4月21日 [山]
今日は箱根をドライブしてきました。箱根峠から芦ノ湖へ車で数分、新しくできた港の畔屋という商業施設、お客さんの80パーセントが海外からのお客さんだそうです。さすがの箱根です。
今の時期、点描画の世界のように咲く、マメザクラが箱根山中至る所ひっそりと咲いています。
小指の先ほどの梨の花のような可愛いマメサクラです。
箱根恩賜公園は箱根で最も好きな場所です。明治時代に伊藤博文の提案で、箱根の離宮として作られ場所です。宮内庁から払い下げられた今は誰でも入れる素敵な公園です。
箱根恩賜公園の中の二百段階段苔むした石のスッテプが風情溢れる場所です。
明治から平成までの春二百段踏みしめて 無音
小涌園にやってきました三河屋旅館の解放されたツツジの庭は5千坪、まだツツジには早い季節ですが、有名な箱根、山のホテルのツツジ群にも引けを取らない景観でした。
逆鱗の如きツツジの花の精 ムオン
風情のある小涌園三河屋旅館。この辺りに長谷川町子さんのお母様が買われた小涌園の別荘があったはず。そのお隣の三池の別荘には、大磯から吉田茂首相がちょくちょく来られていたとか。
箱根の森の妖精たちは密やかに笑いを貯めて合掌していた。ハハハハハハハ へへへへへ。
今の時期、点描画の世界のように咲く、マメザクラが箱根山中至る所ひっそりと咲いています。
小指の先ほどの梨の花のような可愛いマメサクラです。
箱根恩賜公園は箱根で最も好きな場所です。明治時代に伊藤博文の提案で、箱根の離宮として作られ場所です。宮内庁から払い下げられた今は誰でも入れる素敵な公園です。
箱根恩賜公園の中の二百段階段苔むした石のスッテプが風情溢れる場所です。
明治から平成までの春二百段踏みしめて 無音
小涌園にやってきました三河屋旅館の解放されたツツジの庭は5千坪、まだツツジには早い季節ですが、有名な箱根、山のホテルのツツジ群にも引けを取らない景観でした。
逆鱗の如きツツジの花の精 ムオン
風情のある小涌園三河屋旅館。この辺りに長谷川町子さんのお母様が買われた小涌園の別荘があったはず。そのお隣の三池の別荘には、大磯から吉田茂首相がちょくちょく来られていたとか。
箱根の森の妖精たちは密やかに笑いを貯めて合掌していた。ハハハハハハハ へへへへへ。
4月04日 [山]
敷き詰められた石に雨が等しく降りかかっている。
その石の一つ一つの違いは、かたちの違いか、素性の違いか、ふと考える。
「数学する人生 岡潔」森田真生編を読む。
自分とは何か
自分とはなんでしょうか。 西洋人は「自分とはこのからだである」といっているのですが、それは「自我」が自分であるといっているのと同じことです。
ところが、自我に肉体を主宰する力などないことは、少し振り返ってみれば明らかでしょう。
自我は思うままに食べ物を取り入れるし、排泄したくなれば、それを排泄する。ところが何度もいいますが、自我にできるのは、その両端だけで、その途中は少しもわかりません。
このからだ、この心が自分だと思うのは間違いで、そんな考えは打ち消さないといけないということです。
以上岡潔さんの言葉の、その途中を分かるもの、とは何なのでしょうか。「心」が「体」との関係で、自分を支配しているということなのでしょうか。
人というのは、大宇宙という一本の木の、一枚の葉の様なものです。
宇宙という一本の木の一枚の葉であるということをやめたなら、ただちに葉は枯れてしまいます。
宇宙という大きな木と、一枚の木の葉。
本当の自分を仏教では「真我」あるいは「大我」というそうです。
真我、大我は死にません。「不生不滅」世界の一番はじめからあるもの、生まれたものではなく、滅することもないもの。
木の葉は、秋になれば落ちますが冬になっても木はあります。
真の自分とは、木だから不死です。不生不滅です。
ところが、葉としての小さな自分は死ぬのです。仏教では「小我」というそうです。
大我は不生不滅で、小我は死ぬ。
命あるものは100%死ぬ。大我は不死。
人の心とは、簡単にいえば、二つの要素からなっているそうです。
一つは懐かしさ。もう一つは喜び。この二つを同時に感じるのだそうです。
次回、「懐かしさ」と「喜び」を読み進みます。
笠をきて案内の僧や花の雨 みの助
隧道を抜けて激しき花の雨 無音
1月25日 [山]
1月24日 [山]
この町の一番東側に、高麗山という、海側から見ると、漢字の山の字の形の三つの峰がある。中央の峰が高麗山、東側が東天照、西側がハ俵山と呼ばれている。高麗の国の王子、若光がこの地に上陸した時に目印にした山で、後に山岳宗教の聖地となり、寺院が山頂と麓に築かれ、最盛期には、表十二坊、裏十二坊の末寺があつたという。江戸時代には天領となり、高麗寺は手厚く処されたという。鎌倉時代には頼朝も此の地に花見に訪れたが桜の花はまだ咲いてなく、前に流れる河を、花水川と名付け、鎌倉に帰ったという。頼朝が富士の裾野で巻き狩りを催した際、有名な曽我兄弟の仇討があり、此の兄弟に縁の、虎御前は、高麗山の麓の化粧坂に住んだという。
そんな高麗山の風景を、元木橋だった海側の橋の上から眺めた。
そんな高麗山の風景を、元木橋だった海側の橋の上から眺めた。