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2月5日 [光]

箱根まで出かけてきました。いろいろ新発見がありました。
早川にかかる吊橋のライトアップから。image.jpeg

1月13日 [光]

脈絡もなしにひたすら光が美しかったから
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脈絡なしに香りがとても最高に流れたから
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脈絡なしに我が家の犬と、そつくりの台北の犬の写真。
台北の彼はリードから自由。首のチェーンはかなりの金持ちの主人のよう。
台北にも多くのペットショップがありそう。野良も多そう。
写真の犬は何か幸せそう。
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脈絡もなし冬空見上ぐ犬 むおん












1月2日 [光]

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台湾の台北から正月の花火の画像が、送られてきました。
御近所に若い頃、台湾の高雄からフィリピンへ爆撃に出かけたご老人がいます。二十代前半の頃のことで、今から75年位の昔だそうです。満洲という国もあったそうで、その方から満洲東京城の浦島太郎伝説をお聞きしました。興味ある話です。

十一月三十日 [光]

東京南青山の表参道付近の八百屋。なぜか山積みの果物や野菜の売り場に、梶井基次郎の作品「檸檬」を思い出した。裸電球の下並ぶ野菜を、十数年前に京都五条付近の八百屋に見たときも同じ思いを描いた。
色温度の低い赤みの電球の下の、檸檬が一つ置かれた様子は、鮮やかであるが後ろに闇を控えた店頭の姿に心揺さぶれたからなのだろうか。林檎の赤や、蜜柑のオレンジ色、果物を包む紙の透け感に、何か異次元の世界を感じ、「檸檬」という作品を思い浮かべたのだろうか。
京都と青山の光景に共通するのは、闇が店先を包んで、両隣の店の存在が見えない光景だった。それは舞台のステージの上の照明のように見えたのかもしれない。

芝居掛かった無人の果物やの店頭、小説の中の主人公が檸檬を一つだけ買ってコートのポケットに入れる。老舗書店の静まり返った積まれた書籍の上に、檸檬を一つ乗せる。
ガラス戸越しに車のヘドライトがあたり、檸檬色の仕掛けが浮かび上がる。
そんな光景をまた思い浮かべてしまった。

路地を曲がり暗い石段の上を小学生がステップを踏んで、ブティックの薄暗い照明の店内に消える。
青山の路地裏と、帽子にリボンがぶら下がった小学生のコントラスト。
昼間、東京丸善書店の洋書売り場で籠をぶら下げた三揃いのスーツを着た恰幅の良い紳士が、手当たり次第に洋書の厚いものを棚や平積みから持ち上げ、籠の中に放り投げるのを見た。何かその服装と、手荒な本を投げる行為が非常に下品に見えた。本が投げられ落下して立てる大きなドサッという音に、札束を投げる姿にも見え、何か不快な気持ちになった。
彼の背に思い切り、レモンを投げつけたい衝動になった。そのソフト帽の上にも檸檬を載せたい衝動が湧いた日だった。

その日の晩、ある写真家の方の朗読会があった。「写真を撮るのは何故ですか」と彼が十の何故と述べた中で、「写真を撮るということは、消えていくものだからです。」という強い言葉が印象に残った。
「世界は消えていくものだから」「消えていくものへは何かすべてが潜んでいるから」「そこに或るものは、消えていく」「だから写真に撮る」

夜の店頭に檸檬があったのか、よく見ないままに私は写真を撮っていた。




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            檸檬かじる少年路地へ冬の旅     無音























十一月四日 [光]

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今朝は箱根仙石原のゴルフ場に立ち込める朝霧を見た。霧の中に樹木が霞む。霧は山間を登り始め、朝日に輝く尾根から降りてくる朝焼けの中に消えて溶けていく。幻想的な美しさだ。
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           霧に現れる紅葉の頂の下森の闇  ムオン











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十一月二日 [光]

LEDの光なのですが、笠が昔の蠅帳なので何か温かみを感じます。
時々点灯して秋の夜長を楽しんでいます。



      


              蠅帳や秋の帳を思う蠅   む お ん




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※ 蚊帳のカーテンは冬には寒いのですが青の暈しが好きなので一年中今を守ってくれています

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           蚊帳ありて秋の蚊やさしう泊りけり  ムオン






九月二十三日 [光]

いつの頃からか光り物が好きだ。透明で冷たい光に色はない。クリスタルのような透き通る光を放つ、その光りそのもが好きなのかもしれない。寿司ネタの光り物は苦手です。しかしキビナゴの刺身だけは好き。酢味噌で春の香りを楽しんだ最初の出会いが良かったのでしょうか。秋刀魚は苦手、子供の頃の蕁麻疹発生がトラウマなのです。

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百均でも光り物を見ると買ってしまいます。光り物には金属の冷たさとガラスの冷たさの二種類がありますね。

     


           20億光年の翼を秋冷えの空に  ムオン











八月十六日 [光]

光の如雨露のコピー.jpg
光の如雨露を作ってみたいと思っていて、LEDの手ごろな光源があったので、古びた如雨露の先の部分に仕込んで完成した。如雨露の穴から光が注ぐイメージはできたのだが、撮影すると光の帯が映らない。スモークでも焚けば光の線が捉えられるのだが、フォトショップで加工した。光のシャワーはカーブを描かず鋭い奇跡で刺さるように流れる。夏の夜には少しだけ清涼感の出る装置になった。

昭和6年湘南千畳敷(現在の湘南平)で、百八つの篝火で大文字焼き。平塚旭村の青年が害虫抑制記念。
明治40年大磯に統監道完成、伊藤博文統監帰着、統監道を通り滄浪閣に入る。百余人の出迎えと打ち上げ花火。
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七月二十八日 [光]

先日箱根に一泊した部屋の窓から、緑の濃い蔦か羊歯系の植物が朝日に染まっていた。
ガラスに映った行灯と、蔦の緑をカメラで狙った。マグリットの絵画の世界のように、画面の中に朝と夜の時間が写されたような気がした。今も高速で回転する地球という星の表側と裏側は昼と夜の対比。

平成27年の今日午前8時の室温、気温30度湿度93パーセント。空気を掴んで絞れば水が滴り落ちるような蒸し暑い世界。

暑中お見舞い申し上げます 
山の気温は下界より5度低い快適空間でした
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8月が近ずくと戦争関連の記事やニュースが目につく。特に今年は憲法や戦争法案をめぐり国が動いている。
 
高校生に向けて開かれた講義をまとめた『それども、日本人は「戦争」を選んだ 加藤陽子著
朝日出版社刊を読みはじめた。非常にわかりやすい目から鱗の何枚も落ちる思いがする。

昨日、『1945←2015』若者から若者への手紙 ころから編集部刊が届いた。
今を生きる2015年の20代の若者から、20代を1945年戦争時代に過ごした若者に当てられた手紙のやりとり、戦後70年から100年後への未来のために読まれるべき一冊。

『GHQと戦った女 澤田美喜』青木富貴子著 戦後とは何だったのか、人々の発言でよくわかる。戦後は今や、戦前の時代に入ったのかもしれない。人間とは何か深く浅く愛おしい。

自省を込めて一句浮かんだ 『戦争をいじくり回す夏が来た』無音

明治40年のこの日、湘南大磯の坂田山の滝開き、避暑客の散策地にと高さ四丈の滝と噴水を作り解放。滝は12メートルで急斜面に人工的に作られたものだろうか。


六月十三日 [光]

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一か月程前山梨へ出かけた。雪をかぶった山々が見えた。数日前眼科で瞳孔を拡張する眼藥を処置された。街に出るとハイキーな眩しい世界で、生まれてから始めてみるような世界だった。検査後は異常なしだつたが、最近視力が落ち気味です。白を見ると滲み出す眩しすギル世界。明るいカメラレンズの世界を身体に組み込んだ気がしました。

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