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六月五日 [本]

深夜食堂という漫画を読み始めた。アメリカはブルックリンのタバコ屋を描いた名作映画『スモーク』を思い出した。舞台劇のようにカウンターの客とマスターの会話が素敵な、東京は歌舞伎町の近くの食堂の舞台設定。漫画のコマに無駄がなくて情景がすぐに思い浮かべられる。人情物の映画、人情紙風船のように切なくほろ苦い短編が詰まっている。登場人物の客は何故か対照的な二人の客。食べ物に息があって何故か共鳴し、通い合う。他の常連客も二人の人生模様にそっと触れ合う。いつもエンディングがさらりと余韻が残り、儚さが漂う。深夜食堂の灯りで何故かこころ和んだ朝だった。映画化もされ話題になった作品。
ビッグコミックを読んでいたサラリーマン時代が懐かしい。

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昭和24年6月5日 東鉄主催オタノシミ列車が、湘南大磯に到着。乗客は大磯観光委員の案内で、坂田山ハイキングや、照が崎海岸での、のど自慢大会、地引網を楽しんだ。
坂田山心中事件から17年の歳月が流れていた。照が崎の海岸へ毎日やってくるアオバトは、のど自慢の光景を、大磯駅前のサンダースホムの森から恨めしそうに眺めていたのだろうか。今日は海岸へ飛んで行くのはやめておこうかと。

平成27年の今年の春、埼玉県高麗寺のある市から団体列車が、大磯駅に着いたという。此の町の高麗山と埼玉の高麗寺のゆかりが記念すべき歳月が流れたからだという。団体列車の旅もいい物だ。

三月十四日 [本]

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ここ最近本の読み方が、乱読、散讀、微読になった。明らかにネットの拾い読みの影響が出ているのだろう。数冊の本や雑誌を並べてつまみ食いで読む。この態度は良くないのだが、抜けきれない悪しき習慣になりそうだ。おまけに新しい本が揃うと明らかにそっちのページを開く。情報過多の時代の飽食の読書だ。

桃の花か、海棠の花が満開、目白がよく似合う。ウグイスの藪での初鳴きは今年はまだ聞けていない。近くの寺の白梅がまだ満開ではないのが不思議。


三月九日 [本]

image.jpgVANITY FAIRは、今も発行されてるようで驚いた。
HARPAR's BAZZARは創刊150年近くになる世界最初のファッション誌だという。創刊号などは、高値で取引されているのだろう。突然何か、映画の封切り日の、光景を思い出した。映画館で花輪の並んだ華やかな大劇場の姿が浮かぶ。映画産業も、虚栄の国で産まれた象徴的産業だ。偉大なるイミテーションの国と、呼ばれたアメリカ合衆国。今は虚像が世界を支配する。

三月八日 [本]

今年初めて焼き物の器を、焼いてもらった。
縦に釜傷の割れが、発生したものを漆と金で繕ってみた。ひとすじ金の流れる、器。

image.jpg1911年大正二年の頃、アメリカのハーパーズバザー誌売り上げを伸ばすとある。今も発刊されていれば、100年以上の歴史だ。50年以上の昔、バザー誌や、ライフ、ボーグという雑誌に触れる時期があった。母が在日米軍の雑誌を日本国内に配布する仕事をしていたからだ。プレイボーイ、ペントハウス、サタデーイブニングポスト、様々な雑誌は表紙の半分がカットされていた。母親の検閲にパスした雑誌が家に持ち込まれた。当時の日本には無かった厚手の光沢紙や、化粧品会社の宣伝の実物のクリームのサンプル等、豊かなアメリカの香りがあつた。自動車会社と、洗剤と、食品会社の見開き聯合広告等、別世界が広がっていた。
中でも好きだったのが、バニシイフエアーという薄っぺらい雑誌だった。中身は覚えていないがシユルなイラストの記憶がある。

みづゑよむ [本]

みづゑよむむかしのわれと今のわれ  むおん

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1975年の「みづゑ」美術出版社刊が出てきた。
IMG_0001.jpg昨日のブログではうろ覚えで、「みずゑ」と書いた。
正確には打ったであるのだが。歳のせいか怪しい言葉を検証しないで打ち込む事が多くなった。
それにしても水絵が、みづゑになったとは日本語とは難しいですね。正確な発音ではどう聴こえるのだろうか。MIZUE 。
此の雑誌、表紙裏表紙共に版画家池田満寿夫さんの懐かしい作品が使われている。No.843号特集はヴィジュアル・ポエトリーの実験とある。当時の定価は1200円結構高い価格。美術書としては現在の美術手帳が1600円位、果たして当時が高かったのか今が安いのか高いのか判らない。39年前の時代の空気が読める本だ。ネオンアートなんて物も確かにあった。ネオンサインとは文字が主役でした。同書より。何か光の文字が時代を感じさせていました。
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最近3Dプリンターで文字の筆跡を追うという事を見て、感動したのと同様な作品を知った。
文字を文字通り作品にしたもの。実物を見たら感動するだろう。
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『行為の軌跡 ―活字の裏の世界―』と題された作品。
武蔵野美術大学・視覚伝達デザイン学科の荒井美波さんによる、これも非常に興味深いプロジェクトである。筆跡を立体にするのはネオンアートにも重なる世界。文字を綴ることの不思議。

作者は、『普段目にしている文字は思考の軌跡であり、人間がペンや筆といった道具を手に持つ事で生まれた「書く」という行為の産物でもある。しかし、様々な技術が進歩してゆくうちに、行為によって生み出されたという背景は忘れ去られ、活字という表面的な情報のみが一人歩きする様になった。近年ではデジタル技術の進歩によって筆記具を手に持ち書くという行為が、キーボードを打ち入力する行為に変化している。結果的に情報としての文字の役割は同じであるが果たして本当にそれで良いのだろう』という。

以上都築響一さんの『ROADSIDERS' weekly』http://www.roadsiders.com。毎週水曜日に、月に4回お届けの有料サイトからの紹介です。
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以下は、1975年みづゑの頁から、北園克衛さんの作品「プラスティック・ポエム」から

同書から
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川が四つ点が入ると州になる表現が面白い。
木は林になり森になる。
一昨日に横浜通り商店街の、鰻屋「八舟」のウナギを買ってきた。店の包装紙が八州と楽しいロゴマークが愉快だ。
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みづゑよむこぴーきにはるひかる 無音

1975年代はカラーコピー機も出始めて効果だったろうと思いだす。会社近くのカラー専用機械でコピーをしたのは何時の時代だっただろうか。会社に導入され原稿を掌にしたり、原稿をずらして遊んだりした事を思いだす。本にはページネーションという紙の連続性があるという。背表紙と表と裏表紙が一体化されて一冊の本のスタイルがある事がわかる。
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スキャン中に原稿を動かしブレを愉しむ。動きをスキャンする事の出来る不思議。
フォーカルプレーンシャッターの様なフィルムカメラのメカを思いだしもする。
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天変地異 [本]

赤木明登さんは語る。縄文の時代からこの国では漆が使われてきたという。それは人間が自然と対話する関係から生まれたという。自然とは、おのずから生るものであった。自然を畏怖し敬い、その恩恵から暮しや、生きる糧が生まれた。その自然からの聲を、漆が発する無言の声を著者は聴く事が尊いという。
此の世に存在するものは数十億年、数万年の変遷を経てきたモノ達で構成されているのだろう。
木の肌や、鉄の肌に、風雪を刻み込んだ痕跡を見ることが出来る。
赤木さんは工房で今朝も、ひたすら漆を塗る作業をしておられるのだろう。
「この国に繰り返し繰り返し営まれてきた漆と人の交わる姿が、僕の前に連なっているのがわかるのだ。この漆は、祈りを忘れ、おごり高ぶった僕たちがひきおこしてしまった、恐ろしい原子力発電所の事故の年、2011年の漆でありながら、同時に縄文の漆でもあるのだ。」 クロメられた漆は桶に封印され、漆専用の倉庫で三年から五年寝かされるという。その間にゆっくり呼吸をしながらこの場所の環境に馴染んでいくという。この漆の貌を見るのは何年後になるのだろうか。その時縄文から続くこの国はどうなっているのだろうか。と著者は結ぶ。

漆職人の背中から見える姿、真摯なものを感じました。
今日も身の回りの、肌で感じたものの世界です。
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鉄肌の熱き姿や初夏の風



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雨風を見つめきたりて夏二人




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発泡の吹き飛ぶ白さ夏は海




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朱夏まじか冷たき雨が描くもの




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肌冷えの青に寄添う紅きもの




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断面は歴史の波の蠅とまる




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黒松の肌より皮と夏がいう




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朽ちていく真夏の姿刻むもの




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どこまでも夏の畑が続く街




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白化粧老いたる夏の立ち姿

皮膜世界 [本]

美しい本に出会った。「名前のない道」赤木明登著。
中で写真の授業で、被写体のかたちは撮らずに、テクスチャーだけを撮る話が出てくる。
妙に興味を惹かれる。多田道太郎さんの世界で、皮膚の表面に世界の総てが顕われると言った事を思いだした。まわりのモノ達の皮膚を集めてみた、これが結構面白い世界なのだ。
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裾が白土で染まった木の扉

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去年の朝顔といつ伐られた竹なのかの組み合わせ

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1981 [本]

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1981年著名写真家による芸術性の高い雑誌を目指し、FOCUSが創刊された。昭和56年この年の秋からテレビドラマの「北の国から」も放映が始まっていたという。
連続テレビ小説という言葉もこの頃からあったのだろう。2012年の現在では、連続ドラマや連続する番組を見る意欲が無くなっている。ビデオや記録された媒体の普及で、見逃し番組にがっかりする事が少なくなったからなのだろう。情報が溢れ連続して何かを得ようとする根気が失われていく。雑誌フォーカスは、写真を主役に短い文章がついた雑誌だった。売り上げを伸ばすためにスキャンダルに走り、パパラッチや盗撮手法が闊歩して売り上げ部数を延ばした。写真は一瞬で読者にインパクトを与えるが、その刺激はいつ迄も続かなかった。芸術性から大衆性、低俗な写真へと内容が変わっていった。いわば読むという行為から、見るという行為の雑誌に変わり、短い文章は何か欲求不満を残すが、あたりまえのことになっていった。連続性や持続性の世界から、瞬間性、断片化、盛沢山の世界へ突入していた。
急激に文章が短い記事が、多くなっていった。この断片化がtwitterなどの呟きへとつながっていったのではないだろうか。車内の中釣り広告も、見出しだけで中味が想像できるようになった。新聞の見出しも中身を読む前に先入観で中味を把握し、読んだ気にさせて来る。実際あんなに重くなった新聞を隅から隅迄読むのは苦痛になる最近だ。
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今現在、机上に本や雑誌を三冊同時に読んでいる。一冊を深く読むより何冊かを平行して読む癖がついてしまった。これもネットの世界の断片生やリンクの簡単な世界からの影響が大なのだろう。長い文章を読むと疲れる。ダイジェスト版のが中味が濃い気がして来る。長いものを読むのはそのプロセスが大事であり、余計な事でないのは重々わかるのに、まとめのみ読む。美味しいとこだけつまみ食いしていると深い生活がわからなくなる。
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何かをまとめる事は、それなりの時間がかかる。何かを読み取るのにも、それなりの時間がかかる筈だ。何かを一瞬でわかったように思うのは、それから逃げ切る行為なのかもしれない。人間の身体は、努力する事で鍛えられ輝くという、オリンピック出場の選手の言葉が実感できる。
世界をどうみるかは、時代の角度で違うのだろう。
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最近自分が生まれた頃の60年以上前のレンズで世界を視てみたいと思う。
最新のデジカメのボディに古いクラシックレンズをつけて撮影する人達が増えているという。フィルムに焼き付けた世界とは厳密には違うのだろうが、何か一昔前に生きた人の眼を、次の世代に移植して視ているような気持ちになりそうだ。
言葉も次の世代に残すには限りなく濃縮した短い文章が必要なのだろう。
濃縮された文章を戻すとどれだけ広く深い世界が広がる言葉。
そんな世界がほんものなのだろう。
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光が縞になって葉を染める。縞の情報はどこに書き込まれているのか。
縞の秘密を知らなくても、目の前にある世界。
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扇風機の初期の頃のモデルを再現したモデルなのだが、この再現モデルも30年以上の時を重ね、風を送ってくれる。
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デスクトップに「ゴミのようなもの」と書かれたフォルダーを視たのは随分昔の事だ。ゴミのようなデータを持っている気分は、ゴミ屋敷の主の心理と似ているのかもしれないと、ふと思う。江戸時代には、ふとは不図、不与と書いたという。最近古文書解読に興味をひろげている。

1994 [本]

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1994年5月発行の「多田道太郎著作集2 複製のある社会」を書棚から抜き出した。現在の社会は、複製されたもので全て成り立っているようにも見える社会だ。複製とは何か、オリジナルとは何か考えてみた。写真はデジタルの世界になって複製というものが総てのようになった。デジタルのオリジナルと言う存在はあるのだろうか。活字は複製を作る為の道具だが、此処の活字には物質的な差異があった。デジタルフォントでは差異はなくなり、総てが同じになった。
表紙画が横尾忠則さんで、多田さんは1960年代に横尾氏を発見していて、三十年後の著作集に人工着色の装幀をしてもらったという。1960年代もシルクスクリーンや版画の複製藝術が確かに流行し始めていた。
本では、オリジナルがない世界を追求する。2012年の現在は世界は複製に埋もれている社会なのだろうか。超越から横超へ、親鸞が『教行信証』のなかで、横にずれながら超えていくというか、広がっていく世界。著者は「横に超える」ことに刺激を受けたという。水平思考なんて言葉もいつの頃かありました。
昨日「最後の発見、ヒッグス粗粒子発見!」のニュースがありました。モノって命って何なのでしょうかねー。
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頭の中で考えた事を、キーボードに文字の配列として打ち出す作業。これは頭の中での考えた配列を、複製して文字に置き換える作業なんでしょうか。
パブロ・ピカソの言葉『優れた芸術家は真似をする。偉大な芸術家は盗む』これは、『優れた賢い人間は、真似をして複製を産み出す。偉大な人間は、オリジナルを盗みその精神の真実に触れる』て言う浅い解釈では駄目なのでしょうか。複製でもその底にある世界に触れれば、凄いものだと思うのですが。
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テレビに映った数万数億の顔は複製顔なのでしょうか。
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写真画像は、オリジナル写真の世界と複製画像の溢れる世界に別れている。
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複製画像とは軽いものだろうか
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量産されるものは複製ではないのだろうか
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今年の春の画像が取り込まれなかったSDカードに残っていた。ふきのとう
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複製されたものが繰り返されると効果はどうなるのか
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今年用に変えた蚊帳を使った、カーテン。
今吹いて来る風は、複製出来るのか。
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1984 [本]

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1984年発行の手紙を特集した本がある。表紙に魅かれて購入した。「あ」という段ボールの厚紙を切り抜いて送られた手紙。インパクトが強かった。この本の中で
ある作家の紹介が心に魅かれていた。エヴァンス、飢饉も大災害もない幻の国の為に、彼は4000枚の切手を描き、31歳で此の世を去ったという。
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子供の頃から切手収集は友達の多くがやっていた。小学校の頃はペンパルフレンドという組織を知って、フランスやスエーデンの同世代と手紙交換をした。通訳文がついた中継ぎ業者がビジネスをしていた記憶がある。切手の背景や郵便の背景には
様々な世界が見える事を知った。
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エヴァンスの世界は、今世界を繋ぐセカンドライフの世界をも連想させる。世界が汚れていく程、もう一つのピュアーな世界が求められ出現するのだろうか。
テレビで漫画「アキラ」の懐かしい原画展のニュースを見た。都市や世界の破壊を描いた世界は、バブル期の日本や終末の未来論が産み出した世界だったのだろうか。話は飛んでこの年1984年7月25日 - 1959年より行われた朝鮮総連による北朝鮮への帰還事業がこの日をもって終了。配偶者ら少なくとも6,839人の日本人を含む総勢93,340名が北朝鮮に渡った。とある。手紙は彼の国へはだせないのでしょうね。
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2012年2月上記の手紙をいただいた。冒頭の「あ」の手紙の作家嶋本昭三さんの刺激を受けられて、メールアートという事を始められた、ナカムラさんからのものだ。メールアートとは中村さんのブログに詳しい。
http://k1naka-essey.blog.so-net.ne.jp/2011-03-21
電子メールのe-mailがメールになった今の世界では、郵便という世界は古典的であり、若い方には新鮮な活用に写るのではないだろうか。私も数年前からナカムラさんの刺激を受け、丁寧な御指導で、数年前からメールアートの世界へ飛び込んだ。
メールアートの産まれた背景と、これからに非常に興味がある。これを読んでいただいている、貴方参加してみませんか。絵手紙と違うのは行きっぱなしでなく、お互い同士のコラボが一枚の葉書や手紙にかわされる事です。
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6月に藤沢のアトリエ・キリギリスさんでメールアートの展示会があると云う事で参加しています。
http://atelier-kirigiris.com/top/top.html
こちらには世界から届き始めているメールアートが紹介されています。興味のある方はのぞいてみて下さい。この世界、何でもありで、郵便を使う以外ルールはないのが素敵な世界です。コピーフリーという言葉もキーワードです。一枚の手紙が世界中を何年もかけて廻っているという話も愉快です。何かを継ぎ足したり消して、次の人へ送るそうです。チェーンメールでは決してない世界です。
今回のテーマは『THE FUTURE』「未来」ということで、芽吹きのイメージを展開してみました。ブログで一部公開してしまいます。
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林檎のようなハートの切手の中に双葉を植えてみました。双葉は種にもみえますね。メッセージは柔らかにしなやかにです。
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若いAさんもコラボしてくれました。目打部分は機械がないのでパソコンでの印刷だけの目打です。
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切手のシールはエヴァンス風に、本の栞にも使ってもらえるようなアイディアなのですが、、、。紙は裁ち落としの耳部分をつかっています。
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まだ締切迄一ヶ月 アナタモ一枚の葉書、キリギリス迄送っていただけませんか
お願い致します SILENT

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