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01月10日 [世界]

何か急に50年前ほどの世界を思い出したくなり、書き始めました。高校を卒業して東京の繊維会社のデザイン部門に入社しました。当時はミニスカートの旋風が世界に吹き荒れ始めた時でした。マリー・クアントとアンドレ・クレージュの二人が広めた世界だったと思います。
宇宙的な世界観が半世紀前には求められ、前衛的なスタイルがファッションだけでなくても求められていたのかもしれません。建築や工業デザインでも前衛的な近未来のスタイルが求められ、数年後に大阪万博、学生時代にはあの東京オリンピックも開催されていたからでしょう。

十代で会社に入って何か、若者でしか出来ない発想と、未完成なものを求められました。結構何でもやっていいというのは困ることでした。何か徒弟制度のような世界を求めて入った自分に合っている世界なのかが皆目分からない状態でした。

入社の前に約一ヶ月の研修がありました。今思えば贅沢な一ヶ月です。最初は繊維関係の会社の全国繊維同盟という組合の合同入社式。東京上野の文化会館で多勢の新入社員と一緒の式典です。
壇上の電気会社の会長さんか社長が話したことを今でも覚えています。鉄道の線路でその運行を守るために命がけで鉄路を守った人の話、なぜか仕事とは感動的な世界なんだという当時の年齢の私には胸が締め付けられる話でした。その後自家工場のある、横浜と浜松で各二週間の合宿がありました。
こんなことを書き込みたくなったのも数日前に成人式があったからかもしれません。
成人式は覚えていないが、社会に出た19歳の春の出来事が何か懐かしく覚えたからです。

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会社に入ってデザインらしきものを初めて最初に驚いたことが、デザインして鉛筆で描かれたものを、も一枚そっくりに写して描く作業です。鉛筆で描くといっても鋭く尖らして、面を塗るとムラが出ます。何故写すのかというとコピー機というものが当時はなかったからです。ゼロックスという機械は随分経ってから会社でも導入されました。

デザインの時間が製作とコピーで二倍もかかる。そんな時代だったのです。
馬鹿らしくなってカーボン用紙を二枚の紙の間に入れて描き始めたら、上司が怒りました。
なんでそんな手抜きのことをするんだ!信じられない世界です。
職人的に丁寧な原稿を二枚作る。そんな世界でした。

当時は交換手の女性たちが会社内に3−4人いて、電話も申し込みの紙を窓口に出す方式でした。
入社当時机の前の電話がなると、頭が真っ白になって受話器を取るのが怖い状態でした。
相手が何を言っているのか、早口でわからないといった状態でした。

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何かすぐ昨日のような話にも思えてきますが、半世紀前の話です。

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