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8月18日 [人]

小熊英二著
生きて帰ってきた男
- ある日本兵の戦争と戦後
を読んでいます。
1968を書いた小熊英二氏の父上の記録です。著者は直接父親から何度も、話を聴き、調べもしたのでしょうか。


語りたくない戦中の話も多かったのではないでしょうか。語り尽くせぬ話や記憶もあったでしよう。満州で捕虜になりシベリアのチタという町で1945年に20歳の誕生日を迎えた、著者の父。

読んでいる私は1968年20歳の誕生日を迎えました。戦争とは、平和とは、高度成長の日本とは、何だったのか。
読み続けます。


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    秋の陽が外に佇む時代かな   むおん

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 朝顔の季語を忘れて花に聴く   むおん



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戦前戦後の暮らし朝顔ひとり  むおん




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8月08日 [人]

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NHKの番組を観て感動した。あなたは「イゾラド」という言葉を聞いたことがあるだろうか?
南米で「イゾラド」といえば、”隔絶された人々”という意味を持つ。そう、原初の先住民たちである。もっとも、「イゾラド」当人たちは自らがそのような名前で呼ばれていることを知らないだろう。彼らは文明社会と一切の関わりを持たない。2016年においても、洋服を着ないし、武器は主に木製の弓矢か、槍を使っている。イギリスがEUを離脱したとか、世界中がポケモンに夢中になって歩きスマホが問題だとか…… 我々の耳に当たり前のように入ってくるありとあらゆることは、当然ながら一切知る由もない。南米大陸で、始めてというオリンピックが行なわれている。同じ大地に生きる人々。彼らは後2年くらいで消滅するだろうという。免疫力を持たない彼等は、現代人と接触するだけで病気に感染しやすいという。


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彼らの顔立ちは近親相姦のためか、皆似ているという。

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北米最後のアメリカインデアンの、イシという男性の話を、昔読んだ。 もし此の国が滅び、自分が最後の、ひとりになつたとしたら。イゾラドの家族を見ながら考えてしまった。 数年前台湾に行った時、日本が台湾統治時代に、少数民族の一部族と霧社事件という悲劇を生じた事を知った。 日本にも、アイヌの人達と、沖縄の歴史の伏せてはいけない問題がある。 数多くの人が住む地球は、何処へ向かうのか、アマゾンの滅びさる家族に、何故か強烈な懐かしさと、逞しさを感じた。 文明とは、何か。人とは何か。国家とは何か。

7月29日 [人]

image.jpegよく覚えとけ。
現実は正解なんだ。

時代が悪いの、
世の中がおかしい
と云ったところで仕方ない。
現実は事実だ。
そして現状を理解、
分析してみろ。

そこにはきっと、
何故そうなったかという
原因があるんだ。
現状を認識して把握したら
処理すりゃいいんだ。

その行動を起こせない奴を
俺の基準で馬鹿と云う。
立川談志師匠の言葉です。
現実は今もあります。現状を把握して処理、シンプルだけどなかなか把握できません。グズグズ考えていたら明日になっちゃう。時代が悪かろうと、此処に生きてる自分の考え、分析、世界中のみんながやつていることなんだけど、なかなかお利口さんにはなれません。夏風邪もひかないし、自分も馬鹿の体質なのかなー。

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現実を見るには足元からでしよう


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写真はサルトリアリスト[×]? からです

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現実は正解

この言葉、深いですね。正解に至るには様々な人々の、問いかけがありました。人間の業も、宿命も、運命も、その上での正解何でしょう。私たちは、自分は、過去へも未来へも、今ある現実に問いかけを続けなければならない。

現実は正解! 現実は事実だ!

7月21日 [人]

決定版資料 浅草弾左衛門 塩見鮮一郎著 河出書房新社刊 455頁を読んだ。

浅草に在住している「弾左衛門」という職掌をあらわす名の「弾」の字には、ただすという意味が含まれ、江戸の諸藩に、同類の頭領がいて、悪者を捕らえ、お白州に連れて行き、奉行の裁判を仰ぎ、断を下された者を処刑するという。

頼朝の時代から、その役割を果たしてきたという。その浅草弾左衛門に興味をよせたのは、湘南大磯に明治の時代、西洋式海水浴場を開いた、松本順という医者の生涯を知ってからだ。

松本順は、江戸の末期の徳川13~15代将軍に仕えた御殿医で、漢方医から長崎で蘭学を学び、蘭学医となった。明治維新という激動の時代、弾左衛門に何度か会い、倒幕軍へ江戸明け渡しの際、重要な役割負担を弾左衛門に委ねている。彼が社会の汚れ役、清掃から始まり、屠畜、戦場の死者や、大火災の死者の片付け処理、治安維持と刑の執行。社会の底辺で必須の諸々。

明治維新は弾左衛門配下のネットワークを活かした様々な仕事と、情報合戦、新たな時代への役割の切り替えだった。

具体的には、大病院の建設から、皮に関わる歴史から軍隊用の革靴製作工場、平民への昇格。弾左衛門配下の民籍に編入された人々の数は、総計38万2886人という資料もあるという。これらにより近代国家の犠牲になっていった人々のもう一つの側面が見えてきた。現代社会の形成の歴史と将来のこの国の貴重な資料となる本でした。
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13代弾左衛門は49歳の明治4年3月に、浅草新町の屋敷で写真を撮ったという。
徳川家康が江戸に入府したとき、今の日本銀行から三越にかけての一帯は、鬱蒼とした小山で、其処に弾左衛門はいたという。太田道灌の時代、弾一族の出身地兵庫県から長吏一党を呼び寄せたのが始まりだろうという。処刑の儀式をわきまえ、皮革の精製によく通じていた人々。その頃の日本橋は湊として最適で、尼崎から漁業者を招き、「甘棚」と呼ばれていたという。江戸の海岸線は拡大されて、時代とともに鳥越から、今戸へと弾一族は追いやられる。飢饉の度に膨大な窮民が江戸に押し寄せ「物乞い」になる。取り潰された諸藩から「浪人」がやって来る。社会制度の破綻が産み出した流浪者たちへの対応を弾左衛門一派は町奉行の手足となって懸命に働いた。

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現代の機動隊とデモ隊の対立、ある国の軍隊と市民の対立、立場の違いからの対立。
弾左衛門の配下の人々と、飢饉からの難民、浪人達の対立が共通する何か共感を覚える世界に見えてくるのです。権力の頂点にある人々に読ませたい本でした。

7月13日 [人]

後ろ姿つて、本当に人柄が出ますねー。
図書館で借りた、レンズとマイクという、永六輔さんと写真家の大石さんの本を読んでいたら、六輔さんが亡くなられたというニュース。本の中の永六輔さんと父上の写真、いいですね。着物姿で背筋の伸びたお父上と、若き日の永六輔さん。
今頃は安鶴さんも交え、先に行った人達とお喋りしていそうです。
話の特集では、沢山の人々の生き様の欠片教えて頂きました。御冥福を祈ります。

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7月12日 [人]

1960年代の横須賀の浦賀ドックを撮った画像が出てきた。祖父が明治時代横須賀の軍港に職を求めてやってきたと、祖父の日記にあった。鳶職の頭で、明治の頃に始まった軍港の仕事を請け負う組が二つあったという。其の内の一つが小泉又次郎という刺青大臣にまで出世した男だったという。

又次郎の養子に薩摩出身の青年、小泉純也が登場し、その子が小泉純一郎だそうだということで、
浦賀ドックという巨大な代物を見ていると、豚と軍艦という映画や、航空母艦を漁船で取り囲もうとしたベ平連の小田実の運動を思いだす。軍港の街は原潜や、原子力空母の基地であり沖縄にも繋がっている。
東京湾に原子力の脅威があるとは誰も言ってないのはどうしてだろう。

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 戦艦の舳先の曲線美真夏なり むおん




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   今は亡き巨大ドックの夏錆びて  むおん









7月10日 [人]

不完全を厭う美しさよりも、不完全をも容れる美しさのが深い。

この言葉を、人に当てはめたらどうなるのか。
不完全を厭う人達よりも、不完全を容れる人達の方が深い。

人は完全からは、ほど遠い。「不完全なままに、謬りの無い世界に受け取られる」ことを願うべし、と柳宗悦は言った。

完璧な政治家は古今東西いない。今日この国の行方を選択した人々は、浅き気持ちで選んだのか、深く考えたのか。夜には決まる。
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7月03日 [人]

長男が5歳の頃に、弟を描いたスケッチ。

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1980年代に自分で描いた水彩画。ドイツの青騎士たちに憧れていた。

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十代の頃、ある試験のためのデッサン提出で、影の部分を丸く渦のタッチで埋めたことが、その後に小さな渦で画面を埋める作品を作るきっかけになった。注射針の先端で水玉を落とし、点の群れを配置した時も楽しかった。百年ほど前のレンズが三十年ほど前の絵の具の筆跡を捉える。


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次男が描いた猫

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6月30日 [人]

今日で6月もおしまい、一年の半年分が終わる。
激しい変化の半年だった。世界情勢と我が身の恐ろしく緩やかな頭の回転に、体の動きの緩慢さ。

他者とは何か。最近考えた。そして接し方について。

ある町で待ち合わせをして、ぶらりとガラス窓の中に明るい絵の一群が飾られた店のドアーを開けた。
明るい原色の氾濫する作品の絵は心を惹きつけられた。こんにちはと近づいてきた彼女は障害のある女性だった。どんな障害なのかわからないが、その店自体が障害のある若者たちのために作られた店先のようだ。明るい作品と笑顔に楽しそうな会話。背一杯店に来た客に、自作の絵を説明してくれる彼女や、彼。
駅や街中で、出会うと大声をあげたり叫ぶような人もある彼らに近づかないようにしていた。
身内や知り合いにもそういう境遇の人はあまりいなかったので、何か店内でぎこちなくなる自分がいた。それは何故なのか。慣れの問題か、偏見か、無知なのか。

差別でなく、人を区別する自分。差異が病気によるものであれ、強烈に他者という意識をしてしまった自分が哀れです。

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数年前に学校の同窓会がありました。女性が多く参加したその同窓会に一人自分の子を連れてきた女性がいました。彼女の子供は身体障害児でした。その年子供が社会人として働けるようになったと、誇りを持って連れてきたそうです。家で留守番していた方がその子にとっては気が楽だったでしょう。でも社会人になって、いろんな人たちと出会うことの方が大切と彼女は子供を連れてきたのでしょう。同窓会の誰もがその親子を祝福していました。

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他者と自分と家族と、民族と国家。ふと近くにある差別の壁を思う出来事でした。
画像は数年前に製作した、人の顔。

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6月16日 [人]

印象深い小説の、中身が脳裏を掠めた。
その小説に登場する男性は、彼が生まれた国の王様と同じ日に生まれた。
彼は青年になった頃、王様が国中を巡る行列が、彼の故郷にも来ることを知り群集と小旗を振った。
彼は成人を迎えた頃、貧しい故郷から出稼ぎに、都に出た。都は世界の人々が集まる運動の祭典の準備で、大わらわだった。

その大会は五輪大会と言った。大会の所為で都は栄えた。
彼は栄えた都の片隅で、一人で慎ましく暮らした。
家族の為に都に出てきたのだが、稼いだ金は家族の住む故郷に送り、気軽な都暮らしが彼を故郷から切り離しました。
彼は都でいつしか、ホームレスの群れに加わっていた。
栄えた都の、中心部の丘陵にある森の公園に彼のホームはあった。
見晴らしの良い森の一画には、王様が通う美術館があつた。
ある時、年老いた王様が黒塗りの乗用車で、森の美術館へ絵画鑑賞でやってきた。
その時だけは、都の警察が森の自由人達を森から追放した。追放される彼が、黒塗りの乗用車の一行と、すれ違うところで小説は終わった。

彼と王様と、同じ時間を共有し、同じ国に生まれ、別々の人生を生き、
彼等二人が交差する物語。

強烈だった。昨日都知事が辞職した。都知事と同じ生まれ年の私が、彼の人生と、自分の人生が土台となった同時代といういう世界を強く振り返らせた。

小説の彼は、FUKUSHIMAという地方の生まれで、彼が生まれた住所が、私の母の本籍地と一緒だったことも何か強い印象を残している小説だ。

数ヶ月前、店先のマッサージ機に気持ち良さそうに座る二人の男性を見かけた。目をつむり夢見心地の御二方が、脳裏に浮かべているものは何か。
何故かこちらも心地よい瞬間をこちらも頂いた。


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