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1月5日 [いのち]

四季の花や実が一斉に揃ってしまったかのような正月
現在の気温17度。真冬はどこへ行ったのか。
避寒地として訪れた方も多かった湘南だが、ことは全国的な模様、朝の気温も12度だった。
夏の花ブーゲンビリヤや、ハイビスカスも咲いている。
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秋の蔦や、冬の南天もまだ盛りの色。
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水仙も日差しの中に、アロエも満開
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ピラカンサの赤い実
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十二月二十四日 [いのち]

ちいさな命をいただいた
大自然の大きな恵
春の香の 蕗の薹

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聖夜とう明日の前の扉かな むおん








十二月九日 [いのち]

スンバ島の人が編み込んで作ったという、金属の鎖状の蛇がやってきた。黄金の蛇は滑らかに生きているかのように動く。まるでその命の構造をつぶさに眺めて作られたかのように。鎌首のような頭も皮膚の鱗構造も筋肉の動きも、身の回りにこの生き物がいる世界だから生まれたのだろう。そう今目の前にある画面でさえ、この星にあるものたちから作られた。人はいつか、命までも作り出すのだろうか。それは命を作る、人間が作ったコンピュータの世界から生まれるのかもしれない。その日は目前に迫っているのだろうか。黄金の蛇は何も語らない。
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昭和10年1935年この日、湘南の此の町に、常春の大磯越年客の増加。各名士の別荘が新設または改築される。徳川頼倫公、原田熊雄男爵、三井高棟男爵、住友貫一、池田成彬、山下亀三郎、木村孝太郎諸氏。

平成27年12月9日の大磯の朝の紅葉
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             紅葉呑む黄金の蛇や穴に入る  無音






十月二十日 [いのち]

隣町のウインドーに二匹の大きな縫いぐるみ。黒と白とシャネルのマークが見事でした。
明治42年のこの日、湘南大磯町にある大運寺で、お十夜法要会。昔鎌倉の光明寺のお十夜では化け物屋敷が境内にあって吃驚した。今宵の月はどうだろうか。

昭和8年中郡畜産組合は、湘南大磯の野球場内に練馬場を二箇所着工。戦争の足音が早まった時代か。
昭和28年大磯に住んだ作家、大岡昇平横浜より渡米する。エール大学留学他の為に。戦記小説「野火」はその後書かれたか。

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           戦場の黒と白と秋の雲      無音





九月十一日 [いのち]

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今日は横浜に県立神奈川近代文学館を訪ねて、絵本作家の佐野洋子展を見てきました。
会場入り口の、百万回生きた猫のパネルが圧倒的、刺繍か毛皮の本物をまとった猫がお出迎え、記念撮影もこの前で出来るということでスナップしました。佐野洋子さんの作品と、詩人谷川俊太郎さんの生活がかいま見え、銅版画家の山本容子さんが佐野さんの師匠だとも知り嬉しくなりました。昨日は大きな虹も見えた一日でした。




        



          虹かかる二人の国に幸願う   むおん







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九月二日 [いのち]

子供の頃使っていた真鍮の洗面器がある。分厚く重くその表面はごつい程に凹凸ができ真っ黒な表面は石のようである。その洗面器を偶に磨く。ピカールという磨きだしの材料や、クレンザーのような磨き粉をボロ布につけてひたすら磨く。凹凸の中なら凸の部分を中心に黄銅色の輝きが浮かび上がってくる。ブロンズ彫刻のようなまったりとしたぬめり感のある輝きが出てくる。
闇から光が射すように、命が少しだけ生きずいたかのようにひっそりと輝き出す。磨きすぎてはいけない。毎日ほんの少しだけ磨く。ひたすら少ない時間無心になって磨く。

子供の頃高熱を出すと、この真鍮の洗面器に水を入れ手ぬぐいで絞って額に乗せてくれた人がいることを思い出した。微かな光の中に輝く昔の光も潜んでいるような気がした。器の中央に小さな数字の刻印がある。掠れて摩滅した数字だが54と読める。軍用の洗面器の備品だったのだろうか。重いその洗面器には古代から存在するような不思議な風格がある。
無数の傷と、時代の風が刻み込んだ刻印が、どの角度にも見えて来る。

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     真鍮の洗面器にも秋の風     むおん










八月三十一日 [いのち]

エアープランツを百均で買った。この植物をはじめて知った時は驚いた。南米やメキシコなどの乾燥地帯で空気中の水分を摂取して生きているという。
何より根がないような植物の形が面白い。中央のエアープランツの名はメドーサ。あの頭に多くの蛇を宿したギリシャ神話の魔女の名だ。

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昭和4年湘南大磯でまた水飢饉。東海道沿線で砂塵蒙蒙、隣町の平塚から一桶10銭で水を購入。水不足がいまも続いていたら、この街はエアープアランツだけの街になっていたかもしれない。

昭和6年東小磯別邸の李王殿下、江ノ島へドライブ。同行者に梨本宮から入籍した正子王妃はいたのだろうか。義妹の徳恵姫はその頃どこにおられたのだろうか。



七月十七日 [いのち]

佐野洋子さんの『100万回生きた猫』の絵本を読んだ。
100万年前に生まれた猫が、100万回生まれ変わって雄のトラ猫になり、白い雌猫と出会い家族を作り最後に死ぬというお話。100万回目に死んだ猫。それは愛がまっとうできたからか。百万匹の猫達は飼い主が皆嫌いだという共通点を持っていました。100万回生きた猫は、百万匹の猫の体を移動した魂の話なのでしょうか。それとも遺伝子DNA。深読みすると絵本の世界を壊してしまいますね。

百万匹の猫の平均寿命は、1年。我が家の実家の白い雌猫は20年生きました。百万匹の猫達は数か月の寿命の猫から、老猫までさまざまだったのでしょう。気難しい子猫、やんちゃで暴れん坊の雄猫、内気な少女のような雌猫、どっちつかずの三毛猫、気取ったバカ猫、助平なおじさん猫、気品のある婆さん猫、気位の高い老猫、百万匹はいろんな個性に、いろんな暮らしに出来事に遭遇したでしょう。百万匹の猫達の姿が見たくなり絵に描いてみました。
彼らの姿の本の一部です。絵本は愛されて沢山の死や沢山の生に、子供達も大人達も涙したと言います。読者の間からか、絵本の最初の題名は、本当は『百万回死んだ猫』だったという話がひろまったそうです。私は賑やかで騒がしい『百万回生きた猫』の題のが好きです。

百万回の生と死と愛と、素敵な絵本との出会いに感謝します。
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昭和6年 湘南大磯北本町100余坪をベビーゴルフ場にと大磯警察へ申請中。8月1日開業予定。今から40年くらい前の東京新宿小田急百貨店屋上階の室内ベビーゴルフを体験したことを思い出す。当時は麻雀とゴルフが盛況だった。誰かがゴルフは『足軽のスポーツ』と揶揄したことが、その通りと思った記憶が残る。
昭和24年 湘南大磯海水浴場30000人の人出。

五月二十四日 [いのち]

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下町の道祖神さん。集落を護る道祖神さんの歴史は古くて、さまざまな人々や様々な宗教、信心のかたちが習合して現在に至るようだ。双体道祖神さん、家族や人間性の原点を見る気がする。

四月二十九日 [いのち]

映画「太陽」を観た。奇しくも今日は太陽の主人公の誕生日。この国の70年前の一人の主人公。
映画の中で、「私は生物学的には、人間です」という科白が重く感じられた。司馬遼太郎の「昭和という国家を手元に置く。帯に「昭和」という”魔法の森の時代”があった!とある。
いびつな魔法の世界は、今もこの国で解けてはいないのではと感じる今日の朝です。時代は繰り返すと言いますが、この国が戦争を再びする、巻き込まれるからするのだなぞと言ってもいけないと思うのです。善いことは繰り返しても、悪いことを繰り返すのは絶対にいけません。
私は『戦争が終わって、僕らは生まれた』の世代です。戦争や、紛争は世界中で今も起きています。大量殺人であろうと、個人の殺人であろうと、どちらも虚しい行為です。
誕生日を祝うということは、その人の一生を思うことでもあり、その一生の時代の出来事を様々な視点から視つめることだと思います。
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雨虫という曲がある
雨虫が光の中に飛ぶ光景を望遠で追った
光の虫の命を思った

雨 虫

こぼれたナミダの後 生まれたのが雨と
誰かにきいたことも 昔 昔の事よ

忘れてた想い出 運び出してくれるなら
僕のとこへ 飛んでおいで

涙ながしたら 雨虫のように
僕のそばで笑っていた
君は どこ行けば また逢えるだろう
遥か 雲の隙間から
日が射して またどこかへ飛んでゆく

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