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01月06日 [本]

二年間ほぼ毎日ブログ更新してきましたが、今年は読みたい本が渋滞しております。週一ペース
位に減速します。昨日の書き込みは誤って消去してしまいました。
昨年から梅が咲き出したご近所の紅梅も満開です。寒さはこれからが本番の兆し、風邪引かぬように、ご機嫌よう。

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11月13日 [本]

今日は町の図書館の、一年一度の本の放出市があった。掘り出しものを求めて出掛けてみた。大きな日本大地図ゲット。ネットやナビの地図とは違う存在感。重さ。
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大きな袋が破けるほど二十数冊の本を抱えて帰ってきた。
家にもあるのに、閔妃暗殺  角田房子著も、持ち帰った。

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リアル書店が消え行く中、暫く紙の本を手に取りたいと深く思った。
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灯火にて本を開きし秋の宵    むおん


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11月01日 [本]

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線の文化史という、世界を線で集約した本を読み始めた。

道も血管も、歴史も線である。最近は途切れ途切れの線的思考や、点での思考が多いが、線は国境線となり、細胞の膜を表す線となり重要な歴史に溢れている。

この本を読んで、今ある一線を超えたかもしれない。

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リュックの素材は複雑な編み目の線で構成
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街中は電線が走る


10月07日 [本]

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以前「犬のお伊勢参り」という本を読んだ。
実際にあった江戸時代の話のようで、何々村よりお伊勢様へと、書かれた木札と餞別の銭を入れた袋を首に下げ、街道を行く旅人が、交代で伊勢まで連れて行き、無事村まで帰ったという。
当時の犬たちは、村や町の番犬として名もなく、特定の飼い主などもいなかったという。里犬、町犬として、暮らしていたという。同じ著者の、「伊勢屋、稲荷に、犬の糞」という江戸の犬たちの人間との暮らしぶりの記録を読んだ。有名な将軍綱吉の生類憐みの令により、江戸の町の町犬が十万頭もお助け小屋に収容され、牡牝別々に管理されたという。白米を餌に与えられ、散歩もなくなったため、半分以下の頭数に減ったという。脚気は犬でもかかるようだ。

江戸の町の犬達は、普段は人間の残飯を拾い、魚の残飯も食べ、江戸の町のゴミ処理の役割を果たしたという。

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明治に入り、外人に吠える町犬が続出し、政府は国際的な問題を鑑みだした。犬には所有者の名を記した木札を首につけ、犬の名も決めること、おふれを出したという。
海外から持ち込まれる洋犬が増え、純粋な和犬は見る間に減ったという。人々は洋犬の名に習い、ポチという名を多くつけたという。

殿様達の鷹狩のための猟犬や、鷹の餌となる犬、犬追物という犬を追う狩。
江戸の初期には赤犬達を食用にしていたともいう。
中国や韓国で食用に犬が使われている事や、英国の狐狩りの歴史が、動物愛護協会を生んだという事実。人間は人同士でも殺戮をするが、犬達との長い歴史にも様々な局面があることを知った本です。


犬と名のつく植物名の話もありました。犬蓼、犬枇杷、犬槙、犬トクサ。

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9月03日 [本]

サイボーグ化する動物たち ペットのクローンから昆虫のドローンまで
エミリー・アンテス著
を読み始めた。いずれ人間にもサイボーグ化の波は来ている世界を感じる

命とモノの関係も、より交差していくのだろうか

数年前に嫌な夢を見た!
木々の枝を折るとそこからコンピュータ基盤と配線が剥き出しになって驚いた。
映画ターミネータの皮膚を被った人間同様の、植物の世界。
緑の透ける葉にも、ナノレベルの配線が見える。

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最近のニュースでは超小型のドローンを昆虫に埋め込んだり、昆虫の神経系をコントロールできるICチップの搭載された蜜蜂の、飛行が制御できる開発などに驚いた。

愛犬との会話も可能な頭に翻訳機を被ったペットも登場するかも知れない。
本を読む前に、中味の想像を思うのも楽しい時間だ。

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命のコピー神のコピー秋はじまる ムオン


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8年10日 [本]

今日は山の日、海と山の間に我々は住んでいる。世界の人々の中には一生海を見ないで暮らす人もいる。一生山かや降りずに生活する人たちもいる。その逆に山と海とに囲まれ一生過ごす人たちもいる。
この国では、海の日と、山の日がある。この日以外の363日は、里の日とでも言おうか。

山を想い、海を想い、里を想う。
想いながらお茶を点てた。

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最近、本の乱読が加速してきた。一冊の本をじっくりと読めない。アマゾンでは本の読み放題が始まった。電子書籍でスクリーンで読む本だが、片っ端から読みたい本をダウンロードしてしまう。
紙の本もアマゾンでポチったり、図書館では月に30冊平均で借りてしまう。すべての本が読みかけで、デスクトップや、机の上に散乱する。やたらとチャンネルを変えるテレビのザッピングや、眼が疲れると他の本を開く、ウェブサーフィンのように。電子書籍も中身が解体され、1ページや、検索用語に寄り道をするのが当たり前になった。確実に何かが当たり前になり、何かが失われていく。

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すべての本がリンクされ、その中身もタグ付けされた言葉で埋まり、本の内容の要点もダイジェスト版で表示され、一冊を全て読む人はいなくなる。何もかもが解体され再構築され、不変のものが無くなる世界。羽根を休める蝶の背中に聞いてみた。本は死んだのですかと。

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1月18日 [本]

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満州建国大学卒業生たちの戦後「五色の虹」三浦英之著を読んでいます。

かって日本が、理想の王国として、コーリャンの粥を啜っていた農民たちを追い払い、五族協和のスローガンの元に、漢民族、満州族、朝鮮族、モンゴル族、ロシア民族の若者たちを集め国際大学を作り8年間の歴史を持ったという。その大学の精神は、言論の自由だったという。

五族協和を実現する為に、異なる生活習慣や、歴史認識の違いだけでなく、互いの内面下の感情さえも正しく理解する必要があるとして、建国大学は開学当初から中国人学生や、朝鮮人学生を含むすべての学生に言論の自由を、、、つまり日本政府を公然と批判する自由を認めていたという。

その卒業生たちがたどる戦後が凄まじくインタビュー記事で書かれている。
http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4087815978/ref=mp_s_a_1_1?qid=1453086551&sr=8-1&pi=SY200_QL40&keywords=五色の虹

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数日前の空には、真昼の月が三日月で見え、高度数千メートルを旅客機が飛ぶ。

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九月二十九日 [本]

紀伊国屋書店が取次店を経ないで独自の販売手法を試みたという。一般に返本率40%で書店の利益は、定価の20%だという。取次という大きな出版業界の仕組みが大きく崩れていっているのだろう。アマゾンという強敵も最初は、本の配送というリアルな世界で大きな壁を抱えていた。
リアル書店頑張れと言いたいが、今後は作者から直接本をダウンロードできる直結した世界が訪れるのだろう。間にあったものが消えていく社会。複雑化した世界が、よりシンプルな手渡しの世界へと繋がっているんじゃないかと思うのは自分だけなのか。黄金の田んぼで赤とんぼの番いが繋がっていた。極自然な光景なのだろうか。精巧な神の仕組みを感じてもしまう。

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    赤とんぼ赤を取っても宙にあり       ムオン







昨日詩人の谷川俊太郎さんの言った話を聞いた。詩の朗読会で詩人に、若い母と娘さんが、「原発の事を詩には、谷川さんは書かれないのですか」と質問したら 「僕は詩人だから書きません。原発の事は政治家の仕事です」と答えたそうで、会場にいてこれを聞いた人は子供に何処までこの内容がわかるか苦しんだという。私は思う母娘が詩人とは何か?この言葉で一生心の片隅に記憶されたらいい話だと感じた。ある日詩人は「言葉なんてチャチなものです!言葉以前の世界がこの星にはずっと長く続いてきたのですから」その言葉が身にしみた。その通りだ。言葉がない時代の世界、もっと大事な世界だった。赤とんぼの言葉を聴いたみたい。  

七月十五日 [本]

佐野洋子さんの電子ブック「神も仏もあるものか」を求めた。凄いかのじよの書いた60代の自分だからか、渇いた大地に水が染み込むように、心にしみた。空気のような電子ブックの1ページだが写真に撮った。今日も暑くなりそうだ
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