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11月17日 [世界]

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箱根宮ノ下の富士屋ホテル前の古い骨董店の店主にお聞きした話。
「一流の品物、本物に触れる機会をお持ちなさい。美術館に何度も通うことよりも、身銭を切って何か好きになったものをお買いなさい。失敗して傷ついて、知っていくことが骨董道です」と教えてくれました。最近本物に接してないなあ、一流品にも触れてないなあ。二流三流の政治家ばかり、本物の政治家も見当たらないし、地球も嘆いているだろうなと。飛躍した考えしか浮かばない昨日でした。



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好きな小皿柿は食べられ何もない むおん



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10月31日 [世界]

何とかなる!
とお不動様。動かず!いつでも動けるそのお姿がいい。不動明王の原点となったモデルは、昔の南インドの狩猟の民の若者とか聞いたことがある。
身軽な服装と逞しいお身体が行動力に溢れ身近でありがたく感じる。

    秋空に滝の音落ち不動たつ  無音


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10月30日 [世界]

まだ完読していない、「インターネットの次に来るもの」ケビン・ケリー著では、著者が30年前から体験したインターネットの体験から、未来の30年後に必ず来るものを解説する。そのこれからの30年は、今始めれば素晴らしい30年後が、待っている世界があるという。やるなら今ですという言葉も解る。
未来に対して、楽観主義者だと彼は言う。何故かふと彼の著作の世界に、ヒッピージェネレーションや、ウッドストックコンサートの時代の反映を感じた。

以下アマゾンの批評より
https://www.amazon.co.jp/%E3%80%88インターネット〉の次に来るもの―未来を決める12の法則-ケヴィン・ケリー/dp/4140817046?ie=UTF8&*Version*=1&*entries*=0

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一年前の今頃に撮った画像。30年後には、生まれてからの自分が見た光景や、聞いたこと、考えたこと、行動したことなどの全てが記憶されることが当たり前になるという。プライバシーとはその頃どんな概念になるのか。巨大なデータの蓄積はどう使われるのだろうか。

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一年前の画像は、一年寝かされて何か違うものになっている。データは同じでも見る自分が違うからなのか。

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今朝の菊は遠い昔撮った画像に見える

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10月13日 [世界]

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東京大停電、黒煙をあげる変電所付近。信号機の止まった交差点、止まったエレベーター、停電のビル、止まった電車。想定外の停電。原因は調査中。一極集中のオール電化世界。

復旧は素早かったが、手術中の病院は仮電源に切替がスムースに行われたのだろうか。
無人化して、ロボット化する世界。今の世界は明るさに満ちているようで、何かがあれば闇の世界へ。

闇があり、光りや、灯りの尊さを思う。オール電化キャンペーンも最近は影を潜めている。
一元化のみの世界は危うい。灯りの点検、普段の備え再チェック。

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10月09日 [世界]

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小児科医で御自身が脳性麻痺患者でもある熊谷晋一郎さんの書かれた文章が目にとまった。

東日本大震災があったとき職場の研究室から逃げ遅れた熊谷さんは、考えたという。職場は5階でエレベーターは止まり逃げられない。

逃げるという選択肢が自分にはなかったといいます。エレベーターが止まっても他の人は階段やハシゴで逃げられます。車椅子生活の熊谷さんには、エレベーターしかなかった。

その体験から、彼はこう考える。

「一般的に『自立』の反対は『依存』だと勘違いされていますが、人間は物であったり、人であったり、様々なものに依存しないと生きていけないんですよ。だから自立を目指すなら依存先を増やさないといけない。

依存先の集中は自立を妨げ、分散はそれを助ける、という熊谷さんの指摘は、中央集権的に編成された現代社会の有り様を鋭く突いている。

社会は、学校や会社や病院といった組織、大企業を中心いうごく経済、さらには国というものに一元的に依存することで自明の如く成り立ってきた。

けれどもそれらは磐石なものではなくなってきた。


依存先の分散化は、暮らしのあらゆる場面で急務になりつつあるという。

分散化のために、インターネットという存在が大きく推進作用を高めてくれることを強く感じる。

WIRED編集長 若林 惠氏のことばから

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9月22日 [世界]

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16日に発売された「iPhone7」の本体に「総務省指定」という文字が入っていることが話題になっている。ネット上などでは「ダサい」「むしろかっこいい」と賛否両論。高市早苗総務相は20日の閣議後記者会見で「かっこわるいと言われると大変がっかりだ」と話した。
* 特集:iPhone
 「総務省指定」の文字は、本体裏側にある「iPhone」の文字の下に小さく書かれている。総務省電波環境課によると、iPhone7には利用者の電子マネーやクレジットカードを読み取って記憶する機能が付き、レジなどに置かれている読み取り機と同じ扱いになった。読み取り機は総務省から型式指定を受け、指定番号などを本体に表示することが電波法や省令で定められている。

省令の定めは、どんな表記方法と指定があるのだろうか。それは日本語、他という意味で。裏面の表記を見ると、英字書体の中にいきなり漢字で、総務省指定とある。総務省とは何処の国の総務省なのだろう。中華人民共和国総務省指定とあっても違和感がないが、日本国総務省とはしなかったのは何故か。製造はChinaとあるから、やはり英文の中の漢字が違和感があるのだろうか。

かっこいいというのは、意味よりも漢字に対する感性の問題なのか。英字は抽象的でクールでカッコいいのか。アイフォーン、スマホ、ケイタイ、総て外来語。大臣が「カッコ悪いんですか」と白々しく答える姿はカッコ悪い。

総て英字だったら、カッコ悪いなんて話は、絶対出なかったろう。
何か日本の深層心理を露呈したような話だ。

アメリカ文明の中の、日本の存在感の実態。
いっそアイフォーンの裏面表示は総て日本語表示でと指定したほうがカッコよかったのではと、思うのです。
日本国総務省指定を英字にしたらと、調べてもみよう。

国際時代の日本語の行方も心配になりました。

9月21日 [世界]

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尊厳の芸術 THE ART OB GAMAN
と題して2012年11月から東京を皮切りに展示がスタートし、福島、仙台、沖縄、広島の各NHK放送局で行われたという。東京会場のみは東京藝大美術館だったという。

その展示内容は、アメリカの2000年の事。日系三世の女性が両親の物置部屋で見つけた、木製の小さなブローチから始まったものだそうです。

彼女は両親が、強制収容所時代に作られたブローチだろうと、その金属の粗末な安全ピンから推測し、その時代の事を考え、収容所の人たちの暮らしを想像するには、他の人々が作ったものがあるだろうと思ったそうです。

収容所のことは両親はあまり話さなかったと言います。屈辱感や、不当な仕打ちに対する悲しみや怒り、反日感情が再燃する事を怖れて、日系人は現在迄、その収容所時代の話を避けてきたのです。

日本の歴史の中で、海を渡って多くの日本人が海外の国へ様々な事情でわたりました。その中でその国に帰化したり住み着いた人々の歴史の証言のような展示会。

何もない砂漠の収容所で、土の中から見つけ出した貝殻たちで作ったブローチ、玉ねぎ袋で編んだ煙草入れ、足元が悪かったので作られたたくさんの杖、丹念に作られた石の硯、足元が悪かったので作られた下駄、丈夫な木の椅子や家具。それらは日系人の強制収容所で、何もないところから工夫をして、豊かな気持ちになるように頑張った日本人の生活の証だったのです。
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2010年ワシントンのスミソニアン博物館で開催されることになった展覧会には25万人以上の人々が見学に訪れたという。

並んだ品物たちは、ガラクタや手近にあった素材から、忍耐強く、創意工夫、強い精神性で作ったものたちで、
作品が生み出された背景を知らなければ、どこか日本の香りがする、アメリカのものとなってしまいます。鉄条網のフェンスに囲まれ、監視塔からの銃口の元で、さくひんたちはつくられました。日本人の我慢と忍耐が産み出した作品群。

今もアメリカの日系人たちの家のガレージの片隅に残されているようです。
アメリカのガレージの隅で誕生して中国で生産されたアイホンと言う機種でこの文章を綴っています。

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9月15日 [世界]

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ブランド考

今もライセンスビジネスという世界は存在するだろうか。
昔アパレル業界の仕事をしている時に、欧州や米国のアパレルブランドと契約し、1ブランドで年間数千万円からのライセンス料を支払っていた。
日本がバブル経済に陥る前の話だったと思う。
契約先の元ブランドは、直営店や、直営工場を持ち、そこで製作されるアパレル商品のオリジナルの他に、ライセンス料を取って元ブランドのイメージで製作し販売するビジネスをしていた。

あるブランドの国内ライセンス商品を、一同に並べたら冷蔵庫からコタツ掛け、魔法瓶にコーヒーカップ、マフラーからコートまでの衣料品、風呂敷、家電製品や文具に学校の制服まで、あらゆるものが対象になり織りネームや、ロゴマークが付けられていたという。

生活が異なり、人間の体型まで違うのに無理やりのライセンスビジネス商品が溢れていた時代。
今から見りゃ、おかしい世界だが似たような世界は今もある。テレビや新聞ネットの世界でもライセンス的な情報は溢れつくしているのではないか。
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当時、膨大な宣伝費と、年数回のコレクション発表で、世界のひとにぎりのセレブ達に満足を与え、そのおこぼれのようなライセンス商品が日本でもオリジナルより格安の値段で提供されていた。

日本でもバブル景気に沸き立つ頃から、欧州から米国からの直営店の進出が始まった。初めは百貨店内の一等地に作られた店舗が、大都市の一等地の路面店に巨大なビルとして進出した。

バブル景気の頃から、百貨店の衰退が始り、専門店やセレクトショップなる商体が幅を利かし、コンビニも数を増やしていった。ストリートファッションが先端を行き、クチュールブランドはより現代の感覚へと吸収されていった。

百円ショップから、コンビニエンスストアー、量販店、百貨店、ネットショップ迄さまざまな形態の店がならぶ。

ライセンスビジネスの商品が溢れた時代。それは背伸びをした時代だったのだろうか。または一億総中流と錯覚ができた時代だったのだろうか。

ブランド直営店の進出で、欧州や米国のブランド戦略はライセンスをやめることが多くなった。直営店のイメージを守ることと、ライセンス品が時代に会わなくなったのだろう。

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アジアの国々では、今でもコピー商品が溢れる。アパレルに限らず衣食住の全てにコピーが当たり前の世界。

本物とは何か?コピーとは何か?ライセンスとはなんだったのか?
これからのIT世界でも、オリジナルとライセンスとコピーはカタチを変えてある世界なのだろう。

階級社会の象徴としての高級ブランドから、自販機で買うようなユニクロ商品の戦略まで、時代の流れを実感した朝でした。

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9月14日 [世界]

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ブラジルのパラリンピックの開会式を観ていて、感動した。
スポットライトが当たる中で両足が義足の彼女が緩やかにダンスを始めた。最初足の爪先が垂直にバレーダンサーのようにとーシューズを履いているのかと見えたがベイジュ色の義足だったことが、その後彼女がその義足部分を取り外し、弓形の義足のみとなって歩き出したことでわかった。

ゆっくりと彼女は巨大な指先のようなオレンジ色とステンレスの輝きをもったロボットに近ずく。しなやかにロボットの腕の先の先端部が彼女の指先に向かい、対象的な関係で同じ動作を繰り返す。

ロボットの動力は何なのだろう。人は筋肉という機構で動く。
人にはドーピングという話が出たが、ロボットも興奮するのか。

オリンピックは、何かパラリンピックの世界に先を越された予感がした。
何故か近い将来に、パオリンピックという一つの大会が行われる世界を夢想した。人間と機械とAIと、共生して新しい何かを生み出す世界を想像した。

ウエアラブルコンピュータは、着て身につけるコンピュータだが、いずれ体内に埋め込まれ、生体とITパーツの区分もなくなるのだろうか。

キーボードやタブレットが毛皮をまとったコンピュータや、絹の手触りのタブレットは何故ないのだろう。機械は機械らしく、人間は人間らしくの世界の境界線が消える日がやってくるのだろうか。

四六時中自分の周りに起こる事を記録し、再生がいつでもできる世界がくるという。数時間前、数十年前、生まれた時の自分の記録を、映像や音声で聴いて、人はどう変化するだろう。

パラリンピックを観て、人間はより解放されるという希望を見つけた。
健常者と、障害者いう区分が何か非常に曖昧に思えてくる世界が2020年にはより鮮明になっている気がする。

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9月09日 [世界]

ダイソウという百円均一ショップへ最近行って驚いた。漢字では大創と書くようだが品揃えが凄いカラフルだ。10年ほど前には自然素材と国産の商品もかなりあったような気がするが、今はすべて海外生産のアジア中心の品揃えだろう。商品に貼られている原産地表示のラベルを見るのが楽しい。VietnamとかSri Lanka、Bangladesh、世界の工場China。国別だけでなくて州や郡や町まで載っていると凄いのだが。

カラフルな商品群とともに、品数は膨大な種類とバリエーションに渡るのだろう。何故か店内の展示を観ていて、日本でなくアジアの街にいる錯覚に囚われた。台湾か韓国かインドかシンガポールか中国のある都市の街角の店にいるような錯覚。

一昔前、欧州からのアパレルショップの商品タグが何ヶ国語の表示になっていて驚いたことがある。日本に来てお土産で買われる百均商品や、海外進出している百円ショップと、その国の類似ショップの品々。
急激に世界が均一化しているのがわかる気がした。

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近い将来、3Dプリンターが各家庭に一台普及する時代には、海外から土産物を買って運ぶのでなく、現地からお土産のデータを送れば、家の3Dプリンターで出力される時代が来るという。

それも一瞬で様々なオリジナリティが含まれた商品ができるという。
そんなデータの道を表した、地球の海底ケーブルの地図があるそうです。
100年前の太平洋横断無線電話も海底ケーブルで繋がれていたのだろうか。

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世界最初の海底ケーブルは1850年ドーバー海峡に開設されたという。

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