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04月27日 [写真]

明日の午後はプレミアムフライデーとか、アメリカの景気対策の金曜日対策まで導入する今の日本はどうか。どうなのか。景気と経済成長のみが目標の国家、母国を守ると相手を挑発する国家。いつでも人殺しは始められると宣言する国家。

最近「サピエンス全史」下巻を読み終えた。昨年話題になった本であるだけ読み応えがある。
西暦1700年代の地球は人口が約7億人で、現在の70億人の十分の一だったという。
1800年代には9億5千万人になり、1900年代で16億人、2000年代で60億に増大したという。

現在の人類の総重量を換算すると3億トン、その人類を養う農場の家畜が7億トン、ヤマアラシ、象、ペンギン他総ての野生動物は1億トンにも満たないという。

4億頭の飼い犬に対し、狼は20万頭という。

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最近、坂本龍一さんの新譜を聴いている。本の対談で、西洋文明はノイズを極力排除してきたが、日本の楽器は、ノイズやズレといったものを非常に大事にしているという話に共感を覚えた。

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足場板というものを数年前に探したら、関東では金属素材の足場が普通になり、木製のものは廃棄されないという。近所で建築中の足場も金属パイプと足場のプレートだ。驚いたことに家自身も集成材の柱や壁で全て作られ、ムクノキのままの現場は見当たらない。コストと狂いがないための方法なのだろうか。

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洗濯バサミも、木製や竹製のものは趣味や骨董の範疇なのか見当たらない。

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紙の本から今は、インスタグラムに移った画像や動画が毎日深夜世界中から送られてくる世界。
コストはタダに近いのだが、何か悲しくもある。

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連休中、今年もアオバトがやってくる季節が近い、画像は昨年のものだが到来が待ち遠しい。

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04月22日 [世界]

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「人間はひとりひとり新しい生命を持って生まれてくるが、ことばは歴史的社会的に存在している」国分一太郎さんの言葉だそうだが、なぜか言葉の重みが伝わってくる。それは、話し言葉であれ、活字になったものであれ大事な存在感を感じる。受け継がれていくもの受け継ぎをしたい大切なものとしての言葉。

数年前の東京は新宿南口の光景、たくさんの人々が行き交う横断歩道の光景。
この光景のある百年前の光景はどうだったのだろうか、そのまた百年前の光景は、1,000年前の光景はどうだったのかと想像した。その時代その時代で生き物たちは必死に当たり前に生活を全うしてきたのだろうが。

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冒頭の国分一太郎さんの言葉は、旋盤工作家の小関智弘さんの本から見つけた。もう一つ同書「町工場で本を読む」現代書館 から、ハッとする頁があった。以下引用

-----場にこだわる----- 私の小説作法と図書館 から   最近では成田かもしれないけど、羽田あるいはHANEDAなども記号化されやすい場の一つだろう。国際空港としての成田があって、農民や過激派の闘争としての成田もあるようには、羽田は複雑ではなかったと、ほとんどの日本人は信じていたから、羽田あるいはHANEDAは、戦後日本の空の玄関として記号化され、世界中に通用した。

中略

いまはオペレーションセンターや広大な駐車場なっている敷地は、敗戦の夏までは、羽田鈴木町、羽田穴守町、羽田江戸見町という町であった。米軍が空港を占領して、48時間以内に強制退去という命令が出て、三千人ほどの住民は町を失った。わたしは今かってあったこの町の慰安所のことを書こうとしていた。戦前までその風光と穴守稲荷の信仰で賑わった穴守町に、戦時中のほんのいっとき、銃後の労働者である産業戦士の性の捌け口として、慰安所がつくられた。花街があったことは多くの人の記憶に新しかったが、そこがいっときそういう変身をとげたことを知る人は少なかった。かっての住民さえ知らないか、口を噤んだ。昔の町を懐かしむ人には出会えても、町の恥部は語りたがらない。

昭和十九年六月、穴守の慰安施設特別認可なる。穴守町七百五十番地付近六千五百坪を、産業戦士に対する慰安施設として臨時視唱黙認地域を認可(『蒲田警察50年誌』)

地元の図書館でなければ決して保存してなかった資料の、わずか3行がなかったら私の小説は書かれなかった。黙認地域を認可するという語句の曖昧さに出会えなければ、その小説は場が決められても、作品として展開することがなかったかもしれない。1990年7月

著者が場にこだわらなければ、普遍的な価値などというものは信じられないという言葉が重みを持つ。
三角形の屋根が並ぶ光景、上記の文と、羽田とは無関係の光景です。東海道新幹線で小田原の手前北側の山の斜面に出現する光景なのですが。

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小関智弘さんの、羽田という町の戦前、戦後間もなくの出来事は今から70年前の光景です。その出来事に町から48時間以内の強制退去ということが、福島原発事故の避難の人たちの光景と重なりました。住み慣れた町を離れ、二度と帰れない町。福島原発という場にも原発以前の歴史が横たわっています。

産業戦士の慰安所も全国に黙認されたのでしょう。その慰安婦の人たちがどこから来て、どうなったか。産業戦士の人たちの顔も、自分には遠い存在のように思えますが、父は川崎という町の隣の横浜で生まれこの産業戦士の一員となり戦後間も無く亡くなりました。

現在住んでいる町には、京浜工業地帯を埋め立てる構想をし、実現させた安田善次郎という実業家の別荘が近所にあります。彼が釣り船で糸を垂らし海底の深さを自ら測った東京湾と羽田の光景、なぜか目に浮かんでくるのです。

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自分たちが小さかった頃、大人の世界は大きく見えました。
大きくなって周りの世界が小さくなって見えた頃
大人と小人の世界の境は何か考えました
その境はいつでも行き来できる世界のようにも感じます
なぜなら自分の中にいつまでも小人の世界があるからです

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桜の花びら踏んでも音はしない   せきしろ

蝉の羽に名前を書いて空に放した  又吉直樹

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うきあがる埃が舞う動きを凝視   むおん

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ふた昔の夏の色          むおん

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どれか手にとって欲しいとか言われ  むおん

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キーボードの音が夏         むおん

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ころげだすレンズの裏から      むおん

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カキフライが無いなら来なかった 又吉直樹


04月16日 [花]

今年は四月も半ばでも、桜の花が観れる。三月が寒い日が多く、自分の骨身にも染みるほどの厳しさがあったからだろうか。都内や鎌倉、近所の山や川辺に、花見ができた。桜の花だけでなく、新緑や、水の色、空の色、川の流れの煌めき、総てが春だ。
主役がいない世界を思った。人間は主役を置きたがるが、本当の世界は主役がない。みんなが主役の世界。当たり前の世界なのかも。

隣町二ノ宮のせせらぎ公園と、葛川土手の桜並木を歩いた。八重桜の蕾が、山桜は新芽の緑が沢山。山は様々な無数の緑の饗宴。山笑う光景に心も弾む。花筏は川に散り、海までの旅に出る。

ありがとう季節の声が聴けました


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一部に、花水川と高麗山の写真があります。一本の桜木愛でて時はゆくなり

04月12日 [花]

今年最高の花見の最後をみた。湘南は花水川河畔の桜。

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04月09日 [花]

朝は小雨です。花の雨。
写真を撮りながら近所を散歩してきました。
駅前の洋館は築百年を超えた町の迎賓館。貿易商の別荘として大正時代の初期に建てられたそうです。

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桜餅のような香りのする桜でした。
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シェクスピアの翻訳で有名な劇作家の方が住まわれた住居辺りや、富山出身の安田善次郎翁が別荘を構えた王城山あたりを散策。

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竹垣はプラスティック製よりも本物の竹のがいいな。何故なら朽ち果てるから。

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春雨が似合う光景
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高麗石の石垣

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旧安田善次郎別荘

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持仏堂と唐破風門と庭の設計は、藤原京をイメージした安田靫彦画伯の構想で創られたとか。

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湘南平へ続く道には山の中腹に、シロヤマザクラかが咲き誇る。
一本の桜を愛でるのも素敵な時間だ。

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蒼き花すっくと枝を広げ未来に咲く 今年もまた

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わくら花という名の花はないのだろうが、遅咲きの白モクレン一輪

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花の季節、初夏の気配
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    花三昧ありがたきかな平成も残り僅か   無音







04月08日 [花]

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大磯駅前の桜の花を撮る。彼方の高台に西洋館がありそれを構図に入れて撮る。
駅前に松月という料亭があり、伊藤博文公の料理番だったという人が初めて百年は経過した店だという。
京都や金沢の料亭では数百年の営業も珍しくはないのだろうが。かって駅前あたりは田畑が広がり松林があり、田に映る名月の名所だったという。

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松月に桜の枝の影のどか

花の名所は、月の名所であり、別荘が明治の頃から多くできた町となる。
駅前の喫茶店のメニューもレトロな光景だ。

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桜の後は、地上に散らばる星のような花に目がいった。
無数の星座のような星の花は、青く白く光る。

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路地裏に春の銀河か星の花   ムオン

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春の道のどけからましすたすたと 

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鴫立庵への道尋ね春へ行く     ムオン

04月07日 [花]

東京目黒川の桜並木

    喧騒の地上の人々と 川の底は静寂の世界 散り始めた花弁が夜の星のような別世界

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 さんざめきも春の空も

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04月06日 [花]

今日は隅田川の桜と、目黒川の桜を眺めてまいりました。
どちらも主役は花より、人の姿が華やかでした。
まづは浅草周辺の花見のスケッチ。原色の町。レトロの町。哀愁の町。

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赤が目立つ町、花見の時にはと百年前のアメリカはコダック社のベス単レンズのフード外しで撮影。

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続きの目黒川の桜は次回で




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04月05日 [時]

当地の湘南地方の桜は、ようやく開花を始めました。桜にも種類があり、此の地で一番のシロヤマサクラの花は散り始めています。窓から此の白山桜の開花が遠望できます。都内ではソメイヨシノも満開のようですが此方は堅い蕾の木が多く、ヒートアイランドの東京が開花宣言一番の理由なのでしょうか。

先日50年ぶりの金沢の街を探訪しました。50年前にはなかったであろう高速道路を走り長旅でした。
50年前に10代の後半を迎えた私は、高校の卒業旅行で友人と二人、福井の東尋坊、魚津の埋れ木を見て
金沢で一泊した鉄道の旅でした。家の中のどこかにまだ兼六園の虹の橋の上で撮ったモノクロ写真の自分の姿が存在するはずです。

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途中雪の激しく降り始めた高速道路を走りながら、アメリカの情報ハイウエイの話を思い出しました。
確かアメリカのゴア副大統領の時代だったでしょうか。
自分がコンピュータという存在に興味を持ったのは高校生の頃でしょうか。会社に入り電算部というセクションにコンピュータ室が設けられていました。空調が制御された大きな部屋にリール式のテープが回っていてスリッパに履き替えて立ち入ったのを鮮明に覚えています。

その後初めてシャープのザウルスというポケコンを買って持ち歩き、出張計算の記録やパソコン通信でニフティに加入したのは、神戸の震災があった頃でした。パソ通仲間が、インターネットにアクセスし始め
会社でもドメインを取るのに急いでと担当者が動き回っていたのも、つい昨日のことのようです。
初めて買ったデジタルカメラはリコーの40万画素という横型の好きなデザインのモデルでした。

パソコンも富士通のFMタウンズが最初の所有でした。マックの世界はまだ憧れの価格と内容も思うほど理解できない世界でした。携帯電話も神戸の震災の頃から使い始め、電磁波障害を気にしてイヤホンマイクをつけて会話をしていました。当時の朝日ジャーナルにアメリカの電話会社ベルなどの交換手の女性が電磁波障害で受けたであろう不明の症状が多く見られるという記事が、電磁波への関心を呼んだからです。

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FMタウンズでプログラム言語を打ち込みテレビに繋ぎ、簡単なお絵かきが画面上でできた時は感激でした。その後、マックのノートパソコンを中古で買い、パワーブックのMacの世界にも接することができました。デスクトップはカラフルなiMacから、3代目の2007iMacにたどり着きました。OSも最新バージョンにはアップグレードできませんが内蔵ハードディスクをSSDに入れ替え快適な環境にすることができました。サポートセンターに不具合を相談し、かれこれ一週間も時間を費やしましたが快適な環境になりました。

タブレットの歴史も、最初にiPod touchを買い、その後iPadを三代使用して現在は、アイフォンが主役になっています。二十年以上前には携帯電話にカメラが搭載され、パソコン機能までも搭載されるとは夢にも思っていませんでした。時代の流れに流されないよう適度に距離を置きながら今日は50年を簡単位振り返ってみました。

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湘南から金沢までの道、高速道路や村の道、路地裏の道を歩き見ながら、情報の道も総て最新の未来的な世界の道では無いことを実感しました。

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さまざまなこと思い出す桜かな 芭蕉

花(桜開花)の情報がこれほど日本中を巡る国は世界にもまれ、とテレビでありました。
桜以外にも春の花が足元に木の上に咲いています。数年前の3.11ののちに自分で詠んだ俳句が以下の一句です。



    物気色春爛漫に横たわる    無音



もののけの色が妙に凄まじく音の無い世界に横たわる、この年の春でした。

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