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11月18日 [山]

海に近い町に住んでいるのに何故か山が好きです。
山に住んだら街場や、海が恋しくなるのでしょうが、どちらかというと山が好き。
山の中は見通しがきかないのに、山を越えれば何かがある、そんな展開が好きなわけかもしれません。
山は一直線の道路が少ないし、曲がり角のある道の連続です。
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箱根宮ノ下の骨董店の店主が、中国の至宝は全て台湾へ運ばれ紫禁城は空っぽとの話がありました。
大きな建物や、家具は台湾へは運べず、今でも上海の港で運べなかったものが掘り出し物で出てくるそうです。小さなものは海を渡って運ぶことができ、国宝級の物は大きなものではない。ふと思いました。日本からも明治以降海外へ海を渡って行った国宝級の美術品があります。それは大きな屏風だったり小さな美術品まで様々です。でもこの日本の自然の秋は運ぶことができない。そんな当たり前のことが嬉しくなりました。

運べない秋の光景は、そこに行かないと味わえない。当たり前のことに気づいたのです。

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中国の陶器は世界一の水準だと骨董店種は言います。日本はジャパンという名の漆器、戦前までは日本産の漆を使い本物だと言います。ふと本物とは何か心で思いました。
それは、実用品なのか、美術品なのか。
数億円する価値の陶器も使われずに美術館の中で収まることに命が通っているのでしょうか。
値打ちのある茶器も、美術館の中にあるだけでなく、時たまに、お茶を点てることで輝きを維持すると聞きました。中国の陶器は、皇帝のために作られ、完成の極みを目指しました。揺るぎない完璧さ、精緻を極めた人間離れした世界への憧憬。世の中に完璧なものなどあるのでしょうか。永遠の完成品。
未完成こそ今なのに、完成を求める人の性。

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お隣の山法師の木の紅葉が見事です。美術館へ行かなくても生の紅葉が目の前にある幸せ。
朝の光の中で、揺れる葉の姿は一瞬として同じ光景ではありません。ひとひら枝を離れる葉、すでに大地に落ちて重なる葉、緑を残し動かぬ葉、刻々と命の色が変わる姿。

遠い世界の戦場を思うことも大事だが、今一瞬のこの一期一会の山法師の木の平和に感謝です。

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近くの幼稚園で、子供達が拾い集めた落ち葉を貼り付けた画用紙の作品が目につきました。
色とりどりの桜の葉の紅葉が無造作に貼り付けられています。いや子供隊は真剣に貼り付けたのでしょう。ふとその葉の色が毎日変わっていくのに気付きました。鮮やかな拾った時の姿から、葉を丸め茶色にくすみ、ある葉は画用紙を離れ下に落ちています。
そうです当たり前のように色も形も変わっているのです。

そうか美術品の中のあの陶器の名品の壺も、名画の群れも、総て変わりゆく状態にあるのだと感じました。普遍なるものはない。なぜか子供達の落ち葉の作品に、優しさを感じたのです。
ある絵描きは数百年を保つ技法で自作を作ったっという話も聞きました。
その作品も数千年もすればどう変化するのでしょう。不変なものはない。なぜか嬉しくなりました。

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青い葉が、紅葉するのか、常緑のままなのか、様々な姿。皆同じではない世界。

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永遠を求めるのは、人の心か、伝えるものは滅びないのか。
須弥山か、桃源郷か、山の麓に広がる世界が浮かぶ。
霧の晴れた時どんな光景が広がっているのか。
そんな大きな山の頂を連想させる大きな絵です。

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紙色という話を聞きました。キャンバスの白を生かし絵の具をのせない世界。日本画では紙の地の白を生かしたものが多いです。間のある世界を尊んだのでしょうか。
モネの睡蓮の作品を見ていた時何故かキャンバスの四隅が塗られていないのに嬉しくなりました。

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朝のキャンバスの上の影、こんな一期一会の光景が、大好きです。




   小さな秋世界平和の願い色 ムオン

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