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10月29日 [花]

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路上一面の白い小さな絨毯が今朝あった。
霜には早い、まして雪でもあるまい。
暗がりに一面ひろがる白きものの正体は、花だった。星の様な数々の花は、柊の様な濃い緑の葉蔭からこぼれ落ちた、銀木犀の花だった。

金木犀の花は今年も終わり、あの強烈な香りに引き換え、銀木犀の花の香りは控えめで上品だ。
花も例年12月近くに咲いていた。秋が毎年短くなり夏からいきなり冬の気配の花なのか。

路面に散った花の姿を見て、落下の地図を頭の中に描いて見た。金木犀の落花、椿の落花、薔薇の花弁の落花、様々な季節の落花達。その落花達だけの花の地図、面白そうだ。

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銀色の雫したたり冬がくる むおん


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10月24日 [花]

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今朝の気温は室温19度、日差しも柔らかになってきた。
風も秋のふき方なのか、儚げの強さ。
1603年イエズス会が日葡辞書として、日本語とポルトガル語を刊行した際、犬の関連用語が、以下の通りあったという。

犬・戌、山犬、唐犬、むく犬、鷹犬、小鷹犬、鳥犬、以上三語は猟犬、雌犬、斑犬、里犬、犬追物、犬箱、犬縄、犬走、犬招き、犬飼星、亥の刻、犬鷲、犬蓼、犬桐、犬山椒、犬死、の23のことばだつたという。この中に「飼い犬」という言葉はなく、当時は町犬、里犬として、飼い主のいない世界だつたと、犬たちの明治維新 仁科邦男著 草思社にはある。
大名や、武士が飼う犬は「手飼いの犬」と呼ばれたという。
本では明治維新以後、舶来の犬達が幅広く飼われ、番犬や猟犬から現在に至るペットの時代になつたという。

最近来年の正月用の短冊とした以下の短冊を求めてきた。

うららかや手飼いの虎の寝正月 米田正夫

手飼いの虎は、俳句では猫なんだそうで、我が家の愛犬は始終昼寝をしています。

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冬仕度手飼いの徳利いだす朝 無音


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10月15日 [花]

昨日数年前からのクラウドの画像が一万枚を超えていることに驚いた。
フイルムカメラでは、そんなことはありえないが、アイフォンのカメラやネットにアクセスの画像物凄い数だ。
もう一つの記憶装置が頭以外にある感じ。恐るべし世界。

秋の陽射しに、グズマニアという南方系の植物の花。パイナップルの仲間だそうな。

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お十夜も十三夜も過ぎ冴えし日々 むおん


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10月11日 [花]

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100年前の人は、このアメリカ生まれのカメラで何を撮り、どんな暮らしをしていたのか思う。
何人もの人を渡り歩き、海を越え、時を超え、自分の目の前にある写真機。

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そのレンズを通し、生まれてから100年後の世界を観る。

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命ふたつ秋の蚊と白き花 むおん


秋の蚊や叩かぬ仏の頬光り むおん


レンズ越しに、2016年の秋、10月10日に咲く、白いホトトギスの花に止まる蚊の姿を見た。
花の蜜の香に誘われた雄の蚊だろうか。縞々の細い身体と、秋の蚊の弱々しい姿が、自分を鏡で見るようだつた。写真は自画像。

10月06日 [花]

ご近所の河原に、野生化したのか蕎麦の花が咲いている。毎年この時期土手に白い小さな花が一面に。夜は初雪のように浮かび上がる。10月に入っても真夏日が続くこの町なのだが。
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ノーベル賞を受賞された、大隅先生のお住まいが、この町だと知って何か少しだけ嬉しくなった。山と海と野山がまだこの町にはある。
村上春樹さんがノーベル受賞したら、二人のノーベル受賞者がこの町にはゆかりの人となる。
村上春樹さんは、この町には書庫だけのご様子で、NYの仕事場のが多そうなんだが。

御二方の家の近くでもないのだが、静かな時間が我が家の周りでも流れている。室内でも外でも金木犀香りが漂っている。

隣町のららぽーとオープンの光景を少しだけ見てきた。空一面の鰯雲を見て、ららぽーとの前にあった日産車体の宮崎工場の空を想った。宮崎も、台風一過秋の雲が広がっているだろう。
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10月05日 [花]

水引のアーチの先の誕生日 むおん

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水引の一目散の空威張り むおん

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健忘期水引語る深き謎 むおん

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明日花みずひき草の夢並び むおん

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9月27日 [花]

紫蘇の花の1束を頂きました。夏の青紫蘇は、豆腐のツマや、醤油付け、天ぷらなどに、最高の香りの贈り物でした。秋に入り、長い穂の紫蘇の花が、一部は青い鈴の様な実となっています。香りをしごく様に実を離しました。一枝は白いお猪口に入れて。

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水に晒してアクを抜きます。
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アクをとったら、生姜のみじん切りと蜂蜜に麺つゆ砂糖、味醂を加えて、弱火で佃煮を作りました。
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一味では単調なので、味噌と味醂の紫蘇の実佃煮を作ります。
真っ白な御飯の上が最高でしよう。
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三品目は、シンプルな醤油味の紫蘇の実佃煮。
手前味噌ながら、二品目の味噌は、自家製味噌を使いました。
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9月25日 [花]

およそ80年前のカメラのレンズで、東海道松並木の彼岸花を撮った。
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彼岸花の名は、全国で千以上と言われる別名や、方言名を持つという。
それだけ日本全土に見かけられる花となっているのだろう。
大陸から渡ってきた人々とともにこの国にやって来たという話も聞いたことがある。
原産地は世界の中でどこなのだろう。椿同様、何か不吉な花のイメージが強いが、簪のような繊細な赤の花の色と、真っ直ぐの茎の色の鮮やかな対比が好きだ。

椿も日本の古代では、めでたい樹木であった。彼岸花も目出度く祝いの花といった時期もあったのだろうか。西洋では観賞用の花としても好まれているようだ。

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別名、曼珠沙華の意味は、梵語で赤いという意味のようだ。いつか花を撮っていたら、この彼岸花の全国の分布する花のDNAを採取して、海外のどのようなルートで日本に来たかを調査中の大学の研究室があると聞いた。この花の辿ってきた数千年の歴史の道がわかったら、それに伴う人間の移動の痕跡もわかるのだろう。興味ある話だった。

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原産地は東南アジアのようなのだが、どこだろうか。

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9月24日 [花]

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旧東海道の松並木に咲く彼岸花を撮影に行った。
松葉の雫と、彼岸花の雫が、秋の水玉を創る世界。
彼岸花は群生する、若緑の茎が好きだ。
いつの間にか芽を出し、拳のような蕾が天空の簪をつける。
死人花、曼珠沙華、天涯花、幽霊花、捨子花、おどろおどろしい名が付けられたのは
飢饉の際に、アク抜きを適切に行えば球根が食用となるため、やたらに触らぬための
昔の人の知恵だったという話も聞く。

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 金屏風ゆらりゆらりと曼珠沙華   無音

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 善と悪いづれも一字曼珠沙華  河野南畔

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 彼岸花あかるき橋のうら    赤岡淑江

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 尻を尾で蓋し牛ゆく曼珠沙華  寺治燕居

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 捨子花わらべ指差す土手の上    無音

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9月23日 [花]

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手描きの少し昔のカップソーサー
誰が描いたのか、潔い筆先

無数に描いて、無心で描いた、小さな手のひら大の皿
描いた人はもういなくても
目の前にある皿はある

何処の国の何処の地方の
どんな人達が作ったかは
わからない

誰かが使い
誰かがそっと
残してきた皿

土から生まれて花を咲かせた
この皿には
何処の国の生まれかは
もはや関係ない

小さな菓子を
秋の夜に
載せて
愛でたい


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