06月20日 [時]
毎年春と秋に一輪だけ花をつけてくれる薔薇、プリンセスミチコです。
今日は人生いろいろと考えています。いろんな出会いや、季節の巡り会いに感謝しながら。
数ヶ月から半年間、当ブログの更新をすることができなくなりました。
また再開できることを楽しみにと、ご挨拶のみです。 2017.06.20.SILENT
アオバトが駅前の空や、街の上空を行き交っています、空からの眺めいいでしょうね。夏の海
06月10日 [いのち]
今週はいろいろなことがありました。一ヶ月以上通っていた歯医者さんの治療が芳しくなく、その歯医者さんに相談して大学病院の紹介状を書いてもらい口腔外科に行き、レントゲン撮影とCTで口周辺を検査してもらいました。結果親知らずに虫歯の感染症が深く進行していた模様で、急遽一泊入院で抜歯しました。町の歯科医で何度もレントゲンを撮って治療していたのに何故わからなかったのでしょう。CTの検査機械は、GM製や、東芝製があって一台2,000万円くらいするようにネットでは書かれています。大学病院の医師は、こちらには武器があるからねと言い、先生の診断で所見の違いがあるのは当たり前と仰います。あとは患者も勉強して医師との信頼関係を作ることですとも仰います。
確かにその通りで、歯や口の痛みはレントゲンでは写りませんね。
ここ数週間嫌な夢を見たのも虫歯が原因のようです。
最近の歯の治療では、抜歯を避け、神経も取らずに治療して高齢でも自分の歯が残るようにするのが流れとしてあるようです。感染症が拡がり他へも感染症の拡大があったら抜歯せざるをえないのでしょう。傷口が硬化すると口も開けられなくなるとの事で、指先で上顎と下顎を広げる動作を繰り返しています。
この動作はいつかした記憶があります。鏡を見ながら昔上の歯を抜いたとき同じ動作をしたことを思い出しました。早く元の状態の口に戻ることを願いながら。街の歯医者さんでは治療のための痛みからくる顎関節症で口は大きく開けないように言われ、毎晩マウスピースをはめて寝ました。今は抜歯後の大きく口を開けなさいという局面。人を信頼するということも難しいのだと思う出来事でした。
困ったら大病院へ行けば解決するという問題でもないですし。
山の緑も濃くなり、数回アオバトの群れが飛ぶのを街の上空に確認しました。
散歩の途中で、カラスが私と犬を狙い低空で脅しをかけ旋回してきました。望遠レンズで狙い目があったカラスなのか、縄張りを侵入したので攻撃を仕掛けたのか。恐怖の一瞬でした。カラスは犬の知能より数段頭がいいと言います。何か脅しをかけた理由があったのでしょうが不明です。
ヒッチコックの有名な『鳥』のシーンを思い出してしまいました。この街にカラスが多くなっています。東京では少なくなったカラス移動してきたのでしょうか。
今日の夕刻の散歩で、犬が突然飛んでいた虫を捕らえました。すぐに吐き出した虫は、玉蟲でした。
最近は玉蟲に出会うことが少なくなりました。羽が一枚落ちていて大事に拾って帰ったこともありました。犬の口から離された虫は元気で、家に持ち帰り撮影してから放してやることにしました。
何か吉兆の虫のような気がして嬉しくなったのですが。早速玉虫くんの背景になるものを探して、マクロレンズで撮影しました。夕闇の空に羽音を響かせててから飛び立ちました。
今日は般若心経を書いていました。その経文と玉虫の対比似会いすぎでした。
羽を広げひっくり返った体を起こそうと懸命です。天使も仰向けからこんな動作で立ち上がるのかと。
光をまとった虫です。玉虫の厨子が作られたわけがわかるような流れ
光を放つ玉虫の厨子には、捨身飼虎図を思い出します。初めて見たこの図に涙したことがありました。
06月04日 [時]
元働いていた会社の同窓会があって東京へ出かけた。
集合時間まで間があるので、会社から徒歩5分で行けた蕎麦の、まつやに出かけた。開店時間の前には行列ができていた。神田淡路町交差点近くの、太平洋戦争の下町の火災にも奇跡的に焼け残った一角の中にまつやはある。神田青果市場が近くにあり市場関係者も昔は多く出入りした店と聴いたことがある。
近くにはアンコウ鍋の伊勢源、鳥のぼたん、甘味どころ竹むら、藪蕎麦本店、喫茶ショパン、西洋料理松栄亭などの老舗がひしめく。
まつやの店内には土曜日の開店時間前に並んだ甲斐があり直ぐに入れた。
天井を見上げると大きな格子状の灯りと、店のまつやの松の姿が窓の装飾にある。土間と奥の調理場からオバさん連中の店員が慌ただしく注文の品を運ぶ。
店主が奥に座り、会計処理をしていたのだがこの日は店員が会計の処理は此処の客にしていた。
昔から店員の方は白か紺のハイソックスを履いている。
注文は大盛りにした。メニューをちらりと見ると、かき揚天丼の名があった。昼に蕎麦では物足りなかった若い頃、かき揚天丼をいつも頼んだ。蕎麦は昔と同じでうまい。
初めてこの店に来たのは、約50年の昔だと気づいて驚いた。当たり前にそんな時間が過ぎていた。
初めてこの店を訪れたのは、池波正太郎さんの本のページからだったか。十代の終わりの歳の頃、地味なものが好きだった。特にこの一角の寂れた大人の街の印象が好きだった。
まつやの夜では、池波志乃とご亭主の粋な二人連れもあった。
藪蕎麦本店は数年前に火災のため再建されたが、昔から黒塗りの車が門前に停車して好きにはなれない店だった。伊勢源はアンコウ鍋だが、夏でも営業していて二階の座敷で独占して夏の夜の晩餐を食べたのは思い出に残っている。甘味の竹むらは、二階で昔は句会も開かれていたという。
近くには万世橋の駅の跡に交通博物館があり何かレトロで時間が止まっていた。付近には羅紗ありますと看板の出た生地屋のビルも何軒かあった。
竹むらの店先を見て、揚げ饅頭を思い出した。この店内も昔ながらの叩きの土間だ。
最近であろうか十年は経つのか寄席の幟があった。奥には藪蕎麦の看板が見える。
自分が十代にタイムスリップしたかのように、画像はこの日に撮り、セピアカラーに変換した。
中央線の列車が旧万世橋の煉瓦のアーチの上を走行していく。
煉瓦塀の向こうへ歩いていく、遠い昔の自分を見た。
煉瓦塀の向こうに歩いていく、今の自分に姿は変わった。
昌平橋から秋葉原方面へと脚を向ける。
川面の姿は、半世紀前も一緒。波紋が描くのは高層ビルなのだが。
煉瓦と高層ビルは何か馴染んでいた。
秋葉原から神田まで山手線に乗る。途中秋葉原駅前に健在のラジオセンターにも脚を運んだ。
会社の同窓会は多くの人たちが集まった老若男女、数十年ぶりに会えた人もいる。女性の顔は分からない方が多い。現役の人もかなりいる。縁あって数年から数十年を共に働いた人々。参加できなかった人達のメッセージが読み上げられる。騒音と喧騒でみんな聞いてはいないけど。名前に懐かしさが蘇る。
十代で入った会社の創業者がN.Y.で修行中に、母からの手紙が聖書よりも大切で大事なものだと話し、社員の誕生月には、ケーキを贈ってくれた。家庭的でアットホームの会社だった。間も無く創業も100年を迎えようとしている。
一人の先輩の男性が、会の締めに話された。「自分は昭和38年上京しこの会社に入り、翌年東京オリンピックを迎えたのです。2020年東京オリンピックの年にもう一度集まりましょう」
1964年のオリンピックの年まだ自分は高校生だった。この会社に入り数年後新幹線で大阪万博への市場調査をこの会社の上司は許してくれたことを思い出した。神田駅周辺の光景の今
帰りには東京駅で降りた。中央郵便局へは仕事の荷物の発送や、新しい切手を買うためによく通った。
駅舎の南口のドームとステーションホテルの入り口
ひたすら光が美しい 昔の光も今の光も チリが踊る
中央郵便局はKITTEビルに生まれ変わった
化粧品メーカーのイベントが
丸ビルにあるような古風な帽子
最後に東京駅の東海道線ホームから 松本清張の作品「点と線」を思い出して
集合時間まで間があるので、会社から徒歩5分で行けた蕎麦の、まつやに出かけた。開店時間の前には行列ができていた。神田淡路町交差点近くの、太平洋戦争の下町の火災にも奇跡的に焼け残った一角の中にまつやはある。神田青果市場が近くにあり市場関係者も昔は多く出入りした店と聴いたことがある。
近くにはアンコウ鍋の伊勢源、鳥のぼたん、甘味どころ竹むら、藪蕎麦本店、喫茶ショパン、西洋料理松栄亭などの老舗がひしめく。
まつやの店内には土曜日の開店時間前に並んだ甲斐があり直ぐに入れた。
天井を見上げると大きな格子状の灯りと、店のまつやの松の姿が窓の装飾にある。土間と奥の調理場からオバさん連中の店員が慌ただしく注文の品を運ぶ。
店主が奥に座り、会計処理をしていたのだがこの日は店員が会計の処理は此処の客にしていた。
昔から店員の方は白か紺のハイソックスを履いている。
注文は大盛りにした。メニューをちらりと見ると、かき揚天丼の名があった。昼に蕎麦では物足りなかった若い頃、かき揚天丼をいつも頼んだ。蕎麦は昔と同じでうまい。
初めてこの店に来たのは、約50年の昔だと気づいて驚いた。当たり前にそんな時間が過ぎていた。
初めてこの店を訪れたのは、池波正太郎さんの本のページからだったか。十代の終わりの歳の頃、地味なものが好きだった。特にこの一角の寂れた大人の街の印象が好きだった。
まつやの夜では、池波志乃とご亭主の粋な二人連れもあった。
藪蕎麦本店は数年前に火災のため再建されたが、昔から黒塗りの車が門前に停車して好きにはなれない店だった。伊勢源はアンコウ鍋だが、夏でも営業していて二階の座敷で独占して夏の夜の晩餐を食べたのは思い出に残っている。甘味の竹むらは、二階で昔は句会も開かれていたという。
近くには万世橋の駅の跡に交通博物館があり何かレトロで時間が止まっていた。付近には羅紗ありますと看板の出た生地屋のビルも何軒かあった。
竹むらの店先を見て、揚げ饅頭を思い出した。この店内も昔ながらの叩きの土間だ。
最近であろうか十年は経つのか寄席の幟があった。奥には藪蕎麦の看板が見える。
自分が十代にタイムスリップしたかのように、画像はこの日に撮り、セピアカラーに変換した。
中央線の列車が旧万世橋の煉瓦のアーチの上を走行していく。
煉瓦塀の向こうへ歩いていく、遠い昔の自分を見た。
煉瓦塀の向こうに歩いていく、今の自分に姿は変わった。
昌平橋から秋葉原方面へと脚を向ける。
川面の姿は、半世紀前も一緒。波紋が描くのは高層ビルなのだが。
煉瓦と高層ビルは何か馴染んでいた。
秋葉原から神田まで山手線に乗る。途中秋葉原駅前に健在のラジオセンターにも脚を運んだ。
会社の同窓会は多くの人たちが集まった老若男女、数十年ぶりに会えた人もいる。女性の顔は分からない方が多い。現役の人もかなりいる。縁あって数年から数十年を共に働いた人々。参加できなかった人達のメッセージが読み上げられる。騒音と喧騒でみんな聞いてはいないけど。名前に懐かしさが蘇る。
十代で入った会社の創業者がN.Y.で修行中に、母からの手紙が聖書よりも大切で大事なものだと話し、社員の誕生月には、ケーキを贈ってくれた。家庭的でアットホームの会社だった。間も無く創業も100年を迎えようとしている。
一人の先輩の男性が、会の締めに話された。「自分は昭和38年上京しこの会社に入り、翌年東京オリンピックを迎えたのです。2020年東京オリンピックの年にもう一度集まりましょう」
1964年のオリンピックの年まだ自分は高校生だった。この会社に入り数年後新幹線で大阪万博への市場調査をこの会社の上司は許してくれたことを思い出した。神田駅周辺の光景の今
帰りには東京駅で降りた。中央郵便局へは仕事の荷物の発送や、新しい切手を買うためによく通った。
駅舎の南口のドームとステーションホテルの入り口
ひたすら光が美しい 昔の光も今の光も チリが踊る
中央郵便局はKITTEビルに生まれ変わった
化粧品メーカーのイベントが
丸ビルにあるような古風な帽子
最後に東京駅の東海道線ホームから 松本清張の作品「点と線」を思い出して
06月02日 [人]
昨夜の夢は嫌だった。
玉子に着色をするので、その色見本を探し出す仕事だ。何のために着色するのかは、色付き玉子を販売するからなのだろう。足元にうまい具合に黄葉して美しい枯葉があった。それも色見本になると葉を集めた。紙の色見本から選ぼうとするが、風が吹き始め飛んでいってしまう。おまけに色見本を貼る白い台紙が見当たらない。小さな役に立たない台紙ばかりだ。引き出しを開けると中味が溢れるほど飛び出し悲惨だが、台紙は見当たらない。
何色卵のための色数を用意するのか、気になる。一色だけでは足りないだろうし、五色なら何故五色なのかと悩む。
卵の殻を染める色見本の夢、現実とも繋がっていた。昼間冷凍庫の引出しにぎっしり詰まった冷凍食品を見て無理矢理押し込んだ。紙を探して彼方此方の引出しを開け満杯であるが、見つからなかった。
夢の中でも引出しの続きを探す作業をしていた。昔は素敵な夢を見て、夢の中でも大事な夢だから続きを楽しみにと眼が覚めたのだが。
色見本の色の選出に、どこまで必然性や、論理性があるのか、夢から覚めても悩んでいる。
嫌なゆめだった。夢は夢の世界でありたい。
横尾忠則さんの全版画集を観た。何か深層心理に呼びかけてくる好きな画集だ。
懐かしい風景のように
ストリートファッションの写真集を観る。今は本からインスタグラムの世界になっているのだが。
コンゴの男性の迫力ある着こなし。英国のエレガントを黒人のアングロマインドで見事に消化。
暑い季節になると原色の着こなしが、元気を出してくれますね。
最近Jアラートが気になり、スマホをチェックした。彼の国のミサイルは沖縄あたりには十数分で到達するのだと知った。日本海上の落下地点の延長線上には、日本の核貯蔵施設や米軍基地が存在している。
アラートが鳴ったら、窓際から離れ室内の奥に移動し、スマホのアプリで風の流れをすぐチェックしろという。ミサイルに何が積まれているかはわからない。
こんなことを現実とする世界のストレスは嫌だ。「たとえ世界が滅びようとも貴方はリンゴの木を植えますか」
玉子に着色をするので、その色見本を探し出す仕事だ。何のために着色するのかは、色付き玉子を販売するからなのだろう。足元にうまい具合に黄葉して美しい枯葉があった。それも色見本になると葉を集めた。紙の色見本から選ぼうとするが、風が吹き始め飛んでいってしまう。おまけに色見本を貼る白い台紙が見当たらない。小さな役に立たない台紙ばかりだ。引き出しを開けると中味が溢れるほど飛び出し悲惨だが、台紙は見当たらない。
何色卵のための色数を用意するのか、気になる。一色だけでは足りないだろうし、五色なら何故五色なのかと悩む。
卵の殻を染める色見本の夢、現実とも繋がっていた。昼間冷凍庫の引出しにぎっしり詰まった冷凍食品を見て無理矢理押し込んだ。紙を探して彼方此方の引出しを開け満杯であるが、見つからなかった。
夢の中でも引出しの続きを探す作業をしていた。昔は素敵な夢を見て、夢の中でも大事な夢だから続きを楽しみにと眼が覚めたのだが。
色見本の色の選出に、どこまで必然性や、論理性があるのか、夢から覚めても悩んでいる。
嫌なゆめだった。夢は夢の世界でありたい。
横尾忠則さんの全版画集を観た。何か深層心理に呼びかけてくる好きな画集だ。
懐かしい風景のように
ストリートファッションの写真集を観る。今は本からインスタグラムの世界になっているのだが。
コンゴの男性の迫力ある着こなし。英国のエレガントを黒人のアングロマインドで見事に消化。
暑い季節になると原色の着こなしが、元気を出してくれますね。
最近Jアラートが気になり、スマホをチェックした。彼の国のミサイルは沖縄あたりには十数分で到達するのだと知った。日本海上の落下地点の延長線上には、日本の核貯蔵施設や米軍基地が存在している。
アラートが鳴ったら、窓際から離れ室内の奥に移動し、スマホのアプリで風の流れをすぐチェックしろという。ミサイルに何が積まれているかはわからない。
こんなことを現実とする世界のストレスは嫌だ。「たとえ世界が滅びようとも貴方はリンゴの木を植えますか」