青い散歩道 [道]
山が雨に煙っています
今ころの山は 山笑うでしたっけ
山が笑う前に沢山の涙を流しているように雨が降っています
雨の散歩道
濡れて光る道が主役です
昭和3年(1928)の今日 大磯町十銭均一の集合自動車を運行。今は全国でコミニュティバスが100円で走っている町もありますね。1銭は0.01円ですから今なら1000円ですか?
高いですね。当時の物価では鯛焼が6個十銭とあります。山手線の初乗り運賃が五銭ですから
乗り放題としても高い方ですね。同じ日に貸しボート、子供プールも設置とあり、夏が近いですね。昭和48年の今日には大磯西友ストアー開店とあります。吉田茂邸の西側海に面してすぐ近くですね。最初ボーリング場が建てられその後、西友ストアーとなって十年間営業したそうです。そういえば広い駐車場がある西友と平屋建ての建物思い出します。
頼朝さんと西郷さんと佐伯祐三の散歩道 [道]
川の流れは鎌倉時代に桜山と言われていたかもしれない高麗寺山の東を流れる花水川の流れ。川の名のゆわれは、源頼朝が桜の花を観ようと馬でやってきたが、花の時期が過ぎ、花を観ることが出来なかったからとか。山桜が山中にはちらほら見かけられ、川原の桜並木はソメイヨシノが多く近年に植えられたのだろうが、四月には桜のトンネルになる。川は大きく河口付近で蛇行を繰り返し、治水工事が何度も行われたため隣町の平塚と、大磯町では境界が昔の川の流れによって出来たため、現在の地形では複雑な境界となっている。境界にそって線を引くと昔の川の流れがわかるのが面白い。鎌倉からの頼朝の散歩道も想像すると楽しいものがある。
駅裏にある一角に西郷従道が別荘を構えたと言われる場所がある。海側の睦奥宗光別荘の後には古河市兵衛の別荘となり、その古河家三代目の虎之助さんの奥様が、西郷従道の次女富士子様という。この町は明治に入り別荘地となったので薩摩、長州、土佐藩関係の人のゆかりが多い。この山坂を昇り薩摩の海を思い浮かべたかもしれない西郷さんの背中を想った。
画家佐伯祐三が二度目のパリに向かう年の夏、大磯に家を借りて妻と娘がパリへの旅費と準備に忙しい祐三を待ち、大阪からパリ行きが決まったと大磯宛の手紙を妻に書いたと言う。駅から線路伝いに東に坂をおり松の繁る一角を抜け小さな三沢川を渡るとこの小道にさしかかる。キャンバスや画材を持ってこの路地を祐三も歩いているかもしれない。パリに渡った翌年に祐三は彼の地で亡くなっている。