教育が行われている。
1980年スペインマヨルカ島で、美喜さんが亡くなっ時、葬儀の際、実子のひとりが「お前たちがママを殺した!」と美喜さんが一番可愛がった孤児のひとりを指差して言ったという。
私は以前その孤児にあったことが何回かある。孤児は今では70歳に近い老人である。

その彼が「世界が混血児だけの世の中になれば、平和は続く」と言った。
しかしホームの子供達は、アメリカの養子縁組希望の際、白人の子は白人の里親に、黒人の子は黒人の里親にもらわれて行ったという。肌の色の違いは大きな壁なのか。

最近ショックを受けたのは、沖縄の現在に700名を超える米軍兵士と日本人の混血児がいて、沖縄では学校にも入れず差別されているという。本当の実態はわからない。

ベトナム戦争でも兵士たちと現地の人の混血児が多く生まれた。湾岸戦争でも、イラク他でも多くの混血児が生まれ、その国で二重の差別を受けているのだろう。

澤田美喜さんが、母親として次男の出征の時に言った言葉が強烈だ。
「出来うる限り 人を殺さないで帰って来るように」と

そしてGHQには、戦争はもうまっぴらです。戦争の後始末も出来ないような人々は二度と戦争を行う資格はない」

冒頭の孤児と実子のお二人は、澤田美喜さんの元へと旅立っています。
美喜さんの実子たちは、彼女が外交官夫人の時代英国の婦人が成人まで母親がわりに育てられたということです。

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