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六月十七日 [家]

一ヶ月くらい前に出かけた湘南は江ノ島の島内に、一軒の建物が目に引いた。
蔵のような、小屋のような、打ち寄せる波の磯に似合うような建物。舟箪笥を大きくしたような堅牢な作り、何か興味がわく。何か大事なものを保管してあるのか、今では古民家風に居住しているのか石段の下から見上げただけでは判らない。とにかく立派な作りだった。家や建物は所有者の自画像を見るようでもあると、ふと思った。全国空き家が増えているという。その空き家の有効活用も大事な課題の時代だ。

誰かが言った。空き家の庭に咲く、手入れのされていない木々が今年も花をつけている。実をつけて大地に戻す木々。『何か栄華盛衰の夢を見ているようだ』と。

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昭和3年のこの日、東京神田っ子の常設臨海学校、高麗山の麓、細川男爵が敷地300坪を寄付、着工にかかる。神田っ子、今は80代の半ばの年齢。

昭和8年 繭取引好調、70万円以上農村に流れ込む。農家はホクホク。茅ヶ崎の駅前にも製糸工場があったという話を聞いた。国道沿いに鐘紡の工場も。絹が黄金に変わる時代だったのか。
2年後の昭和10年にはアメリカで合成繊維のナイロンが発明され、絹からナイロンの時代へと世界は大きく変わっていった。

昭和10年 湘南大磯の海水茶屋、個人経営の9戸が復活運動、町や県に営業許可陳情。

土壌汚染 [家]

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この街に引っ越してきて来年で十年になる。町の自然や人々や歴史を学びあっという間の時間が過ぎた。
十年の時の流れがインターネットや社会の動き、世界の動きが凄まじいスピードだ。
近所の家では、クリスマスの電飾が始まった。2013年も暮れようとしていますね。
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最近家の木塀の土台に、シロアリが見つかった。シロアリ業者の方にみていただくとヤマトシロアリだという。世界に白蟻の種類は多く歴史も古いが、日本ではヤマトシロアリかイエシロアリの二種が多いといい、驚異的な幹材白蟻という種類が上陸して脅威をし始めたという。白蟻の種類の発生では土地の値段迄下げてしまうのが幹材白蟻だという。木塀は至急土台を交換しなければならないのだが、白蟻業者の一軒は、駆除を先にしてから部材を変え再度その部材に薬品を注入するのがいいという。かって農薬の何倍にもあたる白蟻消毒、駆除の薬品が散布されていたのを考えるとやたらに散布をするのは専門業者でえあれ、怖い気がする。設計事務所が横浜大桟橋に使われている、ブラジル産のイペとか、アマゾンジャラというデッキ材を使い、雨にも比較的強いレッドシダーを使って十年の耐久性とは驚く。流石に塀の板張りのジャラというハードウッドは白蟻が舐めた程度だ。レドシダーは土台部分が木グサレしている。耐久性30年の板を張り、土台は十年も持たないとは、当方のメンテナンスの問題か。
大桟橋という話題の建築物の流行に乗った浅はかさなのだろうか。
白蟻駆除を早急にし土壌汚染の少ない薬剤を今後利用して行ければいいのだが。
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何故か弱くなっているとはいえ、農薬の作物同様、人間も化学薬品でのしっぺ返し怖い気がするのです。
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放射物質の拡散以後の世界では昆虫も少なくなった気がします。原発から百㌔は超える此の地でも何か
生き物たちの気配が変わってしまった気がする。気のせいであればいいのだが。日本での原発事故以後、水俣や足尾関連の本が多く読まれる様になったという。
何か科学化学万能時代の大きな落とし穴が、より大きくなっている様に感じるのは気のせいだろうか。
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万物の行方は冬の網の中 SILENT
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オールドレンズにはまっている最近です
撮影はCanon50mmF1.8 1950年代のレンズとか。

1958 [家]

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1958年頃の我が家の暖房は何だったのか思いだす。玄関を入り板の間の先の四畳半には掘り炬燵があった。木の櫓の格子と厚い何枚もの布団をかけた。炬燵の燃料は炭だった。炭俵で買っていたような気もする。炬燵の火種部分は四角くコンクリートが囲み、丸い大きな金属の蓋がかぶっていた。この蓋に直接足先を触れると厚くて危険だった。だから靴下を履いて炬燵には入ったのだろうか。まるで弥次喜多の五右衛門風呂のようだ。
祖母は湯たんぽや豆炭のアンカを使っていた。豆炭は七輪で炭火をおこしその上に一個の豆炭を乗せ火をつけ、その豆炭一個が一晩持った。朝の灰になった豆炭には、子供ながらに儚さを感じた。何故なのだろう。
大きな火鉢も使われ、いつも薬缶や鍋がかけられていた。蒸気は部屋の湿度を保ってもいた。石油ストーブが使われるようになったのはかなり後からだろう。小さな猫ごたつというのもありこれも豆炭が使われて一人用だった気がする。掘り炬燵からは猫が熱くなりすぎると身体を冷ましに畳の上に出て伸びていた。部屋中が寒くて部分しか温かくなかった昔を思うと、今の環境を総て暖めてしまうやり方はどうかと思う。
土間に達磨ストーブを入れたいと思った時期もあったが、これは実現しなかった。
ヒートショックはわかるがその境界線がどこにあったらいいのかとふと思う。十年前から使っていたデロンギのヒーターは電気代の安い国には向いているのだろうが、何故か猛烈に電気代がかかる要な気がして、今は床暖に頼っている。夜は湯たんぽが復活した此処数年である。気密性の高くなった断熱材たっぷりの家には有難いと思う事大である。1958年ころの風呂は小判型の木製の風呂で、燃料は薪だった。それが石炭になり、プロパンガスになった。

デロンギの冬に棘さす夕陽哉 SILENT

1958 [家]

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1958年頃の川崎での記憶である。二軒の親戚の家があり川崎駅を降りてその家迄出かける事が年に幾度かあった。当時の川崎駅は京浜急行川崎駅の前にとてつもなく長い踏切があった。電車がくるたびに長い踏切は上下する仕切りによって車も人も線路を横断していた。その幅は50mはありそうな幅広い踏切だった。今は高架になって線路の下を車も人も往来している。その踏切を超えだだっ広い道路を歩いて目的の親戚の家はあった。親戚の家は、敗戦後間もなく伯父さんが建てたバラックと言うなの建物だと母から聞いていた。玄関の開き戸は左右に開く上部が硝子の建具が入っていた。中はいきなり仕切りのない天井もあらわしの大きな箱のような家だった。二階屋程ありそうに見えた天井は高く、梁がはっきりと見え白い瀬戸物の碍子がありコードが張り廻っていた。
そんな50年も昔の家の記憶が近くの公園で拾った長さ十センチ程の蜂の巣で甦ってきた。徳利状の蜂の巣は手の中で重さを感じない程軽い。バームクーヘンのように何層にも積み重ねられた縞模様が地層のように見える。巣の主はどんな昆虫だったのだろうか。擂り鉢状の建造物には蜂の巣状に小部屋が造られる予定だったのだろうか。壁の厚さは1−2㎜程、眼を凝らすと長さ2ミリから3ミリ程の土のタイルで壁は丹念に螺旋状に築かれている。膨大な数の小さな土のタイルを運んだのであろう。
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縄文時代の人が作った土器の様にも見えて来る。作者は唾液と前足と触覚で土のタイルを捏ね上げて運んできたのだろうか。螺旋状の形態は緩やかに渦を巻き、竜巻のようにもみえてくる。
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中国大陸を旅した人が、土地毎にその地域の土の家と壁が同じ色で立ち上がっていたのに、感動したという話を聞いた事を思い出す。黒い土の地方では、そのまま黒い家が土壁や、門や。屋根となり一体化している。赤い土の地域では赤い集落が大地から立ち上がる。白い土の部落では白い部落が陽炎の中でゆらめく。そん光景を
蜂の巣の破片から連想した。
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土色の縞模様は古代からの色なのだろうか。築数ヶ月でこの住まいは終えてしまって入るのだろうが。軽く堅固の要塞のように見えて来る。ベンチレーションも完璧なように小さな窓が無数にある。雨の水滴は侵入できない程の窓なのだろう。
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漏斗のような渦のかたち素直なかたちです。渦のように作られた家何か自然の摂理を教えられた気になります。
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冬になって葉が落ちた樹の枝に小鳥の巣を見つけ見上げていました。子育てが無事終わり巣立っていった空き家の丸ごと覗かせてもらいました。細い紐状の白いビニール袋の材料と、棕櫚の木の細い素材から作られた家。ドーム状に渦巻き状に組み立てられ樹の枝にはビニールの柱のようなジョイントが7箇所程。北京オリンピックのスタジアムを思い浮かべてしまいました。
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カラスの巣は針金や鏡やハンガー等光り物の人工素材が使われているそうです。素材は近場から収集するんで土地柄も反影するんでしょうか。
バラックという言葉も死語になりました。蜂の巣と鳥の巣と今年であったちいさな家からのお話です。
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1976 [家]

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1976年頃だろうか、その年の一月十五日山陰にある陶芸家の家を尋ねた。大雪の年だった。昔は成人の日が一月十五日だった。雪の中を尋ねた家は煉瓦積みの小さな家だった。タングステン電球の温かな光の下で蟹をご馳走になった。その家は陶芸家が手作りで建設中の家だった。赤い煉瓦の家は東京駅のステーションギャラリーを尋ねると思い出す光景だった。煉瓦の家ではないのだが2012年の夏休み湖の畔にある一家の御宅の主の話を聞いて、家とは何か考えた。
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その家の主にとって、家とは自分で作るものである事があたりまえだという。敷き地の開墾、基礎ずくリから、様々な素材を駆使する方法、自分で考え、自分で建てる家。彼にとって家造りは、鳥の巣のようなものと一緒だという。鳥は自分で素材を吟味して集め巣を自分の手で作り上げる。最近はポストや巣箱や手頃な器で巣の代用にする鳥も多いようだが、とにかくセルフビルドだ。
家とは買うものではなく家族で作り上げる事。その世界に情熱を注げる人は羨ましい。自然と共に生きる家、自然と家族の生活が一体になった家。この家で出会ったプードルの飼主は、東京のマンション住まいのようだ。都内にはペットの保育所があるという、週に何度か預けて仕事に出かけるという。犬の散歩ビジネスの話は聞いたが、保育所迄あるのだ。

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森の中の湖の畔の一家の家。子供達が育ち、山羊がいて畑があり、鳥や獣達も来る。山羊は除草にも役立つそうだ。附近を歩くと栗の実が青い毬をつけたまま落ちていた。

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蝉も今、一生を終えようとしているのだろう。

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森の中の道は何故か無性に懐かしかった

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湖と森と家と

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蝶が飛ぶ湖の光景

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夜明けの森

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湖の畔で大きな百足に出会った 黒い身体に朱の足並みが甲州百足衆の幟のように
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霧の箱根を帰路についた


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